116.事故に見せかけた事件ね
叔父様は、なぜか意気揚々とお父様を連れて行った。罰の軽減を求めて口を開くたび、叔父様の叱咤が飛ぶ。最後には諦めて項垂れ、蹴飛ばされながら馬車に乗り込んだ。厳しい振りをするけれど、馬車に乗せてあげる時点でお父様に甘いわ。
もし、家族以外が犯人だったら……その男は馬車の後ろに繋いで走らせたでしょうに。転んで引きずられてもそれはそれで罰になるし、死んでも「神の思し召しです」とか言いそうだもの。擦り減らないよう馬車に乗せる愛情に、お父様がいつ気づくかしら?
手を振って見送り、振り返ってエリーゼから娘を受け取る。アンナは明後日の朝まで休みを与えた。本人は駆けつけると主張したけれど、無理にでも休ませるわ。お父様の護身用の薬は効果が強いし、実際すぐに昏倒したんだもの。体をあちこちぶつけて、痛くなる可能性もあるでしょう?
もちろん、信頼できるアンナを乳母の職から降ろす気はないと伝え、安心してもらうのも忘れない。こうしたフォローは、お父様やガブリエラ様の後始末をしていて身についた。とても役立っているわ。
「クラウス、先ほど心当たりがあるようだったけれど、私に教えてくれる?」
「もちろんです、トリア様に隠す情報はございません」
一礼した彼を従え、エック兄様の執務室へ戻った。ルヴィ兄様は別件で席を外している。部屋に入れば、赤子用の移動ベッドが用意されていた。
「まあ。助かるわ、エック兄様」
目をとろんとさせたジルヴィアをベッドに寝かせ、ぽんぽんと上から叩いた。途中でエリーゼに代わったけれど、愚図らずにジルヴィアは目を閉じる。執務室の壁際に備えた本棚の前で、エリーゼはジルヴィアと控えた。護衛を外に置いても不安なので、目の届く位置にいてもらう。
「さて、先触れの事故についてですが……事件の可能性が高くなりました。そうですね? クラウス」
「はい、エッケハルト様。事故を装って、侍従が落馬するよう仕掛けた。ただ、目的がはっきりしません。先触れの妨害なのか、馬を得るためか」
「馬でしょうね」
するりと口をついた。二人の会話を聞いていて、おおよその見当がついたの。犯人はイエンチュ王国の者だと思うわ。ガブリエラ様のところへ向かった女性を追いかけたか、関係者が帝国に入った。ちょうど、そのタイミングでお父様達が馬車で出発する。
どこかですれ違ったのでしょう。イエンチュ王国の民にとって、馬は貴重な財産よ。家畜もそうだけれど、軍馬は黄金に匹敵する。目の前を黄金が歩いていたら、目を奪われて追う。欲しいと思えば手を出したくなる。けれど騎士が乗る馬は奪えなかった。
そんな時、お父様が先触れを出すよう命じて、騎士の一人が馬から離れた。侍従に大した戦闘能力はないため、何らかの方法で馬を驚かせて奪おうと考える。そして成功してしまった。
お父様にとっての不幸は、帝国内という安心感でしょう。襲われる心配をしなかったから、戦えない侍従でも伝令が務まると考えた。騎士は護衛として残す必要があり、馬車に同乗させればいい。何もない時なら、私も同じ決断をしたはずよ。
基本的に間違っていなかったけれど、私達の常識の外にいる者が狙っていた。時期が悪かったとか、運に見放されたとか、いくらでも言えるけれど。
「根本的にお父様は運が悪いのよ」
「反論できませんね」
「ああ、確かにそうかもしれません」
強運の持ち主であるガブリエラ様が補ってきたけれど、お父様自身は謀略が大好きでカリスマ性をそれなりに備えただけの人。幸運は遠く、妻が引き寄せる強運に支えられてきた。今回は二人が離れたことによる、最悪の結果だわ。
「ほとんど、トリア様の想像通りかと」
クラウスは苦笑いしながらも肯定する。馬は戻らなかったのではなく、戻れない。ならば……。
「迎えを出しましょうか」
軍馬一頭に、どれだけの価値があると思って? イエンチュ王国が黄金扱いするのも間違いでないくらい、多大な苦労と費用が掛かっているの。盗人を許すほど、帝国は腑抜けていないわよ、覚悟して頂戴。