102.婚約式を急ぐための話題
ルヴィ兄様の口にした「一線を越えた」は、婚約者としての節度ある距離を越えたという意味ね。貞操の問題なら、もっと早く打ち明けたでしょう。貴族社会の頂点に立つ皇帝が、我慢できずに唇を重ねてしまった。まだ婚約者候補でしかない令嬢相手に暴走したの。
誰かに叱って暴走を止めてほしいと願うのも当然でしょう。既婚者だからと妹に頼むのは、どうかと思うけれど……エック兄様は宰相の肩書きはあれど、まだライフアイゼン公爵令嬢との関係は手を繋いだ程度。相談できないのも頷けるわ。
フォルト兄様に至っては……相談相手の候補にも挙がらないわね。母親であるガブリエラ様に知られたら、鉄拳制裁でしょう。お父様は笑って許すから、止めてくれないわ。消去法で、私しかいないことに気づいて、額を押さえる。
なんてこと、皇族も人材不足ね。神職者の叔父様に漏らしたら、息の根を止められそうだし。ここで唯一の解決方法は、正式な婚約者になることよ。婚約者なら、条件付きで婚前交渉も許される。そのための婚約式は、衣装や装飾品の準備が進んでいた。
「問題点は、時期ね」
デーンズ王国の宣戦布告がなければ、もう婚約式をしていたはず。事実、ドレスや装飾品は注文通りに素晴らしい出来上がりだった。身に着けて貴族を呼び、大々的に婚約式で披露するだけ。あと一歩だからこそ、ルヴィ兄様の暴走は隠し通さなくてはならない。
「マルグリットの名誉にかかわる問題だもの」
未来の義姉となるマルグリットのことは気に入っている。ガブリエラ様が珍しく手放しで褒めて認めたほどよ。となれば、代役はいないの。何事にも距離を置いて慎重だったルヴィ兄様が、暴走するほど好きな人だ。守り抜くのが、側近としての役目だわ。
「何か大きな話題を作ってはいかがでしょう」
昨日に続き、今日も私を訪ねてきたクラウスが提案する。侍女エリーゼと娘ジルヴィアもいるけれど、寛ぐ私室へ招いたのは……複雑な感情の結果だった。私はクラウスが好きなのだと思う。モーリスには感じなかった想いが浮かぶし、羞恥で赤くなったのも久しぶりだったわ。
普段は動かさない感情を、彼は簡単に揺さぶる。いえ、受ける側の私が勝手に揺れているのね。彼の真っすぐな好意が嬉しくて、擽ったくて、むず痒いけれど幸せなの。もっと感じていたいと願い、クラウスの訪問を心地よく受け入れた。
「どんな話題がいいかしら?」
「そうですね。皆が手放しで大喜びし、その勢いで祝い事に飛びつくような話題では?」
「素敵ね」
フォルト兄様を上手に焚きつけて、デーンズ王国に勝利するのは難しくない。圧倒的な強さと練られた兵力、蓄えも十分だった。それでも死者がゼロは難しいわ。絶対に誰かが犠牲になってしまう。敵ならば構わないけれど、自国の民や兵士を巻き込むのは気が引けた。
足を踏んだ者は痛みを知らずに謝罪して終われるけれど、踏まれた側はずっと覚えているわ。その痛みも悔しさも悲しみも……いつか返ってくる。因果応報という言葉の通りに。
「クレーベ公爵にデーンズ領の統治権を与えましょう。代わりに、領地内の平定を命じる、という形では?」
「エック兄様の許可が必要だけれど、問題なさそうね。ただ……クラウス、まだ”デーンズ王国”よ?」
デーンズ領になるのは、数年先の話だわ。くすくす笑いながら言葉尻を捉えた私に、彼は笑顔で言い切った。
「事実上の属国になるのですから、名称は何でも同じです」
同意も否定もしない。同じ意見だけれど、立場上問題があるから口にしないだけ。そう示すように口角を上げた。私の意味ありげな表情に、クラウスが会釈する。
うぁああああ! 突然騒いだジルヴィアに近づき、ベッドから抱き上げた。あうあうと声を上げながら手を伸ばす娘に頬を寄せる。そういえば、化粧をしていなかったわ。視線を向けた先では、うっとりと私に見惚れる男が一人……問題なさそうね。




