うちの裏手の桜
僕の実家の裏手には桜が生えていて、毎年寝室から花見をするのが好きだった。
樹齢にして60年はあろうかという立派なソメイヨシノ。マンションの4階に届いていた、10メートルはあったはずだ。いずれにせよ、見上げさせられる巨木だった。
春に花をつけ、すぐに散らした。家の窓に花びらが張り付いていた。ベランダも桜模様になった。桜の根元はきれいな花の絨毯だった。
夏には数千の葉を繁らせ、夏が半ばを過ぎるとぽつりぽつりと葉を落とし始め、それでも夏空を覆い尽くすようにどんと緑が構えていた。
秋には見事に紅葉して、夕暮れの中うちの敷地に落ちた枯れ葉を、かき集めてはごみ袋に詰めていた。軍手越しに感じたぱりと割れる葉を押し詰めた。
冬には枯れ木のように葉がなくなって、都会の星の無い真黒の明るい夜空に茶色の細いシルエットが浮かんでいた。それでも春が近づくと赤茶けた芽をそこかしこにつけていた。時には雪が降って、茶色の木肌に白く積もって綺麗だった。
その桜が見える家に引っ越したのは小学4、5年生の時だった。
うちの家を建てるために、枝の中でも特に太いやつが切られた。
中学になる頃には目が悪くなって、それからは眼鏡越しに桜を見ていた。
それから大学生になって一人暮らしするまではずっと一緒だった。
その頃には傷周りが膨れて、新しく細い枝が何本か萌えていた。
その桜は僕の中で大きかった。ずっと都会で育ってきた僕には、それは貴重な自然で、自分とともに成長してきた。自分の分身のようにも感じていた。
大学に行った後も、来年は桜を見に帰省しようかなんて、呑気に考えていた。
一人暮らしが始まってたったの3ヵ月で、桜は帰ってこなくなった。
母親からかかってきた電話がそれを伝えた。
思春期を跨いで10年共に過ごした桜が、知らぬ間に伐採されていた。もう草1本も生えていない。
受験勉強の傍らで窓から眺めたあの桜が、見るたびにそこにあったあの桜が、ボーッと眺めてはそこに生命のありかを示していたあの桜が、季節とともに違う顔を見せてくれたあの桜が、僕を桜を知る日本人にしてくれたあの桜が。
まるで身内の死に立ち会えなかった気分だ。
今から実家に帰って、切り株でも残ってないか見てこようと思う。
残っていたら写真をとろう。なかったら、この文章を勝手に墓にさせてもらおう。
なんにせよ、人は好きなように悲しむのが正しい。
あの桜が、
切られた傷から新たな枝を生やすのを、
毎年毎年葉をつけては枯らすのを、
10年見てきて、当然続くものだと思っていた。
でも違った。住宅開発の波が、僕の心に根差していた再生していく自然の象徴を、当たり前になっていた友達のような相手を殺した。
住宅需要のいや増すベッドタウンだからしょうがないとは思うけどでも納得できない。半世紀を生き延びてきた命がこんなにあっさりと。
どうしてこんなにあっさりと。
まったくやるせない。
寂しい。何も言わないままどっか逝くなよ。勝手に消えないでよ。
いつかは懐かしくなるのかな。そんなの嫌だよ。
世の数多いる大切なものを失くした人々のすがった言葉を、ここに少しずつ書き留めて、少しずつ受け入れる努力をしよう。
人生の慶事と悲劇は天秤にかかり、時には悲しみばかりに傾くけれども、日常の幸せがそれを衡平にする。いかなる悲しみも日常の時間にいずれ埋没し、しかし消えることはない。