不思議な女の子
でも、チビのノリコは三十分以上かかってやり抜いた。
ノリコは出てくるなり泣きだした。嬉し泣きだった。
無理もない、前に母さんと手を繋いで一度だけ中に入ったけど、歩けば五分くらいの迷路なのに、とても一人じゃ通り抜けられないシロモノなんだ。
「俺、行くわ」
隆が必死の形相で、麻紐の玉をつかんでひまわり迷路に入っていった。
「お母さん、みんなの願い叶うと思う?」
僕はそっとお母さんに耳打ちした。
「どうかなぁ。だってこのひまわり畑はお母さんの専用だもの。
それにこの太陽神の舞の足跡を隠すのは、本当ならサトウキビの苗を使うのが正しいの。でも、八丈島じゃ手に入らなかったから、たまたまあったひまわりを使っちゃった。本来はノロの神事というより、オマジナイみたいなものなのよ」
「あー、やっぱり」
隆くんとノリコかわいそうに。後の二人はイイ気味だ。
「でもね優くん。人の想いってエネルギーなの。どれだけ本気か、どれだけ信じているかってこと。その想いが本物なら“奇跡”が起きることもある。
お母さんはそれを信じてこのひまわり畑を作ったの。ニライカナイ(彼岸)にいる、ご先祖様に届くように」
沖縄にいるおばあちゃんは、ノロの血筋を守るためにお母さんをお父さんに託した。お母さんとおばあちゃんの願い、叶うと良いな。
そして四十五分が過ぎた。遂に、隆がもどってきた。
「や、やった!」息絶え絶えだった。
「隆くん頑張ったわね。願い叶うわよ、きっと。ほら見て、日蝕もうすぐよ」
水を張ったタライに映る太陽は、もう半分を切った。
お母さんは麻紐を玉に巻きおわると、全員にお茶を配った。みんなお茶を飲みながら、日蝕の観察に入った。
まだ少し時間がある。おあかさん達は、消えていく太陽に見とれている。
僕は麻紐の玉を取り、端っこをヤカンに縛ると、そっとひまわりの迷路に入って行った。糸をほぐしながら慎重に進む。
大丈夫、お母さんと手を繋いで一度入った事ある。覚えてるはずだ。環になっている所さえ気をつければいい。なのに紐のある道に出た、環に入ってしまったのだ。
紐を巻きながらもう一度戻る。背の高いひまわりの作る木漏れ日が、細い三日月になってきた。じき太陽が完全に隠れてしまう。僕は焦って走り出す。
「神様もう少しまって。どうか、お母さんとおばあちゃんの願いを叶えて」
どのくらい走ったろう。不意に、闇がひまわり畑におりてきた。空気が冷えて行く。日蝕が始まったのだ。
間に合わなかった――。
がっかりして立ちどまった時、麻紐の玉を落とした事に気付いた。
「どうしよう」
真っ暗闇の中、パニックになって、しゃにむに手探りで探したが、見つからない。
その時、僕の左手を小さな手が掴んだ。僕の腰のところで息を吐く音がする。
まだ小さな子供だ。なんでこんな小さな子がこんなとこにいるんだ?
「こっち」
ささやくようにそう言うと、その子は僕の手を引いて歩き出した。
訳がわからないまま、僕はその子に手を引かれて、歩き出した。
世界がだんだん明るくなっていく。
気がついたら入り口に戻っていて、僕はその子と手を繋いで立っていた。
「優さん、その女の子どうしたの?」
お母さんが食い入るように、僕らの方を見ている。
「女の子?」
横を向くと、五歳くらいの小さな女の子が、僕の手を握って立っていた。
ふわふわの白い服は、よく見たら銀糸で描かれたタンポポの綿毛の模様がはいっていて、靴までお揃いだった。
それはとてつもなく繊細で、まるで花嫁衣装みたいに見えた。
それにこの髪型――三つ編みなんだろうけど、一番上のツムジから左右交互に少しずつ髪をとって編んで、その中にリボンを一緒に編み込んでいる。不思議でおしゃれなこんな髪型みたことない。
それよりなにより……その子の顔は、お母さんにそっくりなんだ。
ちょうどその時お父さんが仕事から帰ってきてこう言った。
「誰だその可愛い子、お前の嫁さんか?」
それからあとはよくおぼえていない。他の四人は、授業をサボったのがばれて、先生に大目玉をくらった。
そして僕はといえば、知らない大人に質問攻めにされて、怖がって泣き出した女の子を守るのに必死になっていた。その子は、僕の手を離そうとしないんだもの。
お名前言える?
――なっちゃん。
お父さんとお母さんはどこにいるの。
――パパとママはお墓。
お家、どこかわかるかな。
――ひまわりの向こう側、おばあちゃんの家。
お家には、おばあちゃんだけなの。
――おじいちゃんもいる。おじいちゃん、行くなって言ったの。でもおばあちゃん が『ひまわり畑の向こう側に行って幸せになりなさい』って言うから、なっちゃんこっちに来たの。
これは……どうも捨て子のようですな。
駐在さんはそう言った。
◇
なっちゃんは、取りあえず家で預かることになった。
僕の手を離そうとしないのだから仕方ない。
お母さんはすごく喜んでいる。お父さんは困って禿げた頭を掻いている。
僕は困ったのが半分、うれしいのが二倍。
だってなっちゃんはものすごく可愛いいから。
風呂上がりに、僕の小さい頃のお下がりのパジャマを着ていても、いい匂いがした。その日は、なっちゃんを真ん中にして、僕とお母さんと三人で川の字になって寝た。