白子と傀儡女
「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、子どもの声聞けばわが身さへこそ揺るがるれ」
ポンポンと玉を片手で遊ばせ1人の女は歌を口ずさみながら家々の間を歩く
京に比べれば鎌倉は田舎だ
それでも最近は鎌倉殿が平安京の朱雀大路を真似て若宮大路を整えてから人が大勢集まる様になっている
布を頭に巻いた女は崩れた衣服の着方で肌を露にしてまるで遊女の如くフラフラと歩く
やがて家々の一角に空いた広場に辿り着いた
そこには琵琶を手に弾いている菖蒲がいた
「いたいた」
日中さして人がいない広場で琵琶を弾く菖蒲を見つけて女は玉を弄びながら近づく
そして菖蒲の琵琶が一通り弾き終わった頃に話しかけた
「久しぶりだね菖蒲」
「その声は たなは姉さん」
菖蒲の声にたなははニヤッとする
「鎌倉にいると聞いてこっちに来たんだ」
「お久しぶりです、西の方はどうでしたか?」
「後白河法皇が死んで都は静まり返っているさ」
「法皇様が亡くなったのですか?」
「聞いてないかい?、鎌倉にも届いていると思ったけど」
「届いていると思いますがそういう話は私は聞きませんので」
「相変わらずだね」
たなはは傀儡女だ
傀儡の一座と共に諸国を芸を見せながら流浪する一団だ
一度菖蒲はたなはの一座と共に東海道を旅した事がある
菖蒲は傀儡子一座の芸の多さに感心した程だ
それで一座の頭であるたなはを姉さんと呼んで尊敬している
「後白河法皇がいなくなって京は面白くなくなっちまったね」
「そうですか」
後白河法皇が今様の保護者だった事はよく知られている
法皇の若い頃に今様にのめり込み青墓の傀儡女乙前を師として仰いでいた事は傀儡師や遊女、白拍子の間では半ば当然の知識として持っている
「面白くなくなったが一つだけ面白い事が出てきた」
「それは何ですが?」
「慈円っていう天台の偉いお坊さんがいてね」
「慈円様ですか」
「そう、そのお坊さんは一芸ある人間に理解があるって評判だ」
「一芸…ですか」
「それにしてもつくづく思うよ、あんたの目が良ければってね」
「ああ…そうですね」
「目が良ければ傀儡の芸も教えられたのに」
「仕方がありません」
「そうだね、狩りも一緒にしたかったけど」
傀儡師は人形を操って芸を見せる他に狩りなどもする
物覚えが良さそうな菖蒲なら色々と芸ができた筈だ
「で、琵琶の方はどうだい?、儲かってるのかい?」
「まぁ…食べるには何とか困らない程度には」
「それは良いね、食べられないのが一番困るからね」
「そうですね」
衣食住の中でも食が一番大事だ
次に衣、正直ボロボロを着ていても大して問題はない
最後に住だが流浪の琵琶弾きに取っては住など望むべくもない物だ
寝るのは外で筵に包まって寝ても問題はない
困るのは雨が降った時ぐらいか
とにかく衣や住が無くても何とかなるが食べられなければ餓死して死んでしまう
そうした生き方が流浪の者には普通だ
「それはそうと来年また京に行く計画を立ててんだ」
「そうなんですね」
「菖蒲、あんたもどうだい?」
「私ですか?」
「京には上った事がないだろ?」
「そうですね」
「ならいい経験になるだろ、私らと一緒に京に行かないかい?」
「えーと…」
「何か予定が入ってるのかい?」
「いえ…それはないです」
「なら行こうさ」
「そうですね…」
京は憧れだ
物語の中には煌びやかな世界がある
しかし現実は良い噂を聞かない
行きたい反面空想していた世界が壊れるのは怖いという思いもある
「まぁ、今すぐ答えろとは言わないさ、考えておいてくれればいいさ」
「分かりました」
そう言うとたなはは去っていった
「京の都…」
想い馳せる京の都
そして後白河法皇の死
あと慈円なる天台のお坊様
そもそも法皇様にしてもその慈円というお坊様にしても菖蒲には関わりのない人物だ
そう関わりはない
法皇様は亡くなられたし慈円というお坊様も関わる事はない
そう関わる事はない
当たり前だ、一介の琵琶弾きが天台の偉いお坊様と関わる事などあるはずもない
当然の事、当然の事の筈だ
しかしやがてその慈円という少し先に天台座主となる人物と関わっていく事になる事をこの時の菖蒲はまだ知らない
【遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、子どもの声聞けばわが身さへこそ揺るがるれ】
後白河法皇が手掛けた梁塵秘抄に載っている今様歌の一つ
【傀儡子】
人形を使って芸をする芸人
女は傀儡女と呼ばれる
その起源は奈良時代に大陸から入ってきた散楽とされる
傀儡の芸は後の時代に人形浄瑠璃として残っていく事になる