白子と大姫、三幡
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書き交はしける。
されど和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。
歌はいとをかしきこと。
ものおぼえ、歌のことわりまことの歌詠みざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠み添へはべり。
それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ、口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢにはべるかし。
恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。
琵琶を片手に町の片隅で歌う菖蒲
武蔵、上野、下野を歩き再び鎌倉に戻ってきた
体調は思わしくなく度々休みを入れながらだったが今は元気を取り戻している
続けて歌う
丹波守の北の方をば、宮、殿などのわたりには、匡衡衛門とぞ言ひはべる。
ことにやむごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたるかぎりは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。
ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌を詠み出で、えも言はぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、憎くもいとほしくもおぼえはべるわざなり。
この歌は紫式部日記にある話だ
平安を代表する歌人才女和泉式部と赤染衛門の批評である
菖蒲は余りこういった批評的な話は好まないが世間受け、とくに女性達から人気があるため琵琶と共に歌う
極め付けは紫式部の清少納言批評だ
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。
さばかりさかしだち、真名まな書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶えんになりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。
そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
強烈な清少納言評だ
今は伝説の才女と呼ばれ遥か昔の人物達だがその生々しさは現代に生きる我々にも通じるものがある
過去なる才女達もまた自分達と同じように考え同じように怒ったり悲しんだり嫉妬したりしていたのだと
ぱちぱちぱち、ぱちぱちぱち、ぱちぱちぱち
周りから拍手が起こる、大体が女性達からだ
その中に知っている色と匂いの女性がいた
「久しぶりですね、覚えていますか?」
「はい、覚えています、お母様とご一緒だった方ですね」
以前母親と共に聞きに来ていた女性だ
「その歌は?」
「紫式部日記の一節です、紫式部様の目から見た和泉式部様、赤染衛門様、清少納言様の批評です」
「紫式部?、あの源氏物語の作者の?」
「そうです」
「日記も書いていらしたのは初めて知りました」
「余り知られていないと師は言っておりました」
「それにしても貴女は何でも知っているのね」
「いえ、何でもは…」
「うふふ、そうね」
その会話に横から声が滑り込んできた
「お姉様、ご紹介を」
「ああ、そうね、私の妹です」
「三幡です、宜しくね」
「こちらこそ宜しくお願い致します三幡様」
「貴女のお名前は?」
「菖蒲と申します」
妹の三幡は菖蒲と同い年ぐらいだろうか?
声を聞くに少なくとも年齢的な差はなさそうに感じる
その三幡の後ろに年配の女性とまだ若そうな男の人が立っている
その年配の女性は以前一緒だった母親とは違うのは分かった、雰囲気がまるで違う
「菖蒲ちゃんね、私は大姫です」
「大姫様…ですか」
「そういえばこの間はちゃんと言っていなかったわね」
「今日はお母様はご一緒ではないのですね?」
「ああ、お母様は子供がお腹の中にいるので出歩くのは控えているのよ」
「それはおめでたですね」
少しの間大姫や三幡と取り止めのない話をして時間が経ち、そして4人はそこから去っていった
「さて…」
客からの報酬を少なからず得てほくほく顔の菖蒲
何にしても不安定な生き方だ
下手をすれば明日食べる物も事欠く有様にて立ち止まれない人生だ
そんな菖蒲に近づいてくる独特な臭いの者が1人
「よう、儲かってまっか?、菖蒲」
「蔓草丸ね、なんの用?」
「さっきの連中、ありゃ姫様達じゃねーか」
「姫様?」
「何だ知らねーのか、ありゃ鎌倉殿様の娘さん達だ」
「大姫様と三幡様が?」
「そうだぜ、間違いねー、俺の目ん玉を賭けてもいいぜ」
「その他の2人は?」
「三幡様の乳母と…男の方は護衛だろうな」
「なるほどね、乳母?、乳母と言うと…」
「身分の高い連中ってのは自分では子育てしねーんだ、で、代わりに育てる奴がいる」
「ああ、そうだった」
物語の中でそうした話は出てくる事なのに実感がないので繋がらなかった
そう思うと大姫様と三幡様は本当に武家のお姫様なのだと感じる
「お母上にも会った事がありますよ」
「どひゃ、政子様か」
「政子様?」
「北条の政子様だよ、かなりおっかないお人って聞くけどな」
「おっかないか…」
以前会った時に感じた我の強そうな声を思い出す
しかし蔓草丸が言ったようなおっかなさは感じなかった
「お腹に子供がいるとか」
「ああ、男の子が生まれるように一杯祈願されているな」
「鎌倉殿様には跡取りがいないの?」
「いやいるぜ、万寿…いや、頼家様がな」
「そう」
まぁ少なくとも鎌倉殿様の跡取りだとかそういった人々に関わる事などないのでさして興味はない
そう男の人たちと関わりあう事はないのだから
【北条政子、三幡】
政子の名前は三位叙位の際に付けられた名前で本来家族が呼んでいた名前ではないとの事
本来の名前は不明
同じく政子の娘の三幡も諱であって通称は次女を表す乙姫である
これまた本来の名前は不明である
【紫式部と清少納言】
仕える主人と時期が異なる事から宮廷で2人が顔を合わせる事は無かったというのはよく知られるところ
清少納言の方はどうかは知らないが紫式部はかなりライバルとして意識していたと考えられる
ちなみに当時の貴族達は彰子・紫式部サロンに対して10年ほど前の定子や清少納言の時代と比較してその過去の時代を讃え懐かしんでいたとか
そういう事からも紫式部が清少納言に並々ならぬ対抗心を燃やしていた事は想像に難くない