27.過去の喚起
──迎えた土曜日。
「咲空ちゃん、今日は付き合ってくれてありがとう」
「ううん。私も気になったから」
私と結華ちゃんは電車に揺られている。
この後、“始まりの乙女”だと思われる結華ちゃんを、“想いの眠る地”だと思われる場所で黒邪に身を堕としたかつての恋人と引き合わせる。
……それによりどんな変化があるのかはわからない。
もしかしたら、結華ちゃんの人柄が変わってしまうかもしれない。
それでも、会わせなければならない。悲劇を生きた2人の時を超えた再会がどのようなものになるのか、見届けなければいけない。
結華ちゃんを黒邪に会わせるのに先立って、麗叶さんが黒邪の状態を確認してくれたけど黒邪の穢れはほとんど薄まることなく、封印した時と同様の色濃いものだということだ。
ただ、封印されている長いとは言えない時間の中で何があったのか……現在の黒邪の核となっている人の魂と、それを取り巻き力を振るう元来の妖の王としての性質が分離していたというのだ。
そう。穢れとなった負の感情は消えていないものの人格が完全に分離していたのだ。
……妖の王が人の魂に激しく癒着していたから、完全に分離するためには短くない時間がかかると考えられていたのに……まだ1ケ月も経っていない段階で完全に分離したというのは嬉しい誤算だった。
……封印されてから、黒邪の心情にもなにか変化があったのだと思う。
黒邪が私の学校に来た時、結華ちゃんも壁を隔てたすぐ傍にいた。一瞬であったとはいえ、かつての恋人の魂を感じ取って人として生きていた頃のことが思い返されたのかもしれない。
そして、黒邪を形作っていた存在のうち妖の王は完全に消滅させるということになっていたから、その確認をした段階で麗叶さんが消滅させたらしい。不必要に長い封印期間を経ることで妖の王が封印を解いて再び逃げてしまわないようにする必要があったから速やかに執行された。
……あっけないように思えてしまうけど、それが妖の王と天代宮の永い永い因縁の幕引きになったのだ。
人の魂の方は今はそのまま封じてある状態だけど、私が麗叶さんに合図を送ったら麗叶さんがその封印を解いて私たちの下へと……結華ちゃんがいる“想いの眠る地”へと送ってくれる。
何かあってはいけないからと、普段は雲上眩界から出ない大和さんや私の家族についていた和泉さん、長門さんと、多くの式神たちが音大を囲んで待機している。もちろん、桃さんと葵さんは私の傍に。
……魂からは激しい憎悪から来る負の感情は消えていないということだけど、結華ちゃんに会わせてしまって大丈夫だろうか……?
今更だけど、心配になってくる。
今日のことが終わったら私のことを結華ちゃんに私のことも色々と説明しなきゃいけなくなるだろうし……
そんな考えを結華ちゃんに悟られないように気を付けながら電車に揺られていれば、音大の最寄り駅へと到着した。
「着いた~。大学はここから5分くらい歩いたところなんだけど、ここら辺もなんだか不思議な雰囲気でしょう?」
「……そうだね」
私には普通の街に思えるこの場所も、かつてはあの村の一部だった。
きっと、結華ちゃんにしかわからない何かを感じているんだ。
「そういえば、大学には実家から通うの? 電車で1時間くらいだったけど……」
「ううん。一人暮らし始める予定」
「そうなんだ!」
「うん! もう家は探してあって、洗濯機とかレンジとかの家電の準備してるとことなんだ」
「早いね」
「ふふっ。早く決めないと大学に近い部屋はなくなっちゃうって聞いて」
「そっか……同じ時期に新入生が部屋探し始めるもんね」
「うん。一人暮らしだから1Kの小さい部屋なんだけど、よかったら遊びに来てね」
「いいの?」
「もちろん! 卒業しても加奈ちゃんと晴海ちゃんも一緒に集まろうね」
「うん! ふふっ、楽しみだな」
「私も。あっ、あれが大学の校門」
大学は少し小高くなった丘の上にあるから今歩いている道も少し上り坂になっている。
坂の先……結華ちゃんが指し示す先に見えてきた門と、その奥にある建物は数年前に改修工事がされたとのことで綺麗で立派だ。
「聞いてはいたけど、敷地が広いみたいだね」
「そうなんだ。だから、奥の方はまだ見られてなくて」
キャンパスの真ん中には木々に囲まれた通りがあって、休日だけど数人の通行人の姿が見える。
……自然が豊かで空気がおいしい。
結華ちゃんが感じているものとは違うかもしれないけど、キャンパスに近づくにつれて空気が清らかになってきたように感じる。
神社、とはまた違うけど……それに近いと思う。
結華ちゃんの話を聴きながらキャンパス内を進む。
本当に広いキャンパスで、正門をくぐってから10分くらい歩いた。そしてやっと、石碑が……“想いの眠る地”が見えてきた。
……パワースポットと言われている理由がわかる。
膝ほどの高さしかない小さな石碑。
その小さな石碑は常人が触ってはならないというような厳かな空気を発している。
大学が建てられる前からあったと聞いてどうして撤去されなかったのか疑問に思ったけど、これは……
「──……これが、石碑」
「なんだか特別な感じがするね」
「う、うん……」
呆然と石碑を見つめている結華ちゃん。
……月読様は『想いが眠る地に乙女を連れ立ち、記憶を完全なものとするのだ。そして、悲劇を生きた2人を引き合わせよ』と仰っていた。
これは私の勘だけど、結華ちゃんが一人だったらこの石碑に訪れても特別なものを感じるだけで“始まりの乙女”としての記憶は戻らない。
私が……今代の神の愛し子である私が一緒に訪れることで過去世の記憶が呼び覚まされるんだ思う。
「っ、あっ……」
「……」
「わた、わたしは、」
ガクンと膝を付きポロポロと涙を零し始める結華ちゃん。
やっぱり、結華ちゃんは“始まりの乙女”だった。
「結華ちゃん、ごめんね……」
「うぁ、あ……」
「ごめんね……大丈夫、大丈夫だから……」
結華ちゃんのそばにしゃがんで抱きしめることしかできない。
今、千年以上この地に眠っていた魂の欠片が……結華ちゃんのかつて想いが還ってきているんだ。
「っ、───」
小さな小さな声。
嗚咽にまぎれてかすれた声で囁かれたのは、確かに“記録”で聴いた黒邪が人であった頃の名前。
心の中で麗叶さんに呼びかける。
間を置かずに慣れ親しんだ気配がすぐ近くに降り立ったけど、私の腕の中にいる結華ちゃんは気付かない。
顔を麗叶さんに向けて頷き、黒邪の封印を解くようにお願いする。
……まだ、早いかもしれない。
引き合わせるのは結華ちゃんが落ち着いて、自身の記憶と向き合うことができてからのほうが良いのかもしれない。
でも、時間をかければかけるほど結華ちゃんはかつての記憶に引っ張られて結華ちゃんとしての人格が薄れてしまうと思う。
結華ちゃんが今世の喜びや幸福を失わないうちに、かつてのように心を閉ざしてしまう前に、心を照らしてあげたい。
そして、暗い過去を照らすことができるのは過去の世で結華ちゃんを愛し抜いた人だけ。
今は妖の王へと身を堕としてしまっているけど、想い人と再会することで彼自身も明るい感情を取り戻すことができると思う。
────パンッ。
麗叶さんが黒邪を封じた紙を空に浮かべ、手を鳴らした。




