13.姫野颯斗の追憶⑤
次の日、俺と晃さんは朝から師匠の部屋を訪れていた。
昨晩は晃先輩に言われた通り、布団の上で横になった。2年の間ずっと、昼も夜も活動していたから何をするでもなく過ぎていく時間を過ごすというのは久しぶりだったけど……こんなにすっきりとした気分なのも久しぶりだ。晃先輩の言う通り、休息を必要としない体になっても、精神は確実に摩耗していたみたいだ。
「おはよう」
『おはようございます』
俺を呼びに来てくれた晃先輩と一緒に師匠のところに向かうと、師匠は重苦しい雰囲気で口を開いた。
「……これは晃と儂の考察になるが、お前にかけられた呪いは全てに対して等しく作用する類のものだろう」
『……?』
「つまりだ。神や神族は呪いを受けないかもしれないが、普通の人間ならばまず避けることは出来ない類の呪いなのだ。……誰一人としてな」
「例えば、僕と颯斗君が颯斗君が呪いを受ける前からの知り合いだっととするでしょう? でも、颯斗君に呪いがかけられた時点で僕は颯斗君のことを全て忘れてしまうんだ。僕にとって今話している颯斗君は新たに知り合った存在ということになる。……師匠や僕みたいな陰陽師は不可視の君を見ることはできているけど、人間である以上はその呪いから逃れることは出来ない……そして今後、颯斗君の姿が再び見えるようになったとしても、一度存在が消えてしまったという事実は変えることができないと思う」
悲しそうに言う晃先輩の話を、すぐには飲み込むことができなかった。
呪いが解けても、思い出してもらうことは出来ない? 人間なら、みんな俺のことを忘れてしまう?
そんなはずはない…… だって、咲空はっ──
『咲空は、咲空は俺のことを忘れてなんかっ……!』
「っ、ごめんね。落ち着いて……僕の言い方が悪かった。これは普通の人間ならの話だよ」
「……颯斗、お前の妹はお前が不可視の存在となり、母親がお前のことを忘れた後も、お前のことを忘れていなかったと言っていたな?」
『はい……』
「お前の呪いについてもう一つの考察だが、お前の呪いは発動と共にすべてに同時に作用しているように思う。一人だけ遅れて呪いの効果を受けるということはないだろう」
『それじゃあ……』
「あぁ、お前の妹はお前のことを呪いによって忘れることはないはずだ。呪いを受けなかったお前の妹はお前のことを兄として認識することができるだろう」
『そうですか……』
途端に言いようがない安堵感が広がった。咲空が俺のことを忘れていないというのは家を出る前の咲空の言動を見た俺の希望的観測とも言えるものだったから。
……師匠たちも確信があるというわけではないみたいだけど、また一つ希望が増えた。
でも、呪いによって俺のことを忘れることはなくとも、時間の経過によって忘れられてしまうことはあるかもしれない……俺が家を出た時、咲空は3歳8か月だったんだから。俺だって、そんな小さな頃のことなんてほとんど覚えていない。
『忘れられて一度切れてしまった縁でも、見えるようになればもう一度結ぶ直すことができる』昨日俺自身が言った言葉だ。……そう思っているのは事実だけど、やはり割り切れてはいないみたいだ。
きっと、そんな考えが顔に出ていたのだと思う。師匠がしっかりとした声で言葉を紡いだ。
「人は忘れていく生き物だ。しかし、普通は忘れてしまったとしてもその過去が消えるわけではない。再び会った時に妹がお前のことを忘れていたとしても、お前と過ごした過去は消えることなく妹の中に残っているだろう」
『消えてはいない……そう、ですよね』
そうだ。もし忘れられてしまったとしても、俺の中にある思い出は消えていない。
『新たな関係の中で妹を護れるようにしたいです』
「あぁ」
兄と妹でなくとも、護ることは出来るはずだ。
『でもどうして咲空だけ呪いの効果を受けなかったんですか?』
咲空だって普通の人間だ。
俺や他の人達と同じように人間の母さんが産んで人間の俺と一緒に生活していた。
「多分だけど、颯斗君の妹は神に近い気をもっているんだと思う。その神聖な気が呪いを弾いたんだろうね」
『咲空が、神に近い……?』
「……陰陽師は妖の残滓のことを穢れと呼んでいる。そして、魂を侵す穢れが呪いとなる。体表についているだけの穢れは呪いのように大きな影響をもたないが妖の残滓であることに変わりはない。浄化せず放置すればやがては心を蝕み死に至らしめる。……正直に言ってしまえば、穢れと呪いに覆われたお前が呪いを受けているとはいえ普通に生活できるはずがないんだ」
『咲空が、俺を護ってくれているんですか……?』
「憶測でしかないがな」
あんなに小さな咲空が俺の知らないところで俺を護ってくれていたなんて……。
……護るどころか護られていたなんて情けない。
「颯斗、お前には妹を護るため、そして呪いを解くための術を身に付けてもらうぞ」
『!』
「記録が正しければ、“不可視の呪い”は被術者自身が呪いに干渉して解呪する必要があるようだ。……そうでなくとも、お前にかけられた呪いは強力すぎて現存する陰陽師では太刀打ちできないのだが……」
申し訳なさそうに眉を下げる師匠だけど、昨日から俺の呪いについて調べてくれたみたいだ。
『被術者自身で解呪しなければならないということは、陰陽師でない人間が同じ術を受けたら……』
「あぁ、解くことはできない。お前に陰陽道の才があってよかった」
「まずは霊力の運用からだ。晃」
「はい」
師匠の指示を受けた晃先輩が俺に声をかけてから、俺の肩に掌を添える。
何だ?
俺が晃さんの行動を不思議に思っている間にも、師匠は話を続ける。
「昨日も言った通り、一部の力の強い妖は生物を依り代として可視の存在となる。そして、そうした妖は人を惑わし、心を操ることがある」
『心を操る……』
「心当たりがあるか?」
『……母さんの妹に対する態度がおかしかったです。下の妹には溺愛と言ってもいい様子で、俺のことも可愛がってくれていたのに、上の妹……咲空にだけ無関心というか冷たいというか……でも、下の妹が生まれてすぐの頃は二人とも全員を同じように可愛がってくれました。……しばらくすると、母さんだけでなく父さんもおかしくなってしまいましたが』
「……そうか。下の妹はどうだ?」
『……普通の赤ちゃんだったと思います』
……でも、本当にそうか? 美緒は咲空が両親に話しかけようとしたタイミングで泣き出したり、咲空がそばにいるとき突然泣き出したりすることがあった。……頻繁に。
偶然だと思っていたけど……考えたくもないけど……
『美緒が、妖……?』
「……確かには言えないが、お前の話を聴いた限りではその可能性が高いように思う」
『そんな……』
「お前は2人の妹を救うために陰陽道を学ぶのだ。晃、どうだ?」
「繋げました」
「よし。颯斗、目を閉じなさい。……今から晃がお前の霊力に干渉して霊力を動かす。それを感じ取るんだ」
美緒が妖の依り代になっているかもしれないということに思い至り心が荒れたが、師匠の『2人の妹を救うため』という言葉にハッとさせられた。
そして、言われた通りに目を閉じていると、すぐに変化が訪れた。
『──っ!』
「ほぅ? もう感じ取ったか……飲み込みが早いな」
俺の中を何から冷たい何かが巡っているのを感じる。体の内にあった何かが引っ張り出されたような……これは何だ?
「どんな感じがする?」
『この冷たい何かが……清涼感のある何かが体の外に引っ張り出されたような感じがします』
「そう。それが霊力だ。お前にはその霊力を自力で動かせるようになってもらう」
『これが……』
「さて、目を開けて自分を見てみなさい」
『はい……。──!?』
ゆっくりと目を開いて自分の身体を見ると黒い靄の様なものが全身に纏わりついていた。
これが、穢れなのだろう。
師匠に目を向けると師匠の胸のあたりに清涼感を感じるもの──霊力であろうものが光の粒子となって見えた。
ついで後ろにいる晃先輩を見ると、晃先輩の胸にある光の粒子は血管のように腕まで流れ、俺の身体に纏わりつく穢れのその下にある俺の霊力と絡み合っていた。
『なるほど……』
これが陰陽師達の見る世界……
「どうだ、できそうか?」
『やってみせます……!』




