12.閑話─存在しない少年─
(師匠視点)
任務を終え、余った時間に気まぐれで訪れた図書館。
入館してすぐに感じた強い妖の気配。それを放っていたのは一人の少年だった。
子どもが読むには難しかろうという本が収められた本棚の前に立ち、本の背表紙をじっと眺めていたその少年は、自分が見える儂の存在にひどく驚いた様子だった。
諦めを知る瞳に期待を込め、不安そうにこちらを窺っていた少年。まだ幼い少年に立ち塞がった困難がいかに強大なものであるのかは想像に難くなかった。
儂はその少年を安心させるために笑顔を向けたが、実際は少年─颯斗を目にして儂の内心は嵐のように荒れていた。
最初は不可視の呪いだけだと思った。それだけでも大事であるというのに、颯斗の魂をよく見ると魂が穢れに侵食され覆い隠されていたのだ。
陰陽師が穢れと呼ぶ、妖の残滓。
穢れは妖が接触した生物に纏わりつき、その生物を蝕み続ける。そして穢れに侵された生物は妖の餌となる陰の気を増大させ、生気を吸い取られていく。
生気を吸い取られて精神が摩耗した人間が行き着く先は、死。
表の世界で不審死として扱われる多くは妖により引き起こされた悲劇だ。
陰陽師は日々人の中に混じり人々に纏わりつく穢れを祓っているが、手が回りきっていないというのが実情。なんとかせねばならないとは思っても、生物の負の感情がなくならない限り無限に増殖する妖を完全に消し去ることなどできはしない。
「──……」
「──師匠、少しよろしいですか?」
……晃か? 部屋の外から控えめな声がかけられた。
颯斗の部屋を整えてくると言っていたが……
「何かあったか?」
「失礼します……颯斗君のことですが、あれは何ですか? 魂が穢れに侵食されていました」
「ほう? お主も気が付いたか」
晃も気が付いたようだな。
颯斗の呪いは陰陽師であってもすぐに気が付くのは難しいだろうに、成長したものだ。
陰陽師が妖や穢れと相対した時に稀に呪いを受けてしまうことがあるが、そうした呪いの多くは魂を覆う濃密な穢れとなって陰陽師の目に映る。呪いが魂に蔓延るのに対して穢れは体表に纏わりついているだけであり、呪いかただの穢れなのかの境はそこにある。、呪いの解呪が困難となる所以も、魂に癒着していることにある。
……颯斗の場合は穢れが魂を覆うだけではなく、魂の内部に侵入している。魂は心臓に宿る命の炎。それが不浄なものに侵食されているのだから、存在が消失はしたものの滅びていないのは奇跡と言っていい。
颯斗にはこれでもかという程の穢れが体を覆い隠すように纏わりついているためにその内にある魂が見づらく、呪いは気が付きにくい。しかし、かなり深刻な状態だ。
「最初は気付きませんでしたが、気になることを言っていたので確認してみたら……妖に存在を消されるなんて聞いたことがありません」
晃の報告によると、ある瞬間を境にして母親の記憶から颯斗の存在が消え、颯斗が使っていた家具のなくなってしまったらしい。そして、学校の名簿からも名前が消えた彼のことを覚えている人はいなかったという。
一人の人間の記憶だけでなく、全ての人間の記憶から颯斗という存在を抜き取り、文書までも改変してしまう呪いがあるとは……その影響力を考えれば、颯斗が存在していない世界に創り変えられたと考えた方がいいのかもしれない。
「晃、颯斗の呪いをどう見る?」
「……強力すぎます。この時代に存在の有無をひっくり返してしまうような呪いを放つ妖がいるなんて、考えたくもありませんでした」
「同感だ」
時の経過に伴って陰陽師は数を減らし力も弱くなってしまったが、それは妖の方も同じ……そう思っていたのに、現存している陰陽師では遠く及ばない力をもつ妖がいるというのだ。
「この件については儂の方でも調べていく。件の妖は今も颯斗の家族の傍にいるだろう」
「わかりました」
「……神族と連絡が取れれば良いのだが、難しいだろうな……」
「そうですね……」
神族が人前に姿を現してから四十年程しか経っていないが、妖を祓うことを生業としていた陰陽師は同じく妖を祓っていた神族……特に鬼神族とは手を取り合っていた時期があり、その存在を過去の陰陽師達が残した文献により知っていた。
……件の妖は人の手には余るだろうが、神族はその存在を知っているだろうか?
情報を共有したいが、陰陽師と神族の縁は遠い昔に切れてしまった。神族の認識下にある事を祈ることしかできないのか……
「早急に何とかしなければ多くの人が危険に晒されるかもしれませんね」
「一概にそうとは言えない。颯斗以前にその妖による被害の痕跡はまったく見られていない」
「確かに……人に害意があれば今までにも報告や解呪の依頼もあったはずですね。何か目的があって颯斗の家族のもとにいて、颯斗を呪ったということでしょうか?」
「わからない……が、颯斗の陰陽師としての才に気が付いて芽を摘もうとしたのかもしれないな」
そしてもう一つ気になるのは颯斗の妹のことだ。
「……颯斗が妹は自分を忘れていなかったと言っていた」
「! 話を聴いた感じでは全てに対して同時に作用する類の呪いだと思いましたが……」
「恐らくその認識で間違いない」
「では……」
「あぁ、おかしいのは妹の方だろう。……只人ではあるまいよ」
「でも、妖の力を弾いたということですから清浄な何かを持っているということですよね?」
「そうだな。呪いの効果や強さを考えれば、この呪いは霊力を持った者であっても防ぐことは出来ないだろう」
過去を改変するような呪いが発動してしまえば、いかに呪いに耐性を持った陰陽師であろうと普通の人間と等しく呪いに侵されるだろう。
そんな呪いを受けなかったのならば陰のものである妖の対極に属するものだろうな。神聖な……神族や神に近しい存在と考えてよいのかもしれない。
……おかしいと言えば颯斗もそうかもしれない。
聴けば、颯斗が呪いを受けてからすでに2年も経っているというのだ。それだというのに颯斗の身体に纏わりついた穢れは未だに濃密であり、呪いに魂まで侵食されている。
穢れは妖の残滓。穢れが消え去る前に侵された人間の方が逝去してしまう場合も多いが、普通ならば時と共に薄れていくものだ。
それのはずが、2年を経てもあの濃さを保っている。そんな呪いを受ければ無事でいられる人間などいないだろう。颯斗は強い霊力があるため耐性はあるだろうが、穢れが祓われることなく2年もの時を耐え抜くというのは霊力を運用する術を知らない段階の者には到底できない。
妹が神聖な存在で、颯斗にまでその庇護を及ぼしていたのか?
……謎が多いな。
これから共に過ごす中で解き明かしていくとしよう。




