8.天代宮邸
「では、行こうぞ」
「は、はい」
「「いってらっしゃいませ」」
桃さんと葵さんに見送られながら、麗叶さんに手を取られて部屋を出る。
……温かい。
「──咲空は草花は好きか?」
「……好きだと思います」
最近では機会がなくなってしまったけど、小さい頃は花を摘むのが好きだったと思う。
小学校の帰りに家の近くの河原に咲いてるタンポポとかシロツメクサとかを摘んで帰っては『ゴミになるだけだから外に棄ててきなさい』って叱られたっけ……
「……そうか」
麗叶さん、悲しそう……?
「睡蓮の殿に庭園がある。そこに行ってみるか?」
「睡蓮の、殿?」
「あぁ、まずは構造を教えておかねばならぬな……咲空が過ごしていたここは藤の殿だ。我の私室などもある。まぁ、簡単に言ってしまえば私的な宮だ。我はあまり使っていなかったがな。……ふむ、口で説明するよりも観せる方が早いか」
「見せる?」
今も案内してもらって、色々見せてもらっているのに?
「咲空は高いところなど平気か?」
「? 大丈夫ですけど……」
なぜ今?
私は高所恐怖症ではないから問題ないけど……
「──では、しっかり掴まって離すでないぞ?」
「えっ?──キャアッ!」
麗叶さんは私が『急にどうしたのだろうか』と考えている間に私をさっと抱き上げて、自分の首に私の腕を回させるとそのまま地を軽く蹴って飛び上がった。
「驚かせてしまったか……すまない」
「だ、大丈夫です。それより私、重いですよね? すみません」
「そなたは霞のように軽い。軽すぎてどこかに飛んでいってしまうのではないかと不安に成る程だ。……嫌だったらすぐに言うのだぞ? 」
「嫌ではないです」
「それならよかった。大丈夫そうなら、下を見てくれ」
──すごい。
ここが雲上弦界だって言うことは聞いていたけど、本当に雲の上だ……下にはとても…信じられないくらい広いお屋敷があって、その周りを雲が取り巻いている。
視線を移すと、遠くの方に同じような雲がある。
……他の神族のお屋敷かな。
「……咲空? 大丈夫か?」
不安になって、麗叶さんに身を寄せてしまったみたいだ。
「と、とても大きなお屋敷ですね」
誤魔化すように言ったけど、麗叶さんのお邸は本当に大きい。
全部で五つの建物に分かれていて、中央に一棟、その上下左右にそれぞれ一棟ずつ建物がある。
真ん中にある建物には他の四つの建物から廊下が伸びている。
……一つ一つの建物を見ても広い校庭がある私の高校の敷地と同じくらい広い。
「──さて、門の上まで来たが、ここから見て一番奥にあるのが先程までいた藤の殿だ。その下、中央にあるのは牡丹の殿。過去の記録の保存をしてある、我の任を果たす場、要するに仕事用の殿だ。その右が今向かおうと思っていた睡蓮の殿で客をもてなすための殿、左が鬼灯の殿で……最後に一番手前にあるのが梅の殿。梅の殿は儀式を行うための場所だ」
「一つ一つの建物に役割が決まっているんですね」
「あぁ、我は他の神族よりも任が多いため、それらをこなすための牡丹の殿が一番広い」
「そうなんですね……鬼灯の殿は何をする場所なんですか?」
麗叶さんは私を抱えていない方の手の指で示しながらそれぞれの建物を簡単に説明してくれたけど、鬼灯の殿は建物の名前しか言っていなかった。
「鬼灯は……そのうち教えよう。さて、睡蓮の殿に行こう。そなたがいる藤の殿にも庭園はあるのだが、普段は使っていなかったために小さくてな……すぐに我が邸で一番の庭園を設えよう」
「えっ? わ、私なんかのためにそんな事はしなくて大丈夫です」
「我がしたいのだ」
麗叶さんの私を抱く手に力が入った。
* * *
麗叶さんが降り立ったのは花が咲き乱れる美しい庭園だった。橋がかかった池もあってと幻想的な光景だ。
通り道は整備されているけど、その周りは花で埋め尽くされていて、庭園というよりも花畑…花園という感じ。
通路の両サイドには低木が植えられていて、こちらも綺麗に咲き誇っている。
花々の配置も考えられていて、花が互いに引き立てあっていて……心を奪われる。
「見たことがない花がたくさんあります」
「そうだな……半分ほどはこの界でしか育たぬ花だ。もう半分は人間界でも生育出来るものだから、見覚えがある花もあるのではないか?」
「はい──」
しばらく見ていると、不思議なことに気が付いた。
「この庭園には季節関係なく花が咲くんですか?」
「あぁ、この界は人間界から隔絶され、その理から外れた場所だからな」
成る程…?
今は冬であるはずなのに、花が咲き乱れているし、私が判る範囲でも菫やアジサイ、菊と異なる季節に咲くはずの花が同時に咲いている。
「この庭園の花は枯れることがない。ここに限らず、この界にあるものは全てが不変なのだ」
「そう、なんですか……」
美しいけど、いつまでも何も変わらない風景……どことなく寂しく感じてしまうのは私が人間だからなのかな……
「……」
「……雲上眩界は雲の上にある別の界にあるのだ。時は人間界と同じように流れているが、変化はない」
「別の界?」
「そうだ。我らの屋敷が同じ界にあったら下には陽の恵みが届かなくなってしまうであろう?」
「そういえば……」
確かにそうだ。
こんなに大きな雲がずっと上空にあるわけがない。今まで神族は雲の上に住んでいるのだと思っていたけど、別世界だったんだ……
「さぁ、そろそろ屋敷の中に入るか?」
「はい」
* * *
「──主様、何かございましたか?」
「咲空にこの屋敷を案内しておるのだ」
「左様でございましたか、、姫君のお加減はよろしいので?」
「万全とは言えないまでも、大分よくなっなようだ」
「それはよろしゅうございましたな」
麗叶さんに連れられて牡丹の殿にやって来ると、一度会ったことがある式神さんがいた。
私の体調は万全なんだけど……四日も部屋から出なかったから運動不足になっているくらいだ。
……麗叶さんは心配してくれているんだろうな。
「咲空も一度会ったことがあっただろう? この者は大和と言って、我が一番最初に創った式神だ」
「大和、さん……」
「はっ、先日はご挨拶もせず失礼いたしました……私のことは大和で結構でございます」
「よい。咲空の好きにさせてやってくれ」
「はっ……」
……やっぱり感情が読めない。
前に会ったのは麗叶さんに何かの報告に来た時だったけたど、その時も表情がまったく変わっていなかった。
「大和には我の補佐を任せているのだ。今は下に行っておる他の者達にもいずれ挨拶をさせよう」
「麗叶さんには何人の式神がいるんですか?」
「葵と桃を除くと十二だな。大和以外の十一体には日々下の界を回らせて異常がないか見させているのだ」
十一人で日本全体を見回ってるんだ……すごい。
「この部屋には“記録”を保存していて、大和は我と共にその管理をしている」
「記録……あの水晶玉ですか?」
「そうだ。我自身や式神達が観たものを日々水晶に記録している。一つの水晶に十年程度の“記録”が封じられているな」
この部屋には図書館のようにたくさんの棚があって、数えきれないくらくたくさんの水晶玉が丁寧に並べられていて、どの水晶玉も映像?が流れている。
「式神達は人間界の記録を、我は雲上眩界の記録をしているのだが、人間界は地域ごと、我ら神族のことは一族ごとに分けて記録しているために数が多くてな……」
「すごいですね……」
さすがは天代宮様……神々に代わってこの世の総てを統括し、過去から未来へと繋いでいく……この部屋はまさにその証なのだろう。
私がこんなにすごい場所に来ることが出来るなんて、考えても見なかった。
「……もしかしなくとも、ここはとても大切な場所なのでは?」
「あぁ、ここは天代宮の中枢だからな」
「わ、私は入ってもよかったんですか?」
「咲空、そなたには我のことを知ってはほしい。全てを見てほしいのだ」
私を見つめて微笑む麗叶さんを見て、顔が熱くなってしまった。
それと同時に確かに感じることが出来た。
──麗叶さんは私を見てくれている、と。