4.秘密のお話②
「──賀茂先生は、私のお兄ちゃんなの」
「おにいちゃん」
「うん」
「そっか……うん、納得! やっぱりあれは可愛い妹を見る優しいお兄ちゃんって感じだよね~」
「……え?」
「いや、もともと兄妹っぽいなぁってみんなで話してたんだ」
「えっそ、そうなの!?」
「確信はないし本当になんとなくって感じだったけど、賀茂先生の咲空ちゃんへの態度が他の子に対しての時となんとなく違うような気がしたんだよね。表情が柔らかいっていうか、心を許してるって感じ?」
そうだったんだ。
私には分からなかったけど、そんな違いがあったなんて……
……ふふっ、バレちゃいはしたけど、少し嬉しいかも。
お兄ちゃんの中で私が本当に特別な存在になれているように感じられるし、私がお兄ちゃんの助けになれているようで……
「気づかれてたかぁ……絶対バレてないと思ってたんだけど」
「いやごめんね。でも教えてくれてありがと。みんながいる時だと聞きづらいし、咲空ちゃんも反応に困るだろうと思って今聞いちゃったんだけど……」
「大丈夫だよ。本当に卒業する時に話そうと思ってたことだから」
「なら良いんだけど」
「うん。……あっ、でもお兄ちゃんには内緒にしてね。私が言っちゃったこと」
「おっけ~」
「ありがとう。お兄ちゃん公私混同しないように気を付けてるし、みんなのことも本当に大切に思ってるから私に贔屓してたんじゃないかなんて思われたら気にしちゃうと思うんだ」
「なるほどね。いやぁ、みんな2人が兄妹だって知っても驚きこそすれ贔屓したなんて言わないと思うけど」
「そうかな?」
「賀茂先生、人気あるからね~。若いのにしっかりした先生だし、たぶん私たち以外は疑問にも思ってないと思うよ」
「本当?」
「ホントホント。私らは咲空ちゃんと一緒にいること多かったから」
「ふふっ、そうだね」
「にしても良いなぁ、ウチのアニキと違ってめっちゃ優しそう」
「うん、本当に優しい人だよ。……加奈ちゃんのお兄さんも話聞いてると十分優しそうだけどね」
「いや、ウチ以上に子どもっぽいよ? すぐ喧嘩になるしさ」
喧嘩かぁ……したことないな……
良いことなのかもしれないけど、喧嘩ができる関係というのも羨ましい。
思えば私は誰とも喧嘩したことがないかもしれない。私とお兄ちゃんには喧嘩をするような時間がなかったし、私は我儘を許されるような環境じゃなくて、他の人の言葉を受け入れるだけだったから。
喧嘩をして、それでも切れない縁で結ばれているという関係……私にはたまらなく眩しい。
「……喧嘩ができる関係も素敵だよ」
「そう?」
「うん、私はお兄ちゃんと喧嘩する間もなくここまで来ちゃったから。……ここまでくると喧嘩の仕方も分からない」
お兄ちゃんが自分勝手な人だったら違ったのかもしれないけど、あの人はそうじゃないから。
ううん、お兄ちゃんはとんでもなく自分勝手な人かもしれない。他の人の気持ちを考えずには自分を犠牲にしてる。でも、その自分勝手が行動が私のためのものだったと思うと怒るに怒れない。
「……私ね、お兄ちゃんがいるって知らなかった──忘れてたの。ずっと」
「え……? せ、先生は知ってたの? 咲空ちゃんが妹だって」
「うん。この学校に配属されて私の名前を見て驚いたって。でも、私が思い出すまで言う気はなかったみたい」
「……お家の人の都合で別れて暮らしてたとか?」
「ううん、そういう訳じゃないんだけど……でも、生き別れだったって意味ではそうなのかな」
私は最初に会った時にお兄ちゃんだと気が付くことはできなくて、既視感を感じるくらいだった。
その時は “お兄ちゃん”の存在を知らなかった……忘れてしまっていたから。
「私が3歳の頃、お兄ちゃんは事件……に巻き込まれて家に帰って来られなくなっちゃったの」
「事件……」
「そう。私、3歳の頃のことなんて忘れちゃってて……お兄ちゃんのことを思い出せたのもつい数カ月前なんだ」
「そうだったんだ……」
「お兄ちゃんは私のために戦ってくれていたのに、私はお兄ちゃんのことなんて忘れて自分のことだけしか考えてなかった。ずっと」
これは、懺悔。
麗叶さんにも、桃さんと葵さんにも、もちろんお兄ちゃんにも言えない。
私の全てを赦して認めてしまうから。
「ウチも3歳の頃のことなんて全くと言っていいほど覚えてないよ。写真見て物によってはこんな事もあったんだっけってなるくらい。……忘れちゃってたって事はそういう写真とかなかったんじゃない?」
「……うん、お兄ちゃんの写真は1枚も残ってなかったし、家族の誰もお兄ちゃんの話をしなかった。……だからかな、いつの間にか私の中でもお兄ちゃんはいなかったことになってた」
「それは辛いね……」
お兄ちゃんの記録はこの地上のどこにもない。
あるとすれば、お兄ちゃん自身の記憶と私の記憶の中にわずかに残っている思い出だけ。
「じゃあ、これからいっぱい写真撮らなきゃだ。今まで撮れなかった分まで」
「うん」
こんな話をして困らせてしまっただろうに、加奈ちゃんは私をまっすぐに見据えて言葉をくれる。
加奈ちゃんの目に映る私はどんな顔をしてる?
いつもの笑みを湛えている瞳とは異なる、真剣に私を射抜くような視線。
私が抱えているもやもやまで全てを見透かしていそう。
「きっと、賀茂先生は咲空ちゃんにまた会えたってだけで満足してると思う。外から見てるだけだけど先生、すっごく楽しそうにしてるもん」
「そうだといいな……」
「……今聞いただけだけど、咲空ちゃんは責任感じてるんだろうね。その人は確かに大切な人なのに、その人のことを覚えていないってめっちゃ苦しいし申し訳なく思っちゃうと思うもん」
「……うん」
「でも、思い出せないものはどうしようもないし、賀茂先生が咲空ちゃんのために頑張ってる間に何もできなかったっていうのも、3歳だったんなら年齢の問題もあるんだから仕方がない。……有体に言えば過去に囚われるなってことかな」
「そうだよね……」
「そうそう。……とは言っても、そう言って割り切るのは簡単なことじゃないし『仕方がない』で片付けたくないよね」
そう。当時の私にできることがなかったのは確かだし、小さな頃のことを覚えていないのも人間ならば当然のこと。
でも……それでも出来ることはあったんじゃないかって思ってしまう。小学生だったお兄ちゃんが努力の末に陰陽師になって、自分にかけられた呪いの一つを解いていると聞けばよけいに。
「今できることをしていくしかないんだろうなぁ」
「私には何ができるかな?」
「う~ん、とりあえずはあと少しの間は生徒として勉強でしょ? あとは咲空ちゃん自身が幸せになること、それにこれから先生の助けになれるように頑張ることとか? でも、結局は咲空ちゃんが自分で考えて頑張っていくしかないと思う」
「うん」
そうだよね、私が自分で考えなければ意味がない。
「咲空ちゃん、前を向いていくことが大事だよ。過去は私たちを助けてくれることはあっても道を示してくれることはないんだから」
そう言いながら親指を立てて笑う加奈ちゃんは自信にあふれ得ていてカッコイイ。
「ふふっ、そうだね」