1.五章プロローグ
《──起きよ》
……誰?
《吾は日神である》
神様?
《左様、今代の我らの愛し子が汝の目覚めを待っておる》
いや、まだ眠いの。
それに起きても真っ暗で怖いだけ。
《もう暗闇を恐れる必要はない。皆、汝の目覚めを待っておるぞ》
嘘、私はいつも一人だったもの。
暗闇の中で一人ぼっち。
私のことを知っている人なんていない。
だから、私をのことを待っている人なんて誰もいないの。
* * *
……私は赤ちゃんの頃から暗闇の中から自分の見ている景色を眺めていた。
私であって私ではない私の心の中は負の感情で一杯で、いつもそれに圧し潰されそうになっていた。
真っ暗な空間は私を飲み込んでしまいそうで、いつ自分が消えてしまうかとずっと怖かった。
私が見ている世界は明るいのに、私がいる場所は明るいのに、私がいる場所は何もない、ただただ闇が広がっている空間。先に進んでも後ろに下がっても、眺めている外の景色との距離は変わらなかった。
ずっと暗闇の中で過ごしてきた私には、何が普通なのか、何が正しいのか……何も分からなかった。
でも、私がしようとしていることがとんでもなく恐ろしいことのように思えて、物心がついた頃──うぅん、もっとずっと前から抗っていた。
私は私の存在に気が付いていなかったみたいだけど、私の苦し紛れの抵抗は確かに意味があったみたいで、私の行動にわずかながらの影響を与えることができた。
でも、私ですら知らない私の存在を知ってか知らでか、一人の老婆は私に語りかけるようにして私に話しかけてきていた。
その老婆が、私に最初にかけてくれた言葉はこう。
『あなたは優しくて強い子ね』
そんな老婆の言葉に私はこう返した。
『おばあちゃんの方が、ずっとやさしくてつよいよ』
私の祖母であるその老婆は、子どもらしい笑みを浮かべる私の心にもない言葉を笑顔で受け止めていた。
私は笑顔の裏で不信感を抱いていたけど、その時私は初めて“私”を見てもらえた気がした。
私は私がいるからか、赤ちゃんの頃のことも割と明瞭に覚えている。
お祖母ちゃんが私に気が付いていたのか、気が付いていたとしたらいつから気が付いていたのかは分からないけど、明確に私に向けられた言葉であると感じたのはこの、私が3歳の頃にかけられた言葉だった。
そんな“私”に向けられたお祖母ちゃんの言葉は、真っ黒に塗りつぶされた私の心には届かなかったみたいだけど、内に眠るようにして存在していた私の心に道を示してくれた。
私を支えてくれたお祖母ちゃんの言葉は他にも。
『あなたが暗闇から出られる日はきっと来るわ。……その時に私がいるかは分からないけど』
これはお祖母ちゃんが亡くなる3年前のある日にかけてくれた言葉。
この言葉には流石の私も怪訝な反応を露わにしていたけど、お祖母ちゃんに気にした様子はなかった。
そして、その後に続いた言葉はきっと私ではなく、正しくお祖母ちゃんの目の前にいる私に対して向けられた言葉。
『──人は助け合って生きているの。人のことを恨んではいけないわ』
私は顔を伏せて何の返事もしていなかったけど、お祖母ちゃんは穏やかに言葉を続けた。
『もちろん赦せないこともあるでしょう。だけど、受け入れることはできなくても、受け入れる努力はしてあげなくてはいけないの』
『人は完璧ではないから、過ちを犯してしまうかもしれない。時には赦されざる過ちを』
『他者を受け止めてあげられる広い心を持ちなさい』
その後から私はお祖母ちゃんを警戒するようになった。
……もともと警戒はしていたから、ほとんど会わなくなったという方が正しいかもしれない。
そして、たまに会う時には別れ際に私には意味の分からない怪しげな言葉をつぶやくようになった。
……私には私が誰で、過去に何があったのかわからない。
ただ、私が抱える暗闇の中で藻掻くことしかできない。
……とても辛いことがあって行きどころのない激情を抱えていることは、知っている。
私は私の中にいて、ずっと一緒に過ごしてきたんだから。
でも、それでもね。私の家族を傷付けないでほしい。
私には私が何をしているのかも、なんでそんなことをするのかも分からないけど、私がお祖母ちゃんに何かしていることも、お父さんやお母さんをおかしくしていることも、お姉ちゃんを殺そうとしていることも知っている。
お母さんがお兄ちゃんを忘れちゃったのも、私が赤ちゃんだった頃のある日お兄ちゃんが突然消えてしまったのも。
……私は私が怖い。
私が辛い過去を抱えていることは分かるけど、私は平然と他者を傷付ける。
私がやっているわけでなくても、大切な人に対して酷いことを言っているその光景を見るのは辛い。
『数年前に懐かしい人に会ってね、会ったのはその一度きりでその後はあっていないけれど、きっとその人もあなたに会いたがっていると思うし、あなたの力になってくれるわ。……だから、諦めちゃだめ。私もあの子達も、あなたのことを恨んでなんていない』
お祖母ちゃんが、私と最後に会った時に私に言った言葉。
この言葉はきっと、私と私の両方に向けられていた。
私は暗闇の中で泣いた。
真偽は分からないけど、唯一“私”を見てくれていた人がいなくなってしまった。
お祖母ちゃんの死から1年が経った頃、転機が訪れた。
13年生きてきて初めて、闇の中から出ることができたの。
いつも闇の中で眺めていた私が見た光を、私が見ることができたの。
……でも結局、私が私であれたのは一瞬でその後すぐに闇に引き戻されてしまった。
私が外に出られたのは、半身である朋夜さんに出会ったから。
……最初は朋夜さんが、内に引き戻されてしまった私に気が付いて私や家族を助けてくれるかと思ったけど、朋夜さんが私の存在に気が付くことはなかった。
それどころか、私の言葉にそそのかされてお姉ちゃんに酷いことばかりした。
私も最初は神族である朋夜さんの存在を警戒していたけど、朋夜さんが私の正体に気が付く様子が全くないことからどんどん大胆になっていったから……
私には謝ることしかできなかった。
お姉ちゃんに届くはずもないのに、私の中で謝ることしか。
ごめんなさい、ごめんなさいお姉ちゃん。
* * *
……誰も私に気が付いてくれないし、こんな私は誰にも赦してもらえない。
もう、嫌なの。
こうして眠っていれば、私の酷い行いを見なくて済むの。
《汝の祖母殿の言葉を思い出せ》
……お祖母ちゃんの?
《汝を恨むものはおらぬ》
恨まれていなくても、私がしてしまったことは消えないでしょう?
《それは汝が犯したことではあるまい》
変わらないわ。
《ならば、起きて赦しを請うのだ》
……赦してもらえるかな?
《無論。皆、汝を待っている。安心して目を覚ますのと良い》