30.過去との対峙
顔を伏せた彼の表情は伺えなくなってしまったけど、葛藤の末に結華ちゃんが私と一緒に少し離れることを許してくれたみたい。
彼から解放された結華ちゃんは私の方に来ると、困ったように笑った。
「待たせてごめんね」
「うぅん。ここでも良かっただけど、2人だけの方が話しやすいかと思って」
「うん。私からも話したいこととがあるから2人だけの方が落ち着いて話せそう。聴きたいこともいっぱいあるし」
……穏やかな顔でそう言っている結華ちゃんは今、何を考えているんだろう。
表面はいつもの結華ちゃんと変わらないように見えるけど、忘れたかった記憶も戻ってしまったはず。
2人で麗叶さん達から少し離れた場所まで来てベンチに座った。……移動中は何も話さなかった。
座った後、先に静寂を破ったのは結華ちゃん。
「ねぇ、咲空ちゃん。咲空ちゃんは、どこまで知ってるの……?」
そう尋ねてきた結華ちゃんの瞳は真剣そのものだけど、不安に揺れている。
「……たぶん、全部。結華ちゃんや彼…清光さんが当時何を思っていたのかまでは分からないけど、何があったのかは全部知ってると思う」
「そっ、か……。ふふっ、私も急に思い出したからまだ混乱してるんだけど、自分がこの大学に変に執着してた理由がわかった」
「……うん」
「歌が好きだったのも、聞いたこともない童謡を知っていたのも、ちゃんと理由があった」
「……」
「──……思い出せてよかったぁ」
「え……?」
「ふふっ。大丈夫だよ、咲空ちゃん。……何も思ってないわけじゃないけど、あの人と再会するっていうあの時には叶えられなかった願いを叶えることができたんだもん」
結華ちゃんは暖かい光を注ぐ太陽に手を伸ばして言葉を続ける。
「……本当に、思い出せてよかった」
これは、結華ちゃんの本心だと思う。
結華ちゃんの過去を知って心配している私を気遣って言っているんじゃない。ちゃんと自分の過去を受け止めて、そのうえで『よかった』と、そう言っている。
……なんて強いんだろう。
「咲空ちゃん、ありがとう。ここに一緒に来てくれて」
「……私が来たかったっていうのもあるけど、神様からの指示でもあったんだ」
「神様からの?」
「うん」
「神様が……。ふふっ、本当にいたんだね」
結華ちゃんの言葉に皮肉のようなものは混ざっていない。
純粋にびっくりしているみたい
「私も最初はびっくりした」
「咲空ちゃんも? あっ、一応の確認なんだけど、咲空ちゃんは天代宮様の半身ってことでいいんだよね?」
「うん。……内緒にしててごめんね」
「ふふっ、謝ることじゃないよ、すっごく驚きはしたけど。じゃあ、神様とはその関係で会ったの?」
「うん。……その、清光さんのこともあって……」
「──っ!」
挙がった彼の名前に結華ちゃんがわずかに強張ったのがわかった。
こうして私から話し出してしまったけど、結華ちゃんが一番私に聞きたかったのは彼のことのはず。
結華ちゃんはさっき彼が語ったこと以上のことを知らない。
彼女は12歳で彼と引き離され、再会が叶わないまま18歳で生涯を終えてしまったから。
……それでも、この時代にも変わらぬ姿で存在し、神族である麗叶さんと敵として相対していた彼を見て、自らを悪人と評し、『多くの人を殺し、罪なき命も奪ってきた』と語っていた彼を見て、多くのことを悟ったはずだ。
それに、結華ちゃんは彼が悪に身を堕とした理由が自分を想ってのことであるということにも気が付いていた。
「……咲空ちゃん。清光兄様は私と……初華と別れた後どうしていたの?」
「……」
「私が知らないところで、あの人に何があったの……?」
結華ちゃんには知る権利がある。
彼が自身を想うのと同じく彼を思い、彼の罪を共に背負うと決意した結華ちゃんには、自分と別れた後の彼が、自分が死んだ後の彼が何をしてきたのかを知らなければならない。
愛する人が自分の知らない所でどのような道を歩んできたのかを。
「……結華ちゃんが、初華が都に連れていかれたあと──」
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私は話した。
彼女が連れていかれたとき、彼が村人から折檻を受けていたこと。
彼女が連れ去られたことを知って嘆き悲しみ、後を追って都へ向かったこと。
6年かけて彼女の行方を掴み、彼女がいる屋敷に訪れていたこと。
門前払いされても罰を受けても諦めず屋敷の門を叩いていたこと。
……そうして数か月が経ったある日、焼け焦げた姿となった彼女を突き付けられたこと。
計り知れない憎悪に支配された彼が激情のまま屋敷に討ち入ったこと。
暗い森の中に消えた彼が、そこで妖の王と出会ったであろうこと。
妖の王、黒邪となった彼が、彼女に起きた悲劇を繰り返さないためと神から加護を受けた愛し子を殺し続けていたこと……
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「彼、黒邪の存在に気が付いたのは偶然だった。私を狙って私の妹に憑依していて、私が麗叶さんの半身だったから……」
「そっか……咲空ちゃんは初華と同じだったんだね」
「うん……」
……悲しそうな顔をしている結華ちゃんは、初華の死が彼を歪めたと思ってしまっているのかもしれない。
「……彼、清光さんはずっと結華ちゃんのことを想ってた」
「……」
「私たちからすると間違っているように思えるやり方も、彼なりの正義だったんだと思う」
「きっと、そうだと思う……兄様は本当に優しい人だったから」
「……うん」
「教えてくれてありがとう。兄様を止めてくれたことも、今日ここへ付いてきてくれたことも、本当にっ……」
「結華ちゃんっ……!」
涙を流す結華ちゃんをそっと抱きしめる。
……結華ちゃんがちゃんと心を整理するためには時間がかかると思う。
私も自分の心を整理するのに時間がかかったし、まだ完全には整理しきれていない。
結華ちゃんが背負って過去は私以上に重い。
遠い昔の出来事であるはずの重い過去が、今になって結華ちゃんに圧し掛かっている。
「咲空ちゃん、最後に一つだけ教えて……」
「……どうしたの?」
「兄様は、どうなるの?」
「……まだ、わからない。結華ちゃんと会わせて、その後で受けて処遇が決めることになっていて……」
「そう、なんだね……」
「うん」
結華ちゃんは彼を赦してくれとは言わない。
彼が犯してきた罪を理解していて、その上で一緒に背負おうとしているから。
「……そろそろ戻ろっか」
「……そうだね。あんまり時間がかかると心配してこっちまで来ちゃうかもしれないし」
結華ちゃんの目元はまだ赤い。
今は心の中で嵐が吹き荒れているかもしれない。
でも、結華ちゃんは大丈夫だと、かつての私のように折れてはしまわないと言い切れる。
結華ちゃんは真っ直ぐ前を向いて、光の中を歩けているから。