29.本来の姿
自分も罪を背負うと言う結華ちゃんの意志は固いようだ。
そんな結華ちゃんのかつての名を呼び、思いとどまらせようとする彼には人間味が溢れている。
そう、彼は姿だけなら人間のように見える。
封印を解いてすぐには確かに感じた澱んだ気──黒邪だった頃の名残が感じられないのだ。
……結華ちゃんに会ったことで、浄化されたの?
麗叶さんでも妖の王に浸食された魂を完全に元に戻すことは出来なかったどす黒い気が?
私には陰陽師の目に映るという穢れが見えていないから、あくまでも“そう感じる”というだけかもしれないけど、気配が変わっている。
……もしかしたら、お兄ちゃんがここにいたら彼の変化を視覚的に捉えられたのかもしれない。
二人はしばらく押し問答を続けていたけど、彼が縋りつくように結華ちゃんを抱き寄せたことで再び静寂が訪れた。
互いの存在を確かめるかのように身を寄せて抱き締め合っている二人。
……二人が再会できてよかった。
理不尽にも引き裂かれて、再会が叶わないままに一方は命を奪われた。そして、もう一方は憎しみに身を堕として幾世紀を復讐のためにと過ごすことになった。
……その時の中で赦されない罪を犯すことにもなった。
二人はどちらも神族ではないけど、半身みたい。
神族とその半身のように引かれ合って、幾世紀を経たこの時代に再会を果たした。
「──……麗叶さん」
「どうした?」
「彼は今後どうなるんですか?」
「……そなたはどのような処遇が良いと思う?」
「処遇……私は、」
神様から加護を受けていた人達だけを考えても、彼は10人近くの人の生を理不尽に奪っている。
彼女を失った時にも多くの人を殺していた。
それに、時代によっては神の加護が地上にもたらされなかったために飢饉が起きてなくなったという人もいると思うし、亡くなった人だけでなく、その周りの人達も辛い人生を歩むことになってしまった。
私自身、彼に人生を狂わされた人間の一人だ。
両親との仲が好転し始めた今でも考えてしまう。
彼の関与がなければ家族と違う関係を持つことができただろう、お兄ちゃんと美緒も人生を狂わされることなく普通の生活を歩むことができただろう、そんな風に考えてしまうのだ。
私のことだけは、彼の関与がなければ麗叶さんに出会うこともできなかっただろうと考えれば折り合いも付けられるし、許すのは難しくとも納得は出来ると思う。
でも、お兄ちゃんは未だ家族を完全に取り戻すことができず、両親は息子を失ったことに気が付くことさえ許されていない。美緒は、生まれた時から本当の自分であることができずに精神を自分の肉体に閉じ込められていて、解放されたはずの今も目を覚ましてはいないのだ。
──……でも、
「私には、正解がわかりません……」
彼にも相応と言えるかは分からないけど、理由があったのだ。
許されざる行為も彼からしたら救済のつもりだった。
……悪意がなければ赦されるというわけではないし、彼が赦されてはいけないことをしたという事実は変わらないけど、彼は……悲劇を見すぎた。
価値観や思考を歪めてしまうほどの悲劇を。
彼女だけじゃない。
彼女と同じく人知を外れた力を授けられた人の生き様……権力者や欲深い人間に使い潰されている様子を見て、富をもたらす力をもっていても幸せにはなれないという認識に陥ってしまった。
そうして、ある種の義務感のように加護を受けた人を終わりに誘った。
……悲劇が起こる前にと。
消えることがない憎悪と喪失感は彼が妖に身を堕とした後にも彼を蝕み続け、罪を犯させ続けた。
そう、赦されてはいけない罪を。
だけど……再会が叶った二人をまた引き裂くことも、私にはできそうにない。
甘いと言われてしまっても仕方がないけど、どうしてもできそうにない……
「……さて、そろそろ話を進めよう」
「!」
「天代宮……」
彼は突然響いた自分たち以外の声に驚いて身体を離した結華ちゃんを再び自分の方に引き寄せて腕の中に隠すと、緊張した様子でにこちらを見据えている。
「清光兄様? お知り合いですか?」
「……あぁ。初華、お前は隠れていろ」
「天代宮とは、あの……?」
「……」
顔の前にある彼の腕をどかした結華ちゃんと目が合う。
「……咲空ちゃん?」
「うん、混乱させてごめんね。えっと……結華ちゃん?」
今、結華ちゃんの人格はどちらだろう?
私の名を呼んでくれたとはいえ、纏う空気が私の知っている結華ちゃんと違う。
老成したようなと言うと違うかもしれないけど、私を見ているはずの瞳はとても凪いでいてどこか達観しているように見える。
麗叶さんの隣に並び立つ私にパチリと目を瞬くと、私の混乱を察したのか困ったように眉を下げた。
「安心して咲空ちゃん。私は“結華”だよ」
そう言う彼女の笑顔は確かに結華ちゃんであると感じさせた。
……結華ちゃんも、どこまで話したものかと考えあぐねているのかもしれない。
普通の人に過去世の記憶が戻ったなんて話せないと思いつつも、私が自身の変化を感じ取っているとわかったのだと思う。
「……麗叶さん。私は結華ちゃんと話してきてもいいですか?」
「勿論だ。……我はここで彼奴を見張っていよう」
「ありがとうございます。結華ちゃん──」
「っ、近づくな!」
彼は近づいた私に警戒したのか、結華ちゃんを抱えたまま後退る。
「清光兄様!?」
「駄目だ初華、行くな」
「兄様? 彼女は私の友人です」
「しかしあの神子はっ──」
「……咲空が人に害をなすと思うか? それも友人である者に?」
「はい。私は彼女に何もしません。少し話をしてくるだけです」
「……兄様、私も彼女と話をしたいです。お許しいただけますか?」
「っ……」
結華ちゃんを離そうとしない彼は不安そうに瞳を揺らしていて、再び彼女を失うことを恐れているように見える。
「兄様、大丈夫です。……咲空ちゃん、そんなに長い時間じゃないよね? またここに戻ってくるんでしょ?」
「う、うん」
「ほら兄様。私はすぐに戻ってきますから」
「しかし……」
……正直、驚いている。
黒邪として恐れられていた彼が幼い子どものように結華ちゃんに──年下の少女に縋りついている。
結華ちゃんは彼が何を不安に思っているのかわかっているから、納得してもらえるように言葉を尽くしているのだろう。
──きっと、彼が不安に思っているのは、|彼女が再び消えてしまうこと。
大切な人を失うことを恐れる彼はやっぱり人間のようで、私としては複雑な気持ちになってしまう。
この数分だけでも彼の本来の姿が伺えた。
だからこそ、迷いが生じる。
彼をどうするべきなのか……