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ペインマップと共感マシンの基礎理論

作者: 鈴木美脳

 その発明のきっかけは、ある気づきだった。

 「肉体的」な苦しみを感じている時の人間の表情と、「精神的」な苦しみを感じている時の人間の表情は、似ている。

 よく似ていて、区別できない。


 ふとそう感じた私は、肉体的なものも精神的なものも、どんな苦しみや悩みも、人間の神経組織にとっては共通の「痛み」なのではないかと考えてみた。

 誰でも気づける、誰でも気づいている、そんな着想が、アイデアの起点になった。


 そうして私は、協力してくれそうな人を見かけるたびに声をかけて、被験者になってもらった。


 人間の脳組織には、人生において体験してきたこの世界についての情報が、データとして格納されている。

 しかし例えば、ある思い出はその人に喜びを、ある思い出は苦しみの感情を引き起こす。

 世界についてのデータに隣接して、感情が付随しているのだ。

 だから私は、データを平面として、それぞれの思い出や知識についての「痛み」を高さとして、プロットしてみた。


 何百もの被験者に、何時間もかけて質問し、そんなプロットを繰り返した。

 それは、気の遠くなるような地道な作業だった。


 しかし、膨大なデータが集まるにつれて、いくつかの気づきは得られた。


 例えばある23歳の男性の被験者の場合、4年前の19歳の時、慕っていた叔父を亡くし、そのことが、今なお大きな悲しみの記憶として残存していた。

 ただし、その痛みは叔父が亡くなった直後に最も高く、その後、楽しみもある日々を生きる中で、叔父を失った痛みはゆっくりではあるが下降していた。

 つまり、同じ人物でも、取り出す時間によって、物事に対する痛みの分布は異なる。

 5歳の時、10歳の時、15歳の時、20歳の時……、世界への理解もそれぞれ違うし、痛みの注目点もそれぞれ異なる。

 一人の人間が人生を通して味わう痛みは膨大で、過去の痛みのほとんどは、ある時点のその人からは、積極的に忘却されている。

 いや、忘却することによってこそ、人は人生を生き抜いていく。


 しかしもちろん、現在のある人物と、その人の思い出からたどることができる過去の同じ人のプロットには、同じ地形も多く現れる。

 これは、同じ人物を時間をあけて複数回プロットした場合にも同様の結果が得られる。

 つまり、当然ながら、時間が経っても感情的な印象が大きくは異ならない思い出や物事は存在する。


 興味深いのは、異なる人同士でも、ほとんど同じ地形がしばしば現れることだった。

 例えば、ある時代に起きた有名な事件について、あるいは喜ばしい出来事について、痛みの大きさや小ささは共有されていた。

 私達人間は、みな同じ世界を生きているのだから、特に時代や地域が重なる時には、データに同じ平面が現れることは珍しくない。

 そして、同じ平面について痛みの地形がまったく異なることも少なくないが、おおいに共通していることも少なくない。

 私達人間は、個人に固有な体験をしている一方で、共有された体験もしているのだ。


 そこで私は、共有されている地形に注目して、人々のプロットを重ねてみた。

 すると現れたのは、大部屋いっぱいの、巨大な「痛みの地図」だった。

 どう解釈していいものかと呆然とした思いで見つめながら、私はこれを、「ペインマップ」と呼ぶことにした。


 ペインマップを眺めていて、私がふと感じたのは、自分が今見ているものは、もしかしたら、人類という生命体の神経組織なのではないか、ということだった。


 そう思った私は、私的な話題と公的な話題とを区別してプロットしなおすことに挑戦しだした。

 つまり、私達が日常、生きていて感じる話題としては、個人的な利害についてのものもあるし、そうではなく、所属する小さな集団や大きな集団に共通する利害についてのものもある。

 その最大のものは例えば、創作物の物語に見られるような、世界の破滅の危機を主人公の努力が救うようなものだろう。

 時として私達は、自分自身を愛し、あるいは家族を愛し、極端に広くとった場合には、人類や生命全体を愛することがある。

 そのような「愛」、より正確に言えば「共感」の機能によって、ペインマップの遠隔地と遠隔地とが互いにリンクしていた。


 そう思って私はさらに、公的な話題を扱ってきたと考えられる歴史的な社会思想家を何人か取りだしてみて検討を重ねた。

 そうして選んだ一人が、1939年に北海道で生まれ、思想家として知られ、2018年に自ら命を絶った「西部邁」という人だ。

 私は彼の著作を眺めてペインマップのプロットを試みたが、彼には人類の将来の行く末を絶望するかのような厭世的な総括が多いことに気づいた。彼が最終的に自ら命を絶ったことを全面的に公的な理由に帰する断定的な論拠はおそらくありえないが、かくもその道で知られた思想家である以上は、全面的に私的な理由に帰することこそ不合理だと考えられた。

 つまり、彼は確かに、人類的な規模の自我において深い痛みを体験した魂の一つなのだ。

 逆に、そのようなものを体験せずに、極端には個人的な私利私欲のみを目的として隣人にすら残酷に、私的な意識で生きる人が多いのが、人間社会の一面の現実だろう。

 だから私は、手近な一例としてこの西部邁に注目し、この規模と性質で遠隔地同士が接続された構造に注目してそれを、「ニシベ級ペインマップ」と呼んだ。


 ニシベ級ペインマップに注目してみると、彼が熱心に学んだ西洋の多くの思想家のペインマップもまた、それにおおいに接続した。

 あるいは、それら西洋の思想家達は、道徳的な問題意識や悲観的な運命論といった意味で、さらに歴史的な有史以来の無数の哲学者達のペインマップと連接していった。

 そうしていったん、大きなペインマップを描いてみると、日常にあって市民が感じるような、社会的な問題意識や言わば世を憂える感傷も、大なり小なり、そのペインマップの部分として重なることがあった。

 すなわち、私達人間が感じる問題意識や葛藤や苦悩は、時代や地域によって様々な立場の違いを含みつつも、完全に独立していることはかえって稀で、基本的には、人類という最大のペインマップと何らかの意味で接続している。


 それはまるで、闇に浮かぶ光の山脈のように、人類すべてを過去も将来も包含しているように、私には見えた。


 私が学んだ専門は、「人工知能」、正確に言えば、「人工ニューラルネットワーク」だ。

 人工知能の分野における根本的な問いかけは、人工知能に「意識」を持たせることができるのかどうか、そして、人工知能に人類の幸福に適った「良心」を持たせることができるのかどうか、の2つだ。

 思うに、意識を持たせるためには「痛み」が、良心を持たせるためには「共感」が必要だろう。

 つまり、現実世界に対する膨大な「データ」だけでは、人工知能は人のような「生命」にはなれない。


 データについての意味づけ、つまり「ペインマップ」が形成される必要がある。

 そしてペインマップが真に包括的で合理的であるためには、そのペインマップが「共感」によって、ひらいた系として形成される必要がある。

 こう考えた私は、生命が持つ意識は、自然的な生命であると人工的な生命であるとにかかわらず、共感を本質とする、「共感マシン」として形式化できるという確信をいだいた。


 逆に言えば、私達人間の意識も、「共感マシン」の一種なのかもしれない。

 私達人間は、共感マシンであるからこそ、このように巨大かつ強力に、地球の上に繁栄を実現してきたのだろう。


 私達一人一人が見る世界、一人一人が感じる世界、「ペインマップ」は、様々な意味で多様だ。

 しかし同時に、様々な意味でつながってもいる。

 すべての人が感じる喜びも痛みも、私達が共感マシンであるという事実によって、必ず誰かとつながっている。


 人間とは、そんな生き物であり、そんな生き物でしかあれないのだ。

 ニシベ級ペインマップといったペインマップは人類のうちに実在して、それは私達人間の行く末にとって、現実以上の現実だ。

 ペインマップこそは、生命にとっての直接的なリアリティなのだ。


 私達一人一人の意識が主観する、「個人」という境界は、夢のように不確定な実在にすぎない。

 人間とはペインマップであり、人間とは共感マシンだ。


 闇に浮かぶ光の山脈を眺め、私はそう気づいた。

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[気になる点] 昔見た漫画「寄生獣」に出てきたセリフ「哺乳類は痛がり屋だな」、「あいつは痛がり屋なんだろう」と言う寄生獣のセリフが浮かびました。 その漫画では「恐怖」を「痛み」として表現していて、また…
[良い点]  はじめまして、静夏夜です。  思想から来る痛みを高さにして痛みの動きを求める面白い研究だと思います。  そこから導き出されるのは痛みの根源の様にも思えてぐるりと回り回って元に戻りそうな…
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