ティーパーティー・メアリー・スー②
四人掛けのテーブルに彼は一人取り残されてしまった。
テーブルを硬く打った拳は崩壊するようにゆっくり開かれ、だらりとソファに落ちた。
「紅茶が美味しい頃合いだが……まぁいい、少年から先に傷を治そう。こちらへ」
コト、とテーブルにさっきまでなかった白磁のティーカップを置いて小日向は淡々とそう言った。
いつの間に持ってきていたのだろうか。優雅にユニオンジャックのランチョンマットを使って気分はさながらイギリス紳士のような死神だ。一つの友情がティーカップをひっくり返すように台無しになりそうだっていうのにこの人はなんて呑気なんだろうか。
それでも少年は指示に逆らうことなく、小日向の方に行った。
「短時間の間に随分とやられたようだね。彼らも高校生とはいえやっぱりもう立派に人を殺せてしまう大人というわけか。そういう風に設計されているモノ、いやヒトか。歳月と思い出は残酷だ」
そう言って張り付けたような笑みを浮かべる小日向が僕の肩に手を当てると、そこが緑色に淡く光り全身の痛みが同時に和らぎ始めた。顔や膝の擦り傷が徐々に塞がりだす。
体験してみると不思議な感覚だが、それ以前の戦闘がエキセントリックなものだったために僕は過度に驚きはしなかった。
「どういう意味? 思い出せる過去、思い出せる自分があるっていうのは僕にとっては羨ましい話だよ。決して残酷なものじゃないと思うんだけど」
小説家らしい含みの多い言葉に少年は真意を探り当てられなかった。
記憶を失っているというイレギュラーだからこそ、その一般論風な一言は引っかかった。思い出、という過去の記録は少年が欲する記憶の一つだからである。
少年の純粋な問いかけに小日向は表情を少し寂しげにして、答えた。
「残酷だよ。昨日の自分は今日の自分ではないし、もっと昔の自分も今日の自分ではない。成長する度に周りの風景も目まぐるしく変わっていく。例え本人が変わらずとも、何もせずとも、先を行ってしまうばかりで、だから歳月が経つのは残酷なんだ。そうなると、思い出に縋るのって惨めじゃないかい? ただの現実逃避でしかないんだ。そう言われてしまうんだ――けど、小説は違うよね。書き進めない限り変わらないでいてくれる。気に入らないなら読まないこともできる。君だって小説にそんな夢を求めたんだろう? ピーターパンのような夢を」
ピーターパンのような夢――永遠に子供でいられる夢。
少年は思う。この人も迷っているんだ。外の世界に怯えているんだ。
あんなに残虐で大きな力を有しているのに、ちょっと情けないそんな裏の感情に少年は同情のような感情を覚えた。
「あなたも迷っているんだね。僕も分からない。先に進むのは怖い。だってどっちに進めばいいのか分からないんだもの。もっといえば僕はどう進んできたのかも忘れちゃった。このままここにずっと居たいとは思う。けど、それは否定されるんだ。僕の中の僕に。生きないといけないらしい。生きてどういう意味があるのか分からないけど、何故かそういうことになってる」
「生きることの意味探しか……それが君の生きる理由でもあるのだろうね。まぁ、生きる意味なんて考えるだけ無駄さ。一先ず将来の夢とかを決めた方が有意義だね。君は何でもに会いそうだが……ピエロなんてどう?」
小日向は重たげな口角をほんの少しだけ上げて、少年にそう言った。
「ピエロは嫌。怖いよ」
「食わず嫌いはいけない。ピエロにだっていいピエロはいるんだ。ペニーワイズとか、キラー・クラウンとか……やっぱりピエロにいいやつはいないかもしれないな、いや今のは冗句だ。真に受けないでくれよ」
「なぁにが冗句だ。お前のそれにはユーモアがない」
怒りの矛先が変わったのか、遼は先ほどよりトーンを落として小日向を侮蔑した。冗談一つに過敏になっているのは先ほどの一件があるせいだろう。
「悲しいこと言うね、笑いたくなってしまう。君の批評は。まぁ、いいさ。心無い人形の心無い言葉なんて響かないのだから」
「お前……まぁいい。てか、俺が一番イラついてんのは一発で俺らの正体見分けられたところなんだよな。どうして分かった?」
ハイエナのように獲物を狙いすましたような目が爛々と翳るテーブルから発せられる。先ほどまでのやり場のない怒りと悲しみを抱えた顔はもうそこにはなく、自分の正体がばれていると察して心の底から笑ってすらいた。
不気味なことに余裕すらあるように見える。
遼はおおよそ自身の正体と呼べる性質について、自らひけらかすことはなくとも、気づかれることに支障はないと考えていた。
岬の小説ーー【亡き友人に送る幻想日記】
既に発動し続けているソレを止める手立てはないのだから。
「教える義務も義理もないが、逆に勿体ぶる必要もない。紅茶飲んで機嫌良く、ジェスターの演劇を見て愉快な私は無償で教えよう」
そう言うと、紅茶で一服する。
一触即発の中その行動はファミレスに相応しいくつろぎ方だ。
やがて紅茶をソーサラーに戻した小日向は短く嘆息すると、話し始めた。
「私の小説【死神転生】は主人公であるグリードラスの持つ能力が使えるというもの。鎌を出したのも、瞬間移動したのもどちらもグリードラスが作中使った能力だ」
本当に何の躊躇もなく小日向は話していく。
「そんなに簡単に話しちまって大丈夫か? 後で聞かなかったことにしてくれって言ってももう遅いんだぜ?」
心配するというよりはおちょくっているように遼はニヒルな笑みを浮かべていた。
「大丈夫さ。今は機嫌がいい。それに知ったところで誰も抗うことはできないからね」
強者ゆえの傲岸不遜、冥王のような発言にプライドのお高い高校生である遼はすぐに噛み殺すような表情をした。
「あっそ……さっさと続きを話せよ」
「僕の能力の元ネタ、グリードラスは死神という肩書であるために命に関しては扱いに長けている。『生命感知』という能力を使えば、自分の周囲にどれくらい生物がいるのか分かるのさ。で、君らは生命として判定がバグっていた。それと評価ポイントのタトゥーもなかったしね」
「生命判定バグってるとか悲しすぎて涙ちょちょぎれちゃうな。今からでも入れる生命保険があるんですか? って感じだわ」
「生きてない……つまり遼は死んでるの? 生きる屍? 幽霊?」
生きてないという状態で動くモノを想像した時それしか浮かばなかった。暗い土の中、朽ち果てた棺から這い出てくる眼球がドロリと飛び出た遼の姿を想像した。でも、斜め向かいで座っている遼は僕を愉快そうに痛めつけたときと同じく瑞々しい肌をしている。
「腐ってなくて、ちゃんと血の通った肉体だってのにどこをどう見てそんな化け物と同レベルに扱ってんだ? そして、呼び捨ては聞き捨てならねー。先輩かさんか様か敬称を付けるのは世の常識だろ。真っ黒ナナフシ、回復とやらで思考力に後遺症が残るなんて聞いてねーぞ」
「君のチンピラ度が如何せん高すぎるせいだよ。君らはこのゲームの参加者ではないのだろう?」
「遼は――
そこまで言いかけたところで遼はこちらをギロリと睨んで軽く舌打ちをした。遼は禁止する一線を引いた。言葉でない分余計早く伝わった。
「さん付けはどーした、ガキィ? 年功序列ってーのを学べよ。何のために敬老の日があると思ってんだ?」
「ははは、年功序列を若者が言うとは……君はきっといい上司になりそうだね」
小日向はそう言って渇いた笑みを浮かべた。
湯気の立つティーカップを回しながら角砂糖を一つぽちゃりと入れる姿を、遼は何か膨大なものを訴えるように見ていたが、ぷいっと少年の方に視線を戻して蛇のように睨みつけた。
睨まれてはしょうがなく少年は『年功序列』に従って丁寧に話した。
「……遼さんはデスゲームの参加者じゃないっていうのはおかしい。ここに連れてこられた人は全員殺し合いの参加者じゃないの?」
純粋な疑問だ。
このレストランを例にすれば分かるようにこの場所、あるいは世界にはデスゲームの参加者以外の人がいない。
店員は何時まで経っても注文を取りに来ることはないし、窓から見下ろせる道に会社に向かうサラリーマンの姿もない。
遼がこのゲームの参加者でないというなら、ここには存在していないはずなのだ。にもかかわらず五体不満足になっても太々しくここにいる。
「そうやって最初からあり得ないって食って掛かると、損するぜ。おい、黒坊主。お前が何をどう把握したのかは理解した。が、そっから先はプライベートの話だ。それ以上はタブーだ。口を滑らしたら殺す」
「……それは困るな。少年、真相には自分で行きつきなさい。きっと解けない謎ではないから」
あくまで紳士を気取る小日向はそれ以上語らず、ティーカップをゆったりと傾けた。
「なぁ、そんなことよりお前、名前なんて言うんだよ。こっちのクソ野郎の呼び名はどうでもいいとして、お前の名前は聞いておきたい。
少年は思い出す。自分の中に深く沈んだもっとも恐ろしい謎を。
遼の言葉で再び泡立ちながら浮上した答えの見当たらないブラックボックス。そう、少年は脳の端から端まで繋がる全ての神経に情報を巡らせるが、自分についての情報が一向に曖昧なままなのだ。
自分がここに来るまでは何をしていたのか、自分がどのような想いであの小説をかいたのか。自分の出生や家族、友人そして名前でさえも。
「僕の名前、名前は……」
渇いた口内から出た言葉は断片的で解れていく。そこから先、次の言葉がでない。
少年は何度かその先を言おうと口を開きかけたが、どうしても行き当たるのは黒く頭痛を誘う感覚だけ。
下に一瞬俯いた少年は自分自身の手を握り合わせると、困ったように観念したように笑ってみせた。
「僕は一体誰なんだろう?」
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岬の小説【亡き友人に送る幻想日記】……しんみりしたネーミングでありながら中で人が死んだ記述は一切ないし、今も欠かさず岬と友人二人の日常が書き続けられている。
永遠に日記は続く。書き手が死なない限り、呪いのように。