ガラスの靴に憧れて
むかしむかし、あるところに、美しいお姫様が居ました。
「世界一美しいお姫様でしょお!?」
あー、はいはい。そうですね。世界一美しいお姫様が居ました。
金の巻き毛に、サファイアのようなブルーの瞳。亡き王妃様に生き写しの、それはそれは美しいお姫様。
親馬鹿の王様は、そんな娘をこれでもかと甘やかし、中身はかなり残念な出来に仕上がっておりましたとさ。
「ちょっと、後半!」
うるさいな。そろそろ本題、行きません?
「ちっ、生意気な奴」
お上品にも舌打ちしてから、お姫様は仰いました。鈴を転がすような美しいお声で、きっぱりと。
「舞踏会をひらくわよ!」
は? 唐突に、何ですか。
「本題に入れって言ったのはあんたでしょ! 舞踏会よ! 国中のイケメンを集めて、お城で舞踏会をひらくの!」
大きな瞳をキラキラと輝かせて力説する彼女の胸には、某・有名童話の絵本がしっかりと抱きしめられていました。
敢えて何の童話とは申しませんが、このお話のタイトルでわかりますね? わかりますよね?
継母と意地悪な姉たちにいじめられている薄幸の美女が、色々あって王子様と結ばれるっていうあれです。「お城の舞踏会」も出てきますね。
……って、あの話をリアルでやる気ですか。しかも男女逆で。お姫様が国中のイケメンを集めてパーティーですか?
「何よ、悪いの!? それって男女差別よ!」
や、よく考えたら、国中の美女を集めて舞踏会という名の婚活パーティーをやらかす王子様もどうかって気はしますね。わりとドン引きです。
「でしょ!? 男女逆でもおかしくないのよ!」
……おい、聞こえなかったのか? わりとドン引きだって言ったんだよ。
「私は絶対に舞踏会をひらく! そしてガラスの靴を履いた王子様と出会うの……」
王子がガラスの靴履いてんのかよ。
男の正装にガラスの靴って、どこの芸人だよ? それとも、ドレス着てハイヒール履いてんのか、ああ?
「私の王子様……今は貧しく不幸な青年は、意地悪な継父と兄たちにいじめられて、灰まみれになりながら毎日、働かされているの……」
設定は同じでも、相手が男だと、すげえヘタレに聞こえるのはなんでだろうな。
……どうでもいいが、うっとりしながら宙を見上げるのはやめろ。付き合うこっちが恥ずかしいわ。
「そこに届く、舞踏会の知らせ! 世界一の美女と名高い王女の目に留まれば、逆玉の輿も夢じゃない! どうしても行きたい、と胸躍らせる彼……」
ヘタレの上に俗物だな、あんたの王子。マジで行きたいのか、そんな舞踏会。
「けれども彼は舞踏会に行けない……。意地悪な父親と兄たちに留守番を言いつけられて……。着飾って舞踏会に出かける彼らの姿を、ただ見送るだけ……」
俗物の身内は俗物か。血はつながってなくても、心はつながってるのな。
あと、親父も着飾ってるわけ? 逆玉の輿、狙ってんの?
「悲しみにくれる彼の前に、奇跡が訪れる! 毒舌で生意気で下品な魔法使いが、王女の命令で彼を救いに現れるの!」
…………。
はて、そんな話だったか。
魔法使いって、確か何の脈絡もなく現れるよな? しかも毒舌で生意気で下品な……?
「鈍いわね。あんた以外に誰が居るのよ」
…………。
「国一番のイケメンを探して、舞踏会に届けてちょうだい」
仕込みかよ、やらせかよ!
だいたい俺は魔法使いじゃなくて悪魔だっての!
「細かい違いはいいから、黙って言う通りになさい! ご主人様の命令は絶対でしょ!?」
まあ、それが契約だからな。
どれだけくだらない、阿呆くさい命令でも、王家の人間が言うことには従わなきゃならない。今から100年ちょっと前、こいつのひいじいさんと結んだ契約だ。
金がほしい、力がほしい、他国の領土がほしい、国民の尊敬を集めたい、美女にモテたい。
歴代の王は、ありとあらゆることを俺に願った。
おかげで、もとは辺境の小国だったこの国は、いまや世界に名だたる強国になったさ。
お姫様の母親も――世界一とまでは言わないが、絶世の美女だった――俺の魔法で、この国に嫁いできた。
もっとも、悪魔ってのは慈善事業家じゃない。むしろ悪徳金融に近いってことは誰でも知ってるよな。
早い話が、受け取った利益以上の見返りを要求されるわけだ。
悪魔が求める見返り。
そう、人間の魂だ。しかも一国の繁栄を支え続けたんだ。1人や2人の魂じゃ足りない。
契約を結んだ王から数えて、ちょうど13代目で、この国は滅びる。
戦争が起きるのか、大きな災害に見舞われるのか、原因はわからないが、とにかく滅びる。
それが「契約」の力だ。お姫様のひいじいさんが、俺と契約した瞬間に確定した、この国の運命だ。
で、「滅び」の訪れをもって、この国の人間の魂は、そっくり俺のものになる。王族も貴族も民衆も区別なく。生きたまま魂を抜かれることになる。
つまり、この国の王族連中は、自分たちの子孫と未来の国民の魂を対価に、願いをかなえてきたってことだな。
まったくもって、非道な話だ。
悪辣至極、ゲスで下劣だ。もちろん俺は悪魔だから、主人が非道だって別に構わないわけだが。
怒りも感じない。心が痛むこともない。どうでもいい。
「ちゃんと魔法使いっぽいコスプレして行くのよ! それらしい演技も忘れずにね!」
非道に心は痛まないが、阿呆にこき使われるのは、心が疲れる。
悪魔に心があるのかって? そりゃ、あるさ。
人間とは諸々の尺度が違うだけだ。心もあれば感情もある。ろくでなしの主人に仕え続けるのは、悪魔だってつらいんだぜ。
「泣いている彼の前に現れて、こう言うのよ。『私がおまえを、お城の舞踏会に連れて行ってやろう』って。当然、それっぽい演出も忘れずにね! スモークを焚いて、派手に光りながら、怪しい音楽と共に現れるのよ!」
怖えよ。イケメン、逃げるだろ。ヘタレの俗物だしな。
「魔法使いの魔法で、見違えるように美しくなった彼は、カボチャの馬車に乗ってお城に向かう」
やめろ。想像させるな。珍妙な馬車に揺られるイケメンの姿を想像させるんじゃない。腹が痛い。
「突然、現れた美貌のプリンスに、お城の誰もが釘付けになる」
馬車だよな。明らかに馬車の方に釘付けになってるよな。
「そんな彼のもとに歩み寄るのは、サファイアの瞳に金の髪、世界一美しいこの国のプリンセス」
大した勇気だな。普通は近づけんわ、そんなヤバそうな奴。
「目と目があった瞬間、恋に落ちる2人。他の招待客なんてそっちのけでダンスを踊り、甘い言葉をささやき合うの……」
なあ、そろそろ終わりにしないか? ちゃちゃっと話をまとめてくれや。飽きてきたぞ。
「もう、わかったわよ。愛し合う2人は、12時の鐘に引き裂かれるの。魔法が解けてしまうと逃げ出した彼は、途中でガラスの靴を落としていく。それを私が拾って――」
その流れ、おかしくないか?
「何よ、おかしいって」
いや、原作の方がさ。
ドレスのヒロイン、しかも靴を片方落としたヒロインに逃げられるって。
仮に王子がよほどの鈍足だったんだとしても、城の兵士はなんで止めなかったんだよ?
「あんたが余計なツッコミで話を長くしてどーすんのよ! と・に・か・く! 靴を拾った私は、国中におふれを出して持ち主を探す! この靴を履けた者こそが、王女の結婚相手である! 当然、国中のイケメンが押しかけて、我先に靴を履こうとするわね!」
しねえよ。衆人環視でふざけた靴を履かされるって、どんな羞恥プレイだよ。
肝心の本人すら来ないんじゃねえか?
来たらある意味、鋼のメンタルだわ。ヘタレ撤回してやる。
「そこはあんたの魔法で何とかしなさい。だまして連れてくるなり、洗脳するなり」
どこまでもゲスだな。
ご命令とあらば仕方ないが……。そういや、あんたの好みのイケメンってどんなだっけ?
「当然、腹筋の割れた細マッチョよ。武人タイプのきりっとした顔がいいわ。なよなよした女顔は勘弁よ」
待て、待て、待て。
難易度、爆上がりだわ。
腹筋の割れた細マッチョが、親父や兄貴たちにこき使われるヘタレなのか。武人タイプのいかつい顔で、カボチャの馬車に揺られて城に来るのか。
最初っから無理ゲーじゃねえかよ!
「そこを魔法で何とかするのがあんたの仕事でしょ!」
魔法は万能じゃねえよ! こちとら、神様じゃねえ! しがない悪魔だっての!
「いいから何とかするの! これは命令よ!」
…………。
「まずは今言った条件のイケメンを探してくること! 私はお父様に頼んでくるからね!」
舞踏会という名の婚活パーティーがしたいってか。……親父、泣くな。
それでも、溺愛する娘にねだられれば、だめとは言わないだろう。
まともに叱ったり諭したりできるくらいなら、こんなどうしようもない阿呆には育っていない。そう考えると、哀れなもんだ。
「いいわね、任せたわよ!」
颯爽とドレスの裾を翻して部屋から出て行く、哀れなお姫様。キラキラと瞳を輝かせて、例の絵本を、あいかわらず大事そうに抱きしめて。
その絵本だって無論のこと、親父が与えたものだ。
もうじき成人だっていうのに、お姫様の部屋には、本といえば絵本くらいしかない。どれも美しいお姫様が主人公で、最後は必ず王子様と結ばれる、そんな単純な話ばかりだ。
お馬鹿で可愛い娘が、お馬鹿なままでいるように。
まかり間違っても人として成長したりしないように、「教育」してるんだろうな。まったく、妙なところで周到なもんだぜ。ダメ親父のくせに。
とにかく、1人になった俺は思案する。
某・童話と同じ設定の男、加えて姫好みのイケメンを用意するにはどうすればいい?
まあ、見た目は何とかなる。それこそ魔法の出番だ。朝起きたら筋肉が増えて武人系の顔になってましたなんて、わりとよくある話だろ。
問題は設定の方か。
血のつながらない息子をわざわざ家に押し込めて家事手伝いをさせる、そんな父親はそう居ない。もちろん、魔法で用意できるものでもない。
……「自称・家事手伝い」ならアリか。
母親は他界していて、義理の父親と兄たちと同居している無職男。中身はヘタレの俗物。うん。わりと居るんじゃないか?
予想は当たった。
城下町に向かった俺は、さほど時間もかからずに適当な男を見つけることができた。
お姫様の方も、首尾よく親父の許しを得たらしい。
舞踏会の噂は国中に広まっていき、逆玉の輿を夢見る男たちがわんさと集まってきた。
そんなわけで、舞踏会当日。
俺は魔法使いに化けて、あらかじめ目をつけておいた男のもとに向かった。
命令通りにスモークを焚いて、派手に光りながら、怪しい音楽を奏でて。
突如現れた自称・魔法使いに、男は腰を抜かすほど驚いたが、「お城の舞踏会に連れて行ってやる」と告げると、わりと食い気味に話に乗ってきた。
何でも、自分はまだ本気を出していないだけで、本当はこんな場所で終わるようなちっぽけな男じゃない、いつか然るべき場所から迎えが来るはずだと信じてたらしいぜ。
身につけたみすぼらしい服を魔法で立派な衣装に変えて、ついでにみすぼらしい顔と体も変えてやると、男は大喜びだった。
うまくやれば、お城のお姫様と結婚できるかもしれない――。
そう教えてやると、男はさらに気をよくして、かぼちゃの馬車にすらノリノリで乗り込んだ。
お姫様はご満悦だった。
理想のイケメンが、理想のシチュエーションで舞踏会に現れたんだからな。
周りの人間が、ダメ親父も含めてどん引く中、男とダンスを踊った。
12時の鐘が鳴り、男が逃げ出し、ガラスの靴を落としていく場面では、俺の魔法が必要だったけどな。
もちろん、ガラスの靴を手がかりに男を探す場面でも。
俺はうまくやった。
紆余曲折を乗り越え、2人は結婚した。
ちゃんとお姫様の注文通りに、全てをかなえてやった。我ながら完璧な仕事ぶりだ。
2人が幸せになったかどうか? そんなもん、聞かなくたって答えはわかるんじゃないか?
夫婦仲は最悪。男が浮気に走れば、お姫様も負けじと愛人を作って、可愛い子供も生まれたさ。
……誰の子供か、だって? 生々しいこと聞くんじゃないよ。そこは流しとけ。
生まれたのは、母親によく似た男の子だった。
母親と同じようにろくでもない教育を受けて、母親にも負けないろくでなしに成長したその子は、母親以上のワガママざんまいで国を傾けた。
結果的に、国は滅びた。
契約の13代目まではまだ随分と遠かったが、俺は約束通りに人間たちの魂を受け取り、魔界に帰ることにした。
「契約不履行よ!」
女王になった元・お姫様には罵られたけどな。
契約書をよく読んでくれよ。「滅びの訪れと共に、魂をいただく」だ。13代目までは絶対に国が滅びない、なんて書いてない。それ以前に国が滅亡したって、それはこっちの責任じゃないんだよ。
詐欺師の手口だって? そんなもん当然じゃないか。俺は悪魔だ。もとから詐欺師で、悪徳金融だぜ。
契約書にサインした時点で詰んでるってことだ。次があったら、せいぜい気をつけるこった。
そう言い残して、俺は魔界に去った。
ちなみに、女王様の魂だけは受け取らなかった。あんな阿呆の魂に、価値なんてないからな。
風の噂では、その後、人間の世界では、「ガラスの靴には気をつけろ」なんて、妙な教訓が広まったそうだ。