8.朝焼け
いつでも音量の融通が利かないインターホンの音にカルラは微睡みを打ち消され、いつもより一層不機嫌そうな顔で玄関に向かった。こんな時間に来る奴の顔を思い切り睨んでやろうとドアを開けたカルラだったが、そこに立っていた人影に呆れかえった。
「グレイ……今何時だと思ってやがる」
「ごめん。あの、どうしても今頼みたいことがあって。えーと、カルラって確か空中バイク使えたよね。だから、あの。借りることって、できるかな」
「……理由は」
「えっ、とねえ」
適当な言い訳を考えていなかったらしいグレイの目が泳ぐ。だんだん頭のはっきりしてきたカルラはグレイに詰め寄った。
「今度は何だ。何を考えているんだ」
愛想笑いで乗り切ることもできないと悟ったグレイは声を落として言った。
「ごめん。カルラには説明できない。もう決めたことだから」
「もう決めたことだから、で納得できる奴がいると思うか」
「もし何かあっても知らぬ存ぜぬでいい、というかそうして欲しい。ただ、……お願いします」
必死な目つきで言い募り頭を下げた彼にカルラは眉を寄せた表情のまま是とも非とも答えなかった。
「私にも言えないようなことなのか」
「……そうなるのかな。無理があるっていうのは、うん」
「こんな時間にすることなのかよ」
はぐらかすような微笑に、とうとう思い切ったようにカルラは口を開いた。
「どうせ人造体に関することだろう、そういう前提でこの際言わせてもらうけれど。そうまでしてアイツに拘る理由はあるのか。責任とか、もうそういう領域を超えているような気がするんだけど。アイツにただ現を抜かしているだけならいっその事離れた方がいい」
目を伏せたままグレイは答えない。
「お前の行動が周りを傷つけることになってもいいのか。お前の行動が裏目に出てスリーシェが危険に晒されるかもしれないとしてもかよ? それでもそれだけ価値のある行動だと思うなら何を考えているのか聞かせてくれよ」
表情だけは変えずにカルラは言葉を継ぐ。
「たまにだけど突拍子もない行動することあるだろお前。……なんかさ、正直普通じゃないなと思う時があるよ。しかもそれがお前だから、余計危ないんだよ。せめて自覚してくれ、じゃないと話にもならない」
「……ごめん」
「違う。謝って欲しい訳じゃない」
それきりカルラも黙り込んだ。互いにしばらく苦い沈黙を味わいながらその場から引くことも出来ないまま立っていたが、終いにカルラの方がその空気を緩めた。「いや。もういいや」
「え?」
「だから、分かった。少し待ってろ」
部屋の中へ戻って行ったカルラは何かを放る。グレイが受け取ってみるとそれは黄色い小さなキーだった。
「自動運転だから行き先を決めるだけで勝手に動いてくれる。降りて左の駐車場56番」
「ありがとう」
「メンテナンスしてもらってんだからな。壊すなよ」
分かりやすく顔を輝かせたグレイに手を挙げ、カルラはさっさとドアを閉め……たように見せかけて、グレイの気配が消えると再びドアを開ける。そしてグレイがエレベーターの前で待っていたスリーシェの元へ歩いていくのを見届けると、ぱちんと開いた携帯のダイヤルボタンを弄りながら些か疲れたような欠伸をした。
……まあ何を仕出かそうとしてるのかは何となく予想がつく。
通話が繋がるとカルラは受話器の向こうにいる相手の名前を短く呼んだ。
「アキリア」
キーを入れてバイクを作動させると、ふわりと白いバイクの車体が浮いた。凄いよなあと感心しながら慣れない手つきで操作する。無人の暗い駐車場の隅に隠れるように立っていたグレイが顔を上げると、先にいたスリーシェが瞬きもせずにこちらを見ていた。離れた街灯の明かりで僅かに照らされた彼女はふっと身を翻して歩いていく。地に伸びるその影がゆっくりと、薄く広がる。躊躇ったのも一瞬で、グレイもバイクに乗り込み、ロックを外した。
振動もなく滑るようにバイクが上昇し、地上が離れる。夜明けを待つだけの静寂の中を飛んでいたのも束の間、グレイの住む区画から一般街の大通りへ出た瞬間、都会の夜景が流星のように視界を埋め尽くした。喧噪の名残が消えない街。
馬鹿げたことをやっているという自覚は一応グレイにもある。大体スリーシェとの意思疎通はまだほとんどボディランゲージなのだから、何を伝えたいかさえちゃんと受け取れていない。
鍵を受け取った。人造体を解放したい。東の方角。
人造体達に定まった道はないし、居場所もない、なんてことも、多分言っていたと思う。
そして、スリーシェ自身の意思は……良く分からなかった。仲間を助けたいこと以外は。まだ頭がぼんやりしているような仕草も時々していたから、彼女に色々なことを要求するのも無理があるかもしれない。それでも、どうやら急がなければいけないらしい。今は彼女の必死さに真実があると信じるしかない。
なんて不確かなことをしているのだろう。この後の事態が想像もつかない。僕たちの直感が外れていてくれていれば一番いいのだけれど。グレイは手元を見る。
……もしかしたらこのバイク、使いっぱなしになっちゃうかもしれないな。
昼間来たばかりのその建物は、全ての明かりが消えている訳では無かったがしんと静まりかえっていて、グレイを待ち構えているようにも感じた。スリーシェが空を見上げ、また東へ目を向ける。夜の黒から紺へ、そして群青へと変わり出している空を見て、グレイは唇を引き結んだ。
正直、まだ怖気づいている所はある。お前は何をしようとしている、目の前の建物に嫌でもそう問われている気分になってしまい、うすら寒さがこめかみに伝う。しかし考えるよりも先にスリーシェが歩き出した。
「ちょ、ちょっと」
顧みることもなくスリーシェはそのまま裏手へと回っていく。ここに来て先を行く彼女に狼狽えたグレイだったが、彼女の目線の先にあった白いトラックを見て目を細めた。昼間あんなところに停められていただろうか。
「あの車がどうかしたの」
スリーシェが神妙な表情で頷く。二人が行こうとした矢先、裏口から微かに誰かの声が聞こえた。思わず身をこわばらせる彼女に自分が行くと軽く手で合図して、裏口近くの駐車場に停められている車の影に隠れながらグレイは裏口の方へと近づいていった。
こういう事をするのに全く慣れていないグレイの額に嫌な汗が滲む。普段はほぼ邪魔なものでしかないような長いマントが図らずもグレイの身体を暗闇に溶け込ませるのに役立ったこともあり、誰にも気づかれず進むことができた。
裏口では非常灯と光量を絞られた戸口の小さな灯りしかついていなかったが、扉が開いていた。その前で話しているのは見知らぬ男と、昼間グレイ達を案内していた職員だろうか。怪訝に思って首を傾げたグレイだったが、やはり辺りを憚るような彼等の仕草に気が付いて身を乗り出した。
「ええ、分かり……」
「ではこ……で引き取……頂きます」
周りには数名作業服姿の人間がいたが、二人が会話している間に建物へ入っていく。後には男と職員だけが残ったので、思い切ってぎりぎりまで近づいてみる。ぽつりぽつりと交わされる話の内容がより明瞭に聞こえてきた。
「それにしても、貴重な研究対象でしょう」見知らぬ男が壁に片手をつきながら言う。
「ええ。そちらの方も既にリスクは何度も説明されているはずでしょう」
「そうですね」言葉が切れて、微かに笑ったような気配がした。「そもそも、発見された時から弱っていたとの話ですし、待っていれば手に入るかもしれないものをわざわざ横取りしなくても思うんだが」
「……饒舌ですね」足元を見ているせいか、職員の方の声がかなり聞き取りづらい。
「これほど金が掛かるものなんて我々には縁が無いでしょうよ。訳の分からんものに振り回されてるとは思うけれども、そう思っていても間近であの姿や翅を見れば作り物みたいに綺麗だと惚れ惚れしてしまうんだから、人間てのは全く単純だね」
自嘲めいた笑いにも表情を動かさないまま、職員はおもむろに周りを見渡す。
「――余計なお節介ではありますが、この後はどのように人造体を扱われるのですか? 彼らは危機に対して敏感ですし、落ち着かせるのは簡単なことではありませんよ」
「ああ、欲しいのは翅だけのようですから」
男が言い終わらないうち突然空に鳴らされた銃声に二人がぎくりとして振り向いた。
暗がりにいた年端もいかない少年に男は何が起きたのか分からないような様子だったが、後ろにいた職員は無表情ながらもはっきりとグレイを見据えていた。対峙する彼らの視線を受けながら、努めて表情を変えずにグレイは言った。
「今聞かせて頂いた話が本当なら、特別条例23条に違反します」
すぐに男の方が顔を幾らか歪ませながらも、いやそんな、今の話は、と笑い出そうとした。が、職員がそれを制す。
「あなたは昼間来ていただいた方ですね。聞くところによるとイレッタで人造体を発見されたそうですが。なぜこんな時間にまたここに?」
「散歩です。……ただの」
硝煙の匂いが少し遅れて鼻腔に届く。
「聞いてしまった以上は放っておくこともできません。この事実を公表されるのが嫌なら、今すぐ保護された全員を引き取らせてください」
口走った言葉は半分出まかせだったし相手を焚きつけるためのものだった。
「ここに置いておくよりは――僕は彼らを、彼らの望む場所に帰すべきものだと考えます」
ただ、アキリアと話した時の事が、グレイの中でずっと引っかかっていたのは事実だった。スリーシェと一緒にいることを選んだのは、少なくとも責任でも後ろめたさでも無く、自分自身の願いだと信じたい、そんな願望が混ざっていたのかもしれない。
少し賢そうなだけの子供の主張に時間を取られている場合じゃないんだ、そんな焦りと苛立たしさをちらつかせる男の横で、職員の表情が好奇を含んだものに変わる。
「もし私達がそうしたとしたら、貴方は私達のやり取りを見逃すのですか、何もなかったと」
グレイは思わず眉を顰めたが、すぐに職員の表情に倣って微笑してみせた。
「この施設から人造体の数が減ることへの言い訳は準備してあるのでしょう。確かに僕は一介の研究員に過ぎませんが、それでも政府に人造体の保護について提案できる権利はある、発見者として」
今度は完全なはったりだ。仮にそんな権利が認められたとして一気に数十人の人造体を安全な場所で保護できる力など、グレイどころか監督のトキにもある訳がない。少し沈黙が下りた。虚勢を張っていてもどうにもならないと感じて、一旦退くような素振りでも見せようか、とグレイが口を開くより一拍前に職員が言った。
「そうだ、貴方は人造体の女性を連れていましたね。とても綺麗な翅を持っていた」
「……それが何ですか」
あくまで顔色を変えずに職員は言った。
「今も、ここにいるのでしょう?」
「失礼ですが」
ふいに涼しげな声が、別の場所から響いた。
「彼は一人で来たわけではありませんよ」
「カルラ」
金髪に金色の瞳をした見間違えようもないその人物を、信じられないという風に呟いたグレイに、不本意そうな声でむっつりとカルラが言った。
「迷惑をかけられるのは困る。でも、私の知らない所で危ないことに首を突っ込まれるのはそれこそ本当に困る」
後ろにはアキリア、シャガやトキまでいる。かなりの人数の警官も遠くから来ていた。
「じゃ行くぞ。アキリアも」
「え、いつの間にこんな人数を……」
「現場を抑える気が無いなら安全な場所に逃げてろ! 後始末はやってくれるそうだ」
あまりの展開に唖然としていたグレイをカルラが一喝する。その怒声で頬を叩かれたように我に返ったグレイは後ろを振り返ることもせず建物の中へ走り出した。
いち早く大勢が近づく気配に気づいて、少し離れた場所にそれまで隠れていたスリーシェが、銃声音に続く怒声交じりの騒ぎに建物の方を見上げた。そして、その騒ぎの中で彼女の名前を叫ぶ一つの声を捉える。ふわりと身を起こした次の瞬間には空中へ舞い上がっていた。
明け方の騒ぎに何事かと野次馬半分で路地に飛び出してきた人々が、唐突に現れた彼女の姿に驚き声を上げる。彼女は停めていたバイクに手を伸ばし、頼りない手つきながらもどうにかグレイがしていた操作通りにバイクを浮かせ、そのまま屋上へ持っていった。
同じタイミングで屋上の扉を開け放ったグレイが、そこに立つスリーシェへ少し眩しそうに笑いかけながら手を振る。駆け寄るグレイの後ろから、人造体が数人ぱらぱらと出てきていた。グレイを追いかけて外に出てきたは良いものの、戸惑っているような者が多い。不思議そうに、あるいは警戒しながら辺りを見回している。
空を見上げていた長髪の人造体がひとり、何か決心したようにグレイを追い越していった。彼女はちらりとスリーシェに目を配ると、覚束ない足取りながらも躊躇いなく屋上の縁を蹴った。
それに続いて数人、背中に翅をもつ人間が彼女を追いかけて飛び立っていく。飛び立った瞬間にバランスを失って墜落したりしないかと彼女たちを引き留めようとした手を、グレイはゆっくりと下ろす。まるでみんな帰る方向を知っているようだった。大きく動かされる度に羽が煌めく。
腕に軽く手が触れる。
うん、他のみんなとも合流しよう。振り向きながらそう言いかけて、グレイは気が付いた。
スリーシェが眩しそうに眼を細めながら微笑んでいた。光の加減で見せるものでもなく、会話への反応に見せる程度の微笑みでもなく、ぎこちなくてはにかんでいて……どこか不敵に見える表情だった。
東の空には朝焼けが見えていた。
ここまでの話を企画参加作品として出しています。
企画主催の相内様、本当にありがとうございました。
時々編集で手を加えているので語尾など変わることがあります。