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白蝶貝の入江  作者: 浅葱 佑
白蝶貝の入江
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7.同士

 ビルの屋上で、スリーシェと少年に呼ばれていた少女が、日が傾いてきた空を見ていた。

 つと、スキップでもするような気軽さで少女は隣のビルへ、さらに向かいのビルへと注意深く移動する。おそらくは人に見つからないよう、より高い場所へ。

 やがて足を止めると、コンクリートの照り返しに耐えかねたように髪を持ち上げながら、少女はビルの端に屈みこんで、眼下に広がる町を見渡した。視線を移すたびに変わる瞳の色が僅かに少女の表情を変化させていく。下町、ビジネス街、裏路地、観光名所。建物の違いはまだこの街の何もかもに疎い少女にもくっきりと見分けられた。一通り街を見渡すと、どこか心ここにあらずといった風に左手にある保護施設の屋上を見つめる。

 温風が吹く。

 頬杖をついていた少女が、驚いて顔を上げた。

 クリーム色の翅を背負った白髪の少年が横に立っていた。長年の知り合いにするような気安さで、強い黄金色をした瞳を細めながら少女に手を振る。

 怪訝そうに少女は首を傾げる。記憶の引き出しを探るように明後日の方角を見上げた後、諦めたように口を開く。普通の人間には風の音に混じって聞こえないだろう言葉だが、きっとこう言ったはずだ――

『ごめんなさい、誰だっけ?』

 少年はオーバー気味に肩をすくめて溜息をつくと、ポケットから取り出した鍵のリングを指に引っ掛けてくるくると回した。意味が分からない、と言わんばかりに無反応な少女に、顎で保護施設がある方向を示す。

 少女は思わず立ち上がった。




 スリーシェを見つけることができないまま外に出たグレイは、少し考えてからマントを外して小脇に抱えた。周りの若者を見まわして、シャツの袖をまくった。第一ボタンも外す。

 この街にスリーシェが安らげるような場所はあるのだろうか。とにかくできることといえば探すことぐらいだ。何よりここは、比較的治安の良い地域とはいえ特別区ではない。

 とりあえずこの辺りで最も人通りの多い十字路に出ていく。変わったところは無い、ということはいないのだろう。探すまでもない、こんなところにスリーシェがいたら周囲が騒ぎ出すはずだ。

 そこから、気になる場所を確認しながら来た道を戻っていく。特別区に繋がる入口のゲート前まで来てグレイは足を止め、ゲート脇の守衛に話しかけた。

「あの、ここ30分ぐらいで何か変わったことはありませんか。それか、僕とおんなじくらいの女の子がゲートを通ったりは、しませんでしたか」

「……いや。誰か探してるのかな」

「はい、でも大丈夫です」

 グレイはふらふらとゲートから遠ざかると、通りにある街灯にもたれかかった。上がった息を整える。


 一番良いのは自分達の住居までまっすぐ戻ってくれている場合だ。でも、あんなことが起きた後では、ちょっと虫が良すぎる考えだ。比較の問題ではあるけれど、特別区にいる場合もある程度安心できる。となれば、特別区は後まわしだ。

 一番悪いのは、治安が悪いと言われている地区の細道にでも迷い込んでいた時だ。もしかしたら、もう危険な目にあっているかもしれない。

 どうしよう、どうしよう。

 僕は子供だ。一般街の大部分には行ったことも無いし、地図をちゃんと覚えている訳でもない。でも。

 あたりを見回せば、ハンバーガーを立ち食いしている帽子を被った女の子。缶を前に置いて壁際に座り込んでいるおじいさんや、通りのモニュメントの前で抱き合っているカップルがいる。決意を固めてグレイが拳を握ったとき、頭上を薄い影が飛んだ。



_________


「落ち着いた?」

 それまで続いていた、長い沈黙を壊さないよう優しくグレイは問いかける。グレイの部屋を、夕日の明かりだけがぼんやりと満たしていた。

 大事になる前に見つけられたのは良いものの、スリーシェは混乱しているようだったし、グレイの姿を見つけてもあまり反応を示さなかった。

 ソファーにも椅子にも腰掛けず、窓際にぺたんと座り込んでいる少女の表情は逆光で分かりづらい。ただ、その言葉に膝の上できゅっと握りこんでいた手の力を少しだけほぐした。二人の間にはまるで初めて出会った時に戻ったかのように、透明で硬質な空気が生まれていた。

 どう切り出そうかと言葉を探しながら、グレイは口を開く。

「君が怒りや悲しさを抱くのは当たり前だ」


 もし自分の仲間が傷つけられ、実験動物のような扱われ方をされ、殺されているのを間近に見てしまったら。


「でも、みんなはそれを何でも無い普通の価値観だと思っている。僕もそれが、悲しい」

 スリーシェが大きな瞳を瞬かせる。

 彼女に自分の言葉が通じていたとしても、何も話さない彼女の意思が時々分からないことがあった。

 どれだけの言葉や意思が伝わっているのか、どれだけ自分と同じような感覚を持っているのか。

 ただでさえ、人の気持ちに鈍いと言われるグレイなのだ。傍目には上手く見えていても、意思の疎通は今までずっと手探りで、彼女はやはり人間とは違うのかもしれない、そう思うのはそんな時だった。

 でも、今は分かるような気がする。だから。

 もし君が嫌でないのなら、と前置きして、グレイは言った。


「僕の話を、してもいいかな」




 8歳になったグレイが連れられて向かったのは、机が整然と並べられた教室のような部屋だった。

 サクトの中央政府にとって将来有望な人材なのか、エリートコースに入れるだけの能力や適性があるのか。そのためのテストを受けるための場所だったのだが、当時のグレイは実のところあまりよく分かっていなかった。皆がとりあえず受けているものだから、という感覚だったと思う。実際、エリートコースに入れる人間なんてそう多くはない。

 ところが、数日後に返ってきた通知に周囲は驚いた。中央政府のバックアップの元で、優秀な人材が集められ育成される、いわばエリート教育の集団に入ることを認めるものだったからだ。

 基本的な教育を修めた後は、より専門性の高い自由な学びを得られる。その後は中央政府に入る者、研究者として生きる者、軍人やアスリートになるもの、全く別の世界に飛び出す者。学生達は様々な道を辿るが、いずれにせよ、サクトが認めた人材だという事実によって、この国での人生を保証されているようなものだ。だからエルガンはもちろんのこと、その頃にはもう滅多に帰ってこなくなっていた両親までもが帰って来て、その通知を喜んでくれた。いきなりのことにグレイ自身は戸惑っていたものの、皆が喜んでくれることは嬉しかった。政府の元へ引き取られエルガンと別れるその時も、寂しくない訳では無かったが笑顔でいる事ができた。

 ――たとえ離れ離れになっても、彼女が自分を誇りに思ってくれるのならそれでいい。

 どんなに忙しくなっても、必ずまた会いに行く。

 そう思っていたからだった。


「政府の支援のおかげで、僕は一人になってからも生活に不自由は無かった。こんな時代で、他の人からすればそれがどんなに羨ましいことなのかは知ってるから、僕も文句を言うつもりは無い。ただこの教育の一環として、特殊な試みが行われていて」




 成長緩和措置。

 それは、優秀な人材である人間の寿命をできるだけ延ばすために行われていた。

 ある時期が来るとグレイ達は一定の期間、長期低温睡眠状態(コールドスリープ)に入る。その間は成長も老化もほぼ起こらない。覚醒期である今も、成長緩和の為の治療や投薬をいくつも受けている。


 そうやって覚醒期とコールドスリープ期間を繰り返しながら生きてきて、今年でちょうど20年間になる。

  グレイはまだ少年のものである自分の手を見ながら、自分自身へ語り聞かせるように言った。

「もし僕が普通の人間であったなら、とっくに大人になっているはずなんだ。普通に仕事をして、結婚もして。でもそういう生活はほぼ不可能らしいし。それに、生きている時間の流れが違うようなものだから、普通の人と長期的に関わることも難しい。僕の大切だった人は、どこにいったのか今では分からない」

 無い物ねだりなんだろうし、贅沢な悩みなのかもしれないけれど、とグレイは微かに笑いながら続ける。

「たださ。こういう生活をしていると、思うことはある。エリート研究員というと、世間からはとても恵まれた生活を送っているように思われるんだ。羨望されたり、時には嫉妬や軽蔑の対象になったり。ほんとはそうでもないよ、って言いたいとこなんだけど、そんな事を言ったらそれこそ怒られるしさ。だから、その……立場や境遇は違うけど、そういった意味で、僕らは似たもの同士なのかもしれないって思わないかな……」




 残照だけが空に残っている時間、気がつくと部屋の中はかなり暗くなっていた。グレイは大きく息をついて顔を覆い、ソファーに倒れ込む。

「ああ、なんかすっきりした。だけど、あと半年もすれば僕は君としばらく一緒には居られなくなるし。あんな所を見た後じゃ施設に居るのも嫌に決まってるよね」

 グレイの視界の隅で、スリーシェが小さく頷くのが見える。あまりこんな事を言ってはいけないと思いつつ、言わずにはいられなかった。

「もう……僕が見つけたのが悪いのかもしれない」

 グレイがまた溜息をつこうとした時、その手にスリーシェの指先が触れた。はっとしてグレイがスリーシェの方を見ると、少女はかつて無いような強い意志をその目に湛えていた。


 そんなことはないとその瞳が言っていた。


 スリーシェがグレイの手を取って立ちあがったので、彼女の腕を引っ張るのが怖いグレイも慌てて一緒に立ちあがる。スリーシェは訴えかけるような眼差しで玄関の方を指さした。

「外へ行くの? 何処へ」

 彼女はちょっと考えて今度は自分の翅を指さす。

「……保護施設」

 スリーシェは頷き、そして窓の外を振り向く。ゆっくりと指を、ビル群の見える景色の遠い彼方へ向けた。



 ――東へ。



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