6.剥落
「今日も良い天気だね」
アキリアが空を見上げて言う。グレイがつられて空を仰ぐと、ビルの照り返しが鋭く網膜に突き刺さる。からりとした天気の多いこの季節。街を行き交う人々の服装も一ヶ月前とは随分変わってきている。
「そういえば買ってきたケーキ、まだ食べてないんだ。グレイは甘い物好きだっけ」
「嫌いじゃないけど。でもカルラの方が喜ぶと思うよ」
「え、そうなの? 知らなかった。でもその、カルラの事だから、そういうのあげても面倒くさがられるかなと思ってたんだけど」
「そんなことないよ。持って行ってあげたらいい」
グレイがアキリアと話しているその傍らでは、スリーシェが長い髪を風に靡かせながら歩いていた。雑然と物や人がごった返す都会の中でただ一人異質に輝いている彼女は、誰かが微睡みのうちに見ている幻影のようだった。
騒がしい場所にいるのはやはり落ち着かないようで、グレイと繋いでいる手にほんの少しだけ力が加わる。華奢な指先、柔い手のひらから伝わる仄かな体温。それを人造体のものだとは到底思えない。一度意識してしまうと緊張して挙動不審になりそうだった。
道路を曲がったところで、目的の建物が見えてきた。都会にしては広いこの敷地にあるこの建物の一部が人造体を保護する当面の場所になっているらしい。保護施設といっても、普通の大きい建造物だった。
正面玄関から入ろうとしてグレイは足を止める。玄関に立って職員と話をしているのはどうやら記者のようだった。話をするのも面倒臭いので、気付かれないうちに裏口へまわる。
裏口のドアの横では、休憩中なのか灰色のジャンパーを腰に巻き付けた男が一人、壁にもたれて煙草をふかしていた。辺りにたちこめた安煙草の深みの無い匂いが鼻を刺激する。
「すみません、用件があって」
胡乱な目でグレイを見た彼は、煙草を持っていない方の手で自分の後ろにあるインターホンを指す。グレイがインターホンを押して一言二言告げると、そこでしばらくお待ちくださいと機械的な女性の声で返答があった。
「おい、お前。そいつは」
スリーシェに気付いて、男が煙草を口から離す。スリーシェは側に停められた見知らぬ白い箱形トラックの後ろに立って、扉が開いたままの空の荷台の中をじっと覗き込んでいた。
「ああ、そうです」
「お前のか」
「僕の、っていうか……一緒にいます」
ふうんと男は歪に唇を歪める。どうしてわざと良くない目つきをしてみせているような表情をするのだろう、とグレイは思う。
「中ではちゃんと側に連れとけ。こないだみたいに脱走したと間違われるからな」
「脱走?」
グレイは驚いて聞き返す。
「数日前に何体か。お陰様で、職員もピリピリしているさ」
「それ、ちゃんと無事に戻って来たんですよね」
「さあな」
煙を吐きながらにやにやと笑って答えをはぐらかす男に、隣で話を聞いていたアキリアが思わず声を高くした。
「さあなって、そんな答え」
「――綺麗な翅だ」
スリーシェを眺めて、思いがけないほど低い声で男は呟く。その視線を感じてかスリーシェが振り返った時、ドアが開いて中から壮年の男性職員が顔を出した。
「お待ちしておりました。どうぞ」
「行こう、スリーシェ」
ドアが開いたのにほっとしたアキリアが、そそくさとスリーシェの手を引いて中に入る。グレイは少し躊躇ってから、地面に煙草の灰を落としているその男に会釈して二人に続いた。
狭い通路からそのままエレベーターに案内される。案内の職員も先ほどの男と同じ色のジャンパーだが、流石にこちらは清潔感のある身なりだ。
「ここの4階から上が保護施設になります。人造体の研究目的ということで宜しいですね」
通路が少し狭く、色に欠けるごく普通の建物。確かこの施設を所有しているのは、一応サクト政府と関わりの深い私企業のものだったはず。今は政府の管轄のような形になっているけれど、もしかするとこの職員もその企業の人なのかもしれない。
「はい。玄関で取材に応じられているのが見えましたが、あの」
「ああ、あれは新聞記者ですね。もちろん公表されている情報しか開示しませんので、ご心配なく」
何気なくスリーシェを一瞥してから、丁寧な口調で職員が続ける。
「お連れの人造体はかなり落ち着かれているようですが、ここで保護されている人造体の健康状態は、心身ともにまだ完全に回復しておりません。刺激を与えれば強いストレスになり、場合によってはこちらに危害を加えようとする可能性もあります」
「分かりました。……あの、一つ伺っても」
「何でしょう」
「数日前にこの保護施設から人造体が脱走したという話を聞いたのですが、彼らは無事なのですか」
グレイの言葉に、少し間を置いてから首を傾げて職員は言う。
「どの個体も脱走などしていませんよ。混乱して大変だったことはありますが」
グレイはアキリアと顔を見合わせる。アキリアはもう気にするなという風にグレイに首を振った。誰かから出任せの情報を掴まされたと思ったのか、彼は笑った。
「どなたからお聞きなさったのですか」
「いえ。何でも無いです」
スリーシェはといえば翅の端を掴みながら明後日の方向を向いている。彼女と一緒に出かける時はいつもこちらが連れ出すような形だったのに、何かを察してか今回は違っていた。他の人造体との繋がりについても聞いてみたが、はっきりとした反応は示さなかった。職員の言った通り、スリーシェは他の人造体より色々と安定しているし、特別な感じもする。もっと積極的に彼女に聞きだしたほうがいいのだろうか。謎が謎のままだとして、問題が起こらなければ良いのだけれど。
でも、こんな場所で居心地が悪いと彼女が感じても無理はない。
「外の目立たない場所で待っていてもいいけれど」エレベータが停まって案内される間に囁いてみると横を向いたまま小さく首を振られた。
「……それも不安か」
独り言が聞こえていたのかは分からない。ひんやりとした空気が気に障りだしたように、すん、と短く数回息を吸い込んでいた。とりあえず警戒していることだけはグレイにも分かる。そっと肩を叩くと微笑みを返してきた。
「いいの? 私が待ってたほうが良くない?」
「いいよ。人造体に会うことだけが調査とは限らない」
「女性1人では何なので、職員の方と一緒に入って下さいね」
アキリアが少し心もとない顔をしながらも部屋を去っていく。
スリーシェ以外の人造体に会うのが今日の目的だった。けれどここの規則に則れば一応スリーシェはあまり施設を歩き回ることが出来ないらしい。職員の人も彼女と一緒に待っていると言ってくれたが、この様子で個室に残していくのもどうかと思われた。
話を聞きながらグレイは相手の様子を探る。向かいのソファーに座る職員はリラックスした様子で肘掛けに腕を乗せていた。
「ご迷惑をお掛けしてすみません、我々も忙しい中なので」
「いえ、こちらこそ」
「全く予算もスペースも足りていないんですよ。人造体のことを理解していないんでしょうね。取材も、そう。イレッタから来たものと言うことで心配するのも分かるんですけれどね」
「世論が否定的なのは分かります」
「ええ、その為に我々がこうして保護しているのですし。そういえば、あなたは大丈夫ですか? 人造体などお連れして危険は無いのですか」
「外出するとしても特別区でしたから、注目はされてもそれほど大きな問題に巻き込まれたことはまだ無いです。さっきも僕たちの写真を撮っている人はいましたが、仮にどこかで公開されたところですぐ削除要請が入るでしょうし」
「ああ……、そうでしたね……」
グレイは資料の角を撫ぜる。マジックミラーの向こうの空では、眠くなるほどゆっくりと雲が流れている。スリーシェも段々と落ち着いてきたようだった。静まり返っている。
20分程経った頃にアキリアが帰ってきた。肩の力が抜けたように笑う彼女に気を遣ってか、帰る前に何か飲み物でも出しましょうかと職員の人が立ち上がった時だっただろうか。
いきなり、ドア越しでも分かるような聞き覚えのある声音の怒鳴り声がした。ぎくりとしてグレイ達はそちらを振り向き、案内の職員が制止する間もなく部屋の中へ走り込む。
まさかとは思ったが、部屋の中にいたのはシャガ達だった。グレイ達と同じく研究目的で来たのだろうが、何があったのか、暴れる人造体の青年を押さえつけようと必死になっている。
人造体は、髪はスリーシェと同じ乳白色だったが、翅は淡い翡翠色をしていた。細い体躯をしているとはいえその身長はシャガの倍ほどもある。押さえつけるのは容易いことではない。シャガは髪を乱し顔を赤くしながら取っ組み合っている。壁際にソ二の姿もあったが手を貸すつもりは無さそうだった。アキリアが声をあげる。
「何やってるのシャガ、刺激させたら駄目だって」
「何もやってねえよ! ただちょっと翅に触ろうとしただけだっつの!」
殴られながらもシャガが言い返す。青年の身体を掴んで動きを止めようと彼は悪態をつきながら腕を振り回していた。
「ソ二も助けてあげなよ」
「乱闘に割り込みたいのか。助けたきゃ助ければいい」
迂闊に割り込める様子でないのはその通り。それでも冷めた答えに思わずかちんときたアキリアが息を吸い込んだ時だ。
「よっしゃ押さえたっ」
呼吸を荒くしながらも人造体の翅と腕を掴んだシャガが声を上げる。興奮していたシャガはそのまま苛立ちに任せて翅を思い切り強く引っ張ろうとした。
「――俺を殴りやがってこの野郎!」
「待った!」
はっとしたグレイが叫ぶが一瞬遅かった。
ばきりと明らかに異質な音が部屋に響いて、人造体の背中からあっけなく翅が捥げた。
声の無い叫びを上げるように口を開けたその表情のまま、眼から光が失われる。きらきらとした薄い翅をシャガの手に残したまま、青年は仰け反って軽い音と共に倒れた。シャガの表情が凍り付く。
床に投げ出された腕の後ろから、じわじわと咎め立てるように透明な血液が広がっていく。それはグレイがあの地下倉庫で見た箱の中に満たされていた液体のように、光を受けて虹色の波を生んでいた。
「おい、ちょっと……ちょっと待てよ」
シャガが引き攣る笑みを浮かべながら声を絞り出す。慌てて青年を抱え起こそうとしたが、その身体はだらりと力の抜けたまま動かなかった。嘘だろ、とシャガの喉から息が漏れる。
「だって……脆すぎるぞ、こんな」
「失礼します」
後から追いかけて来ていた職員が前に進み出た。一目見て顔を険しくした彼にソ二が冷静に告げる。
「騒がせてすみません。人造体が暴れ出しました」
職員がシャガに駆け寄ると、にわかにこの状況に似つかわしくない涼やかな匂いがした。薬品か清涼剤の匂いだろうか。怪我はされていませんか、と問われてシャガは声を出そうとしたが、小さく頷くことしかできなかった。
「貴重な研究対象を傷つけてしまって申し訳ありません」
ソニが頭を下げる。
「いえ、目を離していたこちらの責任です。対応が甘かった。謝罪しなければならないのはこちらの方ですので、どうかお気になさらず」
「分かりました」
後は私が、といって職員は全く会話に入れないままのシャガの手から青年を抱え起こす。
「しばらくお待ちください、他の者も呼びますので。良ければ他の人造体も連れてきますが」
「そうですね。可能ならばお願いします」
職員が人造体を抱えて部屋から出て行くと、後には重苦しい沈黙が残された。何も言えないまま目を伏せるグレイ達へシャガが助けを求めるように視線を彷徨わせた後で、再び凍り付く。
自分を通り超して後方に飛ぶシャガの視線に気付いてグレイが振り返ると、開いた扉の向こうにスリーシェが立っていた。一歩も動かないまま、その目がただ真っ直ぐにシャガとその手に残された淡い色の翅を捉えていた。
「スリー……」
シェ、とグレイが名を呼ぼうとするのを、反射的に彼女は手で拒絶する。嫌悪とも怯えとも諦めともつかない表情で後ずさると、スリーシェは軽い足音と共に廊下の向こうに走り出していった。
「お、俺は」
「グレイ、後を」
「うん。アキリアは先に帰ってて」
グレイはそう言うと返事も聞かずにスリーシェを追って部屋の外へ飛び出した。