5.動機
「何故ですか監督」
ミーティングが終わって、部屋を出ようとしたところに降ってきたシャガの不満そうな声に、グレイは振り返る。部屋の隅でトキに詰め寄っているシャガの手には、今し方配られたばかりの紙が握られていた。
「そうはいっても、もう決まったことだしなあ。ソ二からルースをメンバーに入れて欲しいという希望もあったし、一番妥当だろう」
シャガに詰め寄られても、トキはあくまでのんびりと構えている。
何が不満なのかはグレイにも大方察しがついていた。研究の際に組まれるグループはメンバーの要望を聞きつつトキが決めている。ソ二は最近成績を伸ばしているルースを自分のグループに引き入れたかったのだろうが、結果的にはその代わりにシャガがあぶれ、それまで空きができてしまっていたカルラやグレイ達のグループに入れられることになったのだ。ミーティング中はさすがにシャガも黙っていたものの、その顔には不服の色がはっきりと出ていた。
「このメンバーでやるなんて俺は嫌です。俺はもっと本気で取り組めるグループに入りたい」
相手がトキだからだろうが、それにしても随分はっきり物を言う。自分達の悪口を言われているにも関わらず半ば感心しながらグレイはその様子を見ていた。トキは頭を掻いて言う。
「まあ、俺から言って変えてやれないこともないが。ソ二やルースと話はついてるのか」
シャガは下を向いてのろのろと頷く。
「……なんとかする。とにかく、俺は嫌なんです」
「グレイはどう思う」
そこで初めて話を聞かれていたことに気付いたシャガが、げえっという心の声でも聞こえてきそうな顔をした。心なしかその膨れた頬を赤くしてドア脇に突っ立っていたグレイを睨みつける。
「何人の話聞いてんだよ」
「聞こえてきたから……」
「ああもう。これだから嫌なんだよ」
もういい、と開き直ったようにグレイの言葉を遮ると、シャガはグレイの横を通り過ぎて乱暴にドアを開けて出て行った。ばたばたと遠ざかっていく足音をドアが閉ざして室内に静寂が帰ってくると、トキはまあうまくやってくれと頭を掻きながら自分の作業に戻っていった。
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「全くあいつは。ガキかよ」
グレイの話に、カルラが烏龍茶を呷りながらも遠慮なく言い捨てる。
「子供だから仕方ないんじゃないかな」
「それにしても、やっぱり3人だときついよね。シャガが入ってくれなきゃ」
アキリアがそう言って溜息をつく。シャガがあの後ソ二と話をつけたのかどうか分からなかったが、結局今まで通りソ二達と一緒に動いているらしい。一向にグレイ達の手伝いをする様子は無かった。
「しかもあいつ私を避けてる、この間なんかあからさまに逃げられた。逃げ回ってるぐらいなら5分でいいから手伝いに来いってんだよ」
カルラが眉間に皺を寄せて目を細める。カルラには悪いけれどこんな顔で近づいてこられたらシャガが逃げる気持ちが分からない訳でもないなとグレイは密かに考えた。
「とりあえず、もうシャガはいい。それよりグレイ。今更だけど」
「うん」
「なんでそいつ連れてきてるんだ」
カルラが指さした先には、まるで当然のようにスリーシェがカウンターの椅子に座って同じように烏龍茶を飲んでいた。目立たなくなる格好というのも思いつかず、結局簡素なクリーム色のワンピースにブーツサンダルという服装である。椅子に座るにしても背もたれのないものでないと座れない。綺麗な翅も日常生活にはなかなか厄介な代物だ。
研究センターのラウンジにはそう出入りする人が多いわけでは無く、グレイ達がその一角に陣取った所であまり迷惑がられる事もない。しかし、通りすぎる人達がふとスリーシェに気付いて、驚いたように足を止めていくことが何度かあった。ここへ来るまでの道は言うまでもなく、グレイは普段の何倍も疲れてしまった。
「仕方ないよ、ずっと家に居させるのも可哀想だし」
「人目につきすぎる。エリート研究員が保護された人造体を連れているのを見て何の興味も持たない方がおかしいだろ」
「気を付けてはきたし、この区域なら、と思ったけれど……やっぱりだめかな」
ああもう、と疲れにささくれ立った声を上げ軽く舌打ちするカルラに気を遣ってアキリアが椅子から降りる。
「私、少し甘い物でも食べたくなってきた。その辺のお店で買っていくね。ついでにスリーシェも連れて行くよ」
スリーシェもすんなりアキリアについて歩き出す。どうなるかとも思った二人だったが、ごく自然に仲良くなっているような様子だった。
二人がいなくなってから、「別にさ」とカルラが切り出す。
「本当にあいつのことが嫌いな訳じゃないんだよ」
「分かってる」
「お前が人造体の女の子に一目惚れしたって噂に他のメンバーが騒いでるんだぞ。それを火消しするどころかガソリン注ぎ込んでるようなものだって」
「噂かあ」
そう言いながら、窓からやんわり差し込む午後の日射しに眠気を誘われてつい欠伸をしてしまったグレイはカルラに手首を掴まれた。
「大体お前どうして自分のことにそう無関心でいられるんだよ。元々そういう奴だって分かってはいるけど、もっと人目を気にするとかないのかよ。これで何かあったら本気で怒るからな」
下手な答えをしたら次には胸ぐらを掴まれそうな剣幕にグレイが逆らえるはずもない。
「スミマセン、真面目に答えます」
「……まさか本当に惚れてるのか」
グレイは目を閉じた。
惚れる、とはどういう意味なのだろう。
美しさに見とれることを言うのなら、確かにそうではあるけれど。
「さあ、どうなんだろう……」
グレイの曖昧な返事を肯定ととったのか、カルラは息をついて手を離す。
「まあいいよ。それは私が口を出せることじゃない。ただ、あまり好きにやり過ぎると政府の目がある。監督や私の仕事を増やすなよ」
「それは気を付けているつもりだよ」
カルラは頷くと、カウンターの上に置いていた何枚にも渡る資料へまた目を通し始める。なにか考えにふけっているのか、それきりグレイに話しかけるつもりはないようだった。グレイも細い銀色のシャープペンシルを手に取る。
グレイ達が今調べていたのは、とある一人の男のことだった。
イレッタとサクトの関係が悪くなる3年程前、イレッタの自治政府にはフレデリック・ユースフという指導者が立っていた。他の都市の指導者に比べるとまだかなり若く、市民からも人望はあったらしい。
誰よりもイレッタの発展に力を注いだという彼はしかし、イレッタを幻の都市国家にしてしまった張本人だった。
元々はサクトの優秀な研究員だったらしいユースフの聡明さは、こうして資料や彼の論文を見ていてもよく分かる。だからこそ、イレッタが滅びるまでの顛末が示す彼はその印象とかけ離れて見える。サクトに干渉されることを極度に嫌い、イレッタを比類のない都市にすると熱にうかされているかのように語る。挙げ句の果てには戦いなんてまるで頭に無かった市民を巻き込んでサクトに抵抗した。
カルラはそんな彼を偽善だとばっさり切り捨てていたが、グレイにはどうも腑に落ちない。いや、立場が人を狂わせることなど往々にしてあるのだと、頭では分かっている。だから、ただの情のようなものなのかもしれない。彼がスリーシェ達の事に関わっていない筈は無いと彼の動向を探っていたものの、所詮は研修中の一研究員の知れる情報。一旦別の事を調べてみたほうが良さそうだった。
アキリアが言っていたように、保護施設に行ってみるのもいいのかもしれない。そう気を抜いた瞬間、疲れと眠気が一気に波を打って頭に重くのしかかってきて、グレイはまた欠伸をした。
「――グレイ。何やってるの」
頭上から声をかけられて初めて、自分が眠っていたことに気がついた。うん、と気の抜けた返事が喉から漏れる。身を起こしたいのに思うように頭が持ち上がらなくて、緩慢な動きで顔を声の主の方に向ける。やけに照明が眩しく降り注いでいるように感じた。
「机の上で寝てたら風邪引くよ。全く、久しぶりに様子を見に来たら相変わらずだね」
光が眩しくて輪郭もぼやけているのにも関わらず、テーブルの向こうにいる人が誰なのかは分かっていた。
「相変わらずじゃないよ。もう何年も経ってる」
嬉しい。嬉しいのだけれど、あまりに変わらない彼女の態度がやりきれなくて、一言ぐらい不満をぶつけたいと思って声を出したら、自分でも驚くほどに拗ねた声が出た。
僕はずっと、君が会いに来てくれるのを待っているのに。
どんなに姿が変わっても会えないよりはずっといいのに。
「グレイはもう、私と一緒でなくても十分やっていけるよ。だから、私も一人で生きていけるように頑張るの」
ただ優しい微笑みを浮かべて答えるその人に違うとグレイは叫びたくなった。
違うよ。
僕はまだそんなんじゃない、一人で生きることなんてできない。
僕は君について行きたかった、置いていって欲しくはなかったのに。温かくて優しいはずの笑みなのに、これ以上ないほど自分と距離を置かれていることを感じてしまう。必死に言ったところでどうにもならないことは分かっていながら、グレイはその人の名前を呼んでいた。
「エルガン、待って」
自分の手で資料をカウンターから滑らせ、ばさばさと白い滝をつくって落としたその音で本当に目が覚めた。床に広がった資料を慌てて拾い集める。ふと見るとカルラの姿はなく、窓ガラスの外では日が暮れかかっていた。もう帰らなければとそのまま資料を鞄に詰めている途中で、一瞬グレイの手が止まる。
エルガンは、自分を世話してくれた遠い親戚、と言えばいいのだろうか。両親は自分に構う暇など無いということをグレイは小さな頃から幼心に感じ取っていた。決してグレイに付き合うのが面倒だった訳では無く、ただ忙しかっただけなのだということも。
平日の夜は物心ついた頃から一人で食事をするのが普通だったし、家でゆっくり過ごせるような休日には二人とも言葉少なになっていた。快適な広い部屋で暮らすことはできたけれど、一人でいるときのがらんとした寂しさを紛らわせる方法をグレイは知らなかった。
そこへ来てくれる遠い親戚のエルガンは、両親よりもずっと近い所にいる姉のような存在だった。今考えれば彼女も学生という立場なりに忙しかったはずなのに、グレイに色々なことを教えてくれた。遠出は出来なかったけれど二人で出掛けることもあった。「子供の世話が特別好きという訳じゃないけれど、あなたは素直だし一緒にいて気楽だから」というようなことを言っていた気がする。
グレイが8才になり中央政府の能力診断でエリートコースに入ることが決められるまで、これからもその関係が当然のように続いていくと思っていた。グレイと離れた後、彼女は他の都市に移り住んだと聞いたけれど、一般の人とは隔離されてしまう生活の中ではもう消息さえ分からない。
もう顔さえおぼろげにしか覚えていないな、とグレイは溜息をつく。思い出すのも久しぶりだった。
おぼろげな記憶の中でも、エルガンとスリーシェは似ていない。ただ、何の関係が無くても側にいて一緒に居て欲しいと、今までそう思っていた人がエルガンだった。そんなはずは無いと思いつつも、スリーシェを引き取った自分の動機も、もしかしたらエルガンの代わりだったのかもしれないと考えるたびに、少しだけ罪悪感が湧いてくるのだった。