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白蝶貝の入江  作者: 浅葱 佑
白蝶貝の入江
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4.白い桜

 サクトに戻る日の朝、グレイは外の騒がしさに目を覚ました。明るくなってきたテントの中で身を起こして腕時計を取り、盤面を見て怪訝な顔をしたところで入口からアキリアが顔をのぞかせた。

「グレイ」

「まだ時間には早いよね。何かあったの」

 アキリアは申し訳なさそうな顔で言った。

「うん、ちょっと来て」


 テントを出たグレイが騒がしい声のする方へ歩いて行くと、すぐに原因が分かった。いつ目を覚ましたのかあの少女がテントの外に飛び出していた。そこにいる人たちは彼女を宥めようと追いかけているが、その細い足で大の大人達を敏捷にかわして翻弄している。何ともおかしな光景だった。アキリアがグレイに肩をすくめてみせる。

「あの子、今朝やっと目覚めたんだって」

「元気そうだね。良かった」

「他人事みたいに言わないで、早く何とかしてあげなよ。皆起きちゃうよ」

 そうは言えど、彼女には周りの言葉も届いていないように見える。あれじゃ僕が何をした所でなぁ、とグレイが笑っていた時、少女がグレイに気付いて振り向いた。そしてその翅を広げたかと思うと周りの人を飛び越し、音もなくふわりとグレイの前に降りたった。

 初めて見たとき萎れていた翅はぴんと伸びきっていて、細い線を引いたような翅脈が見て取れた。意識のはっきりした瞳がグレイを捉える。グレイは唖然とした様子で固まっていたが、アキリアに目線で促されて何とか声を出す。

「あ、の。目が覚めたんだね」

 少女は何も答えない。

「……どうしたの?」

 出来るだけソフトに問いかけてみても彼女はやはり何も答えず、黙ったままに不思議な色をした瞳を少しだけ細めた。言葉の代わりに眼差しで理解してくれとでも言うのだろうか。翻弄されていたアシスタントの女性が彼女を連れ戻そうとしてもなかなか動こうとしない。今まであまり経験のないような類の緊張が背中に這い上ってくる。

「これ、僕はどうしたら」

「最初に見つけたグレイを信頼してるんじゃないかな。もしかして気に入られたとかさ」

 冗談めかしてアキリアが言った。完全に面白がっている。困惑しきっていたグレイだったが、ふと気になってアシスタントに尋ねた。

「そう言えば。発見された彼らはこれからどうなるんですか」

「詳しいことは決まっていないようですが。彼らの為の特別な保護施設が置かれるのではないかと」

 そうですか、とグレイがしばらく考えこんでいると、後ろから風邪でも引いているのかと思うぐらいの掠れた声がした。

「朝早くから騒がしいな」

「すみません、トキさん」

 トキというこの男が、グレイ達研究員の監督だった。丸い黒縁眼鏡の奥の瞳は眠たげで、いつも草臥れたようなワイシャツとスラックスを身に付けていた。笑みじわを荒れ気味の頬に幾重にもつくり、へらへらと気の抜けるような笑顔を浮かべながらもトキはグレイの後ろを見やる。

「ああ、例の。随分元気になったようで良かった」

 宜しくといってトキは少女に手を差し出す。少女はトキを見上げて幾分不審そうに戸惑いの色を浮かべていたが、やがてそっと手を伸ばした。似ても似つかない二つの手が握手を交わした後で、グレイは躊躇いながらも「あの」と切り出した。

「何だ」

「お願いがあるのですが……」




「いや。ちょっと待て」

 サクトの中心部にある高層マンションの一室。テーブルを挟んでグレイの向かいに座っているカルラが話を遮って問い返した。

「お前、あいつを引き取るなんて言ったのかよ!」

 言いながらカルラが視線を投げた先にはアキリアと例の少女がソファーに座っていた。相変わらず彼女は喋らないがアキリアにも慣れてきたらしい。恐々と翅に触れられていることより部屋の様子に気が向いているらしく辺りを落ちつかなげに見回していた。

 この部屋はグレイが中央政府から特例として与えられているもので、ついでにインテリアもほとんどが支給されている。一般的なものではあるものの小綺麗な部屋に収まりよく見える。ただ、ソファーにしろテーブルにしろ、他のメンバーの手に渡っていったり戻って来たりするものなので、決して自分の所有物では無い。

「そんなに変なことかな、近くで様子を見ていた方が分かることも多いと思うけれど」

「変とかそういう問題以前に……いや、やっぱりそういう問題か。大体お前どうやって生活させて」

「寝る時だけ私の部屋で一緒にいれば、ってことになったんだけれど。ここの上だし、私独り暮らしとか寂しくて好きじゃなかったし」

 アキリアが慌てて口を挟んだあとで小さく、多分嫌われてないと思うしと言い足す。カルラは苦い顔のまま額に手を当てていた。

「お前らはそれでいいかもしれないけどさ」

「トキさんも大丈夫だって言ってたよ」

「監督は放任主義過ぎる」

「カルラは嫌なの」

 違うそうじゃない、とカルラは首を振り、少し気まずそうに少女を見やりながら声を一層低くして話し出した。

「保護された奴の身体検査の結果、どうせまだ聞いてないだろ。私はそれを知らせに来たんだけど」

 結論から、そう言ってカルラは身を乗り出した。

「イレッタでの調査による推測と身体検査の結果を併せた結論から言えば、人間に似た人間でないもの、それも人造体ではないかと言われているんだ」



 カルラの口から突然出てきた言葉に、今度はグレイが聞き返す番だった。

「……人造体?」

「あくまで俗称。状況からしてイレッタの人間によるものだろうという推測から、一般街の住民をターゲットにした某ゴシップ雑誌をはじめ早くも広まっただけの名前だけれど、いちいち『イレッタで保護された例の』なんて呼ぶのは面倒くさいから私もそう呼ぶ。今の所その推測が間違っているという根拠もないし」

 既にデータが記された紙などで大分散らばっているテーブルの上にカルラは纏まった資料の束をぽんと置いて、グレイに顎で読めと促す。

「翅の有無を除けば体形や身体構造なんかは人間と変わらないし、言葉でのコミュニケーションが取れないにせよ意思疎通は取れる。一方であいつらの翅は当然作り物では無いし、不完全なために脆弱性はあれど翅を動かすための筋組織も出来ている。何より血色が透明に近い、機能が低下している器官もある。それでも生命維持は出来ているし、今そこにいるやつに関してはそれほど苦もなさそうだろ?」

 グレイは改めて少女を見つめる。会話の行方を探るようにこちらを見ているアキリアとは対照的に、グレイ達の話に我関せずの彼女は退屈そうに側にあったクッションの反発力を試していた。

「それにしたって人間じゃないって今から断定するのはどうかと思うけれど、僕の認識が変なのかな」

「断定ではない。ただ、前も言ったようにイレッタで研究が進められていたという話があっただろう。イレッタ側はそれについてはっきりと否定はしなかったが詳しい情報を明かすことはしなかった。で、その話が真実だということが判明した訳だけれど、彼等はイレッタでの研究によっておそらく人為的に作られた人間ではないだろうかという話でまとまったらしい。……その資料もそうだけれど、何だか曖昧な説明のされ方だったけれど……まあ、現時点ではそんなところなんだろうな」

 どこか思う所のありそうなカルラの態度に、資料をざっと読み終えたグレイが不思議そうに顔を上げた。しばし思案するような間の後で呟く。

「本当に宝玉は存在していたんだね」

「そう。で見つけたのはお前。良かったな」

「全然そう思ってる風に聞こえないって」

 相変わらず人の功績に興味の無さそうな言い方に苦笑するグレイの傍らで、アキリアが言った。

「別に正確な答えなんて求めて聞いてないけれど、カルラはどう思ってるの」

 カルラは思案するようにうーんと唸ったまま何も答えなかった。こんな風に自信のないカルラは珍しい。グレイもしばらくその様子を見ていたが、要するに埒が明かない話なのだった。肩の力を抜くように息をついて言う。

「何であろうと僕は気にしないよ。もしもあの子に異変があればすぐ連絡するし」

「逆にお前に何かあった場合でも問題になる。あいつも今は落ち着いてるように見えるけど、保護施設で目覚めたうちの数人は混乱して暴れたりしたらしい」

「いきなり環境が変われば混乱だってするよ。あの子は大丈夫だから」

 カルラはまだ何か言いたげにグレイを睨んでいたが、やがて諦めたように顔をあげた。椅子から立ちあがると、とりあえず言いたいことは言ったからと名残惜しそうな様子を微塵も見せずに帰っていく。グレイが押しつけられた資料を片手にそれを見送った後で、アキリアが言った。

「グレイって時々楽天的というか、凄いこと言うよね。そういう所は羨ましいな」

「え?」

「何でも無い。……と、ところでさ。なんでこの子を引き取ろうと思ったの」

 ただその場を取り繕うために過ぎなかったアキリアの疑問は、グレイにはなかなか答えづらいものだった。しばし言い淀んでから口を開く。

「なんて言うか……見つけた自分に責任があると思ったんだよ。元々サクトの依頼で探していたものだけど、僕が見つけた以上、ただの研究対象ってのは他人事すぎるような気がして。さすがにあの地下にいた全員を引き取る訳にいかないし、この子にしたって当分の間だけだろうけど」

 責任かあ、と素直に感心しているアキリアに、グレイはほっとしながらも目を逸らす。

 自分の言葉は決して建前ではない、それは自信を持って言える。それでも、もう一つの心当たりを口にするのを避けたのがなんだか後ろめたかった。


 少女が話し込んでいる二人をのぞき込む。二人の話が通じているのかいないのか、きょとんとした顔をしている。アキリアが思い出したように言った。

「そういえば、私まだあなたの名前知らない」

「僕も知らない。というか無いのかもしれないけど」

 そうなの? とアキリアが尋ねると少女はわずかながら頷いた。話が通じていないという訳でも無いらしい。

「じゃあとりあえずでいいから名前か呼び名グレイがつけてあげなよ」

「えっ僕。なんで」

「責任」

 くすくすとアキリアが笑う。ネーミングセンスを試されたことすら無いグレイだったが、適当に流すこともできなかった。結局、今し方のカルラのようにテーブルの上で頭を抱えた格好で数分悩んでみてからグレイは呟いた。


「――Cerisier(スリーシェ)

「え、何て?」

「スリーシェ……桜のことだよ」

 言いながら恥ずかしくなって俯きかげんになったグレイだったが、アキリアは納得したように頷いた。

「いいんじゃないかな、私ネーミングセンス無いからよく分からないけど」


cerisier=フランス語で「桜」(厳密には「桜の木」らしいですが)

本来の読みは「スリズィエ」や「セリジエ」といった感じです。


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