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白蝶貝の入江  作者: 浅葱 佑
白蝶貝の入江
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3.胡蝶の少女

 体がすくむとはこういうことをいうのかもしれない。グレイは驚いて手を引っ込めた格好のまま、後ろに下がれず硬直していた。錨が視線の先にかかっていて、見えないロープで体を引っ張られているような感覚だった。

 箱から、氷が割れる時のようなぱきぱきという音がしている。上面に入った亀裂から小さなヒビが枝分かれして箱全体に広がっていき、亀裂が中から持ち上がったかと思った瞬間、箱は小さな破片を散らしながらあっけなく破けた。


「うわっ」

 その途端硬直していた体を突き飛ばされたように、グレイは思いきり箱の上に尻餅をついていた。起き上がろうとしても腕や足に力が入らない。いくらなんでも驚きすぎだと自分に突っ込みを入れながらもようやく身を起こしたグレイは、水が流れ出るその箱を見上げて息を飲んだ。



 濡れた乳白色の羽毛に照明であわく虹が映っていた。

 水面を静かに波打たせて、伏せられていたそれが起き上がる。その中にいたのはグレイと同じか少し上ぐらいの外見の一人の少女で、羽毛だと思っていたものは少女が纏っている長い髪だった。

 瞳を閉じたまま、少女は箱の縁に手を掛ける。割れた箱の断面に切れてしまいそうな細い指、白髪越しに見えるすべらかな腕や袖のない衣服、全てが暖かみのある乳白色だった。伸びをするように顎を反らしながら頭上から降り注ぐ光を仰いだ彼女は、生まれたばかりの赤子のようにうっすらと目を開けた。

 黒い瞳に真珠のような穢れない七色の色彩がおちている。

 そして極め付きには、彼女をこの世ならざるものとでも表すかのように、背には緩やかにカーブを描く四枚の(はね)があった。光の下に晒されたばかりのまだ伸びきらない翅は、萎れかけた白い花弁を連想させた。


 ふと、少女が下にいるグレイへ目を向けた。

 ただ彼女の様子を見ていることしかできなかったグレイは急に視線を向けられて狼狽える。しかし、少女は表情ひとつ動かさずに黙っていた。沈黙に耐えられずにグレイが声をあげようとした時、いきなり彼女は咳き込んで箱から崩れ落ちた。倒れかかる少女を咄嗟に受け止めたグレイは、その軽さに目を丸くした。水に浸かっていたせいで身体が冷えきっている。突然の状況に戸惑いながらも、こうしてはいられないと少女を抱えて入口の方へ向かおうとした時、アキリアの悲鳴が聞こえてきた。




 ______


「……多分、あれだな」

「え?」

「お前が見つけたあれが目的の物だ」

 言いながら、カルラはインスタントコーヒーの粉末を無造作に紙コップへ流した。

 夜は深まりつつある。グレイ達もすでに街の外に張られた仮設テントへ移っていた。風は凪いでいるが、やはり少し寒い。グレイも自分のコップに粉末とお湯を注いだ。

 立ち上る湯気が銀砂を撒いたような星空へ消えていく。星というものはこれほどはっきり見えるものなのかとグレイは密かに驚いていた。いつでも煌々と人工の光に照らし出されている都市サクトにこんな夜は来ない。生まれてからずっと、こんな星空が頭上にあることにも気付かず夜を過ごしていたと思うと惜しいような気持ちになった。

「ミルクと砂糖あるけど。グレイ」

 隣に座っているアキリアがグレイをつつく。

「ああ、じゃあミルクだけ」

「カル……」

「要らない」

 素っ気ない返事。

 そっか、じゃあ私は両方入れちゃおうかな、とアキリアは独り言のように言ってから、今度はやや遠慮がちに「それで」と切り出す。

「目的の物ってどういうこと」

「どうもこうも。今回の調査の目的の物だってこと」

「中央政府の人は最初からあの子のこととか、もう全て分かっていたってこと?」

 言いながらグレイは後ろのテントにちらりと視線を送る。中では昼間見つけた少女が今も眠っていた。

「いや、何も知らなかったのは私達と同じ。ただ噂はあった」

「どんな」

「イレッタに、それまで絶対不可能とされていた概念を覆すような医療技術が誕生したって話。彼の地の人々によってそれは、天上の白き宝玉と呼ばれている、とかなんとか」

「何だかちょっとオーバーな名前だけど、それは人じゃなくて技術を指すんだ?」

 アキリアが首を傾げる。

「サクトの人間どころかイレッタの中でもあまり公にされていなかったらしいから、その真相を知っている奴は本当にわずかだったと思う。噂が流れている所からして固く秘密にされていた訳でも無さそうだけど」

「よく知ってるんだね」

「私は他の奴より早く目覚めたから、その辺の事情は自分で知っている。それでもその噂について詳しく知ろうとした所で、どんな技術なのか、どれほど進められているのかはさっぱり分からなかった。分かったのはその呼称だけ」

「それ、ほとんど何も分かっていない状態と同じでは」

 グレイの呆れたような突っ込みにカルラが顔を顰めた。

「そうだよ。当然信憑性なんて無い馬鹿馬鹿しい噂だと思って私は全く信じてなかった」

 苦々しく吐き捨てるような言葉に、まあそうだろうねカルラは、と笑ってから、グレイはふと気がついた。

「てことは中央政府の人達はそんな噂を信じてたの」

「半信半疑ぐらいだったんだろ。火のない所に煙は立たずとも言うし、少なくとも私よりは信じてただろ」

 半信半疑で信じていたものの為に、自分達はこの廃都の調査に駆り出された訳かとグレイは考えた。あるいはたとえ根拠が噂だとしても、彼らは自分達に無いものを手に入れたかったのかもしれない。その貪欲さは十分ありうることだった。


 貪欲。

 グレイは顎に当てていた手を離して、イレッタの”城”の方を見た。目を凝らせば夜の闇の中にも真っ黒なシルエットがあるのが分かる。周辺に明かりがちらほら見えるのはまだ作業をしている人がいるためだろう。


 まさかとは思うけれど。

 グレイの頭にある推測がよぎる。

 ――噂されていたその技術を手に入れるためにイレッタと揉め事を起こしたのだとしたら。


 それはいくらなんでもとその考えを一笑に付そうとしたグレイは、自分の見つけた少女の存在を思い出してひやりとするような感覚に襲われた。現にその技術が実在することを証明してしまったからには、その推測もおかしなものではなくなるのかもしれない。


「でもさ、最初に見つけた時はほんとにびっくりして叫んじゃったよ。いきなり誰か倒れてるんだもの」

 アキリアが言う。言葉の割には声のトーンがいつもより高く、自分達の発見に対して純粋に興奮しているらしかった。

「それで、アキリアの見つけたそいつはどうなったんだ」

「衰弱してたから向こうで治療受けてる。なんとか大丈夫だって聞いたけれど回復にはもう少しかかるみたい」

「そういえば僕があの部屋をふらふらしてた時、割れた箱があったなあ」

「……全く妙なモノ見つけやがって」

 大げさにカルラが溜息をつく。

 報告によればあの部屋には、少女の他にも蝶のような翅を持つ者が数十名発見されたらしい。彼らがあのコンテナのような箱の中にいたと考えると、その数もほんの一部だろう。


 グレイはコップを持ったまま立ちあがってテントを振り返る。

 テントの奥にいる少女の輪郭がオレンジ色の光にぼんやりと浮かび上がっていた。うねりの強い髪が空気を含んで扇状に広がっている。生気を感じさせない程に白い肌色が、明かりのおかげでいくらか健康的に見える。そして、半透明の薄い翅はやはり見間違いようもなくそこにあり、光を受けて夕日色に輝いていた。少女の身体を包み込めそうな大きさの割にはいかにも脆そうに見える。

 これからのことを考えると複雑な感情はあるものの、その美しさに心を奪われグレイは立ち尽くしていた。自分とはかけ離れた場所にある、そんな存在を見ているような気がしてきたのだ。


 グレイの視線に気付いたアキリアが溜息まじりに呟く。

「なんだか物語に出てくる妖精みたいだよね。ずっと小さい頃絵本で見たことがあるような。なんて題名だったか忘れちゃったけど」

「物語はフィクションだよ。実在はしない」

 水を差すような返事にアキリアはふくれる。

「分かってるよそんなの。みたいだ、って言ったの」

「ごめん。そういうのあまり信じないほうだから、つい」

 でも、とグレイはそっと付け加えた。

「この目で見たものを疑うほどひねくれてはいないよ」

「うん。……何者なんだろう」

 アキリアが誰に問うでもなく呟いて黙り込む。いずれ分かることだとしても、疑問を抱かずにはいられないのはグレイも同じだった。自分に向けられたあの瞳を思い出して、思わず目を伏せる。

 知らず知らずのうちに強く握りこんでいた紙コップが手の中でへこむ感触がした。飲みかけだったことを思い出してコップに口をつけるとぬるいコーヒーの味が口の中に広がった。



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