2.地下倉庫
「この先が突き当たりの部屋?」
「そう、多分これで最後」
「本当に思ったほど広くなかったね。少し入り組んではいたけど」
少し間を置いて、でも、とアキリアが自信なさげに言う。
「こんなんでよかったのかな、調査。いくら状態が悪いからって言っても、戻ってからカルラに怒られちゃうかも」
いくつかの部屋が荒れていて、足の踏み場もないその状況に入室さえできなかったことを気にしているらしい。
「カルラはそんなことで怒りはしないよ。僕達でどうにかできるものでも無かったし仕方ない」
「そっか。……ああ、少し寒いな」
アキリアはマントの端を掻き合わせて身体を包み込む。
「そうだね。早いとこ上に戻ろう」
特に何の含みもない自分の言葉に、グレイは何か引っかかるものを感じてふと口をつぐんだ。だが、その引っかかりが何なのかがよく分からない。釈然としない気持ちを隠して突き当たりの部屋へ足を踏み入れる。
足元を確認しながらライトを振ってみる。他の部屋よりは広いものの、状況の酷さはたいして変わらない。
よくこんな風に積めたと思うほどの大量のラックや機材の山を見上げて、アキリアが落胆とも安堵ともとれるため息をつく。
「これは駄目っぽいね」
「うーん……いや」
「え?」
「ここは荒らされたんじゃなくて元々ここにいた人達が荒らしたって感じがする、ような」
グレイはライトを最大限に明るくして天井や壁際を照らす。
「言われてみれば……。でもこれじゃ」
「あの」
グレイは警護で付いてきていた長身の男性を振り返る。新米なのかいきなり話しかけられて驚いた様子だった。グレイは目の前のガラクタの防壁を指して尋ねる。
「この奥も安全確認は済んでいるんですか」
「あ、はい。爆発物や有毒物質、銃器などの危険物の反応はありませんでした」
「なら」
防壁の奥を覗きこむ。
「ここの隙間、通れそうですか」
「うーん、無理かもしれません。人手が必要なら」
「いや、僕ならぎりぎり行けるかもしれない」
そう言うが早いかグレイは防壁の隙間へ半身を突っ込んだ。
「え、ちょっと危ないって」
アキリアの制止も聞かず、何かに取り憑かれたかのようにグレイは必死で奥に進もうとしている。
さっきまで「早いとこ上に戻ろう」なんて言ってた癖に、とアキリアはやきもきしたが、この無秩序なガラクタの防壁が一気に崩れたらと思うと、何もしないで立っている訳にもいかず仕方なくグレイに加勢した。
十分ほど防壁の山と格闘した頃だろうか。ただ目の前にある障害物の奥へ進もうと夢中になって、当初の目的を忘れていたアキリアの耳に突然グレイの声が響いた。
「アキリア! 扉がある!」
スライド式のドアは壊れたのかすでに細く開いていて、向こうから空気を感じる。グレイはその隙間に指を掛けて一気に引いた。しばらくしてようやく扉にたどりついたアキリアは、その先にライトを向けて目を見開いた。
「階段……地下3階」
「うん」
暗い上に、先に何があるのか分からないのが怖いのだろう。アキリアがグレイに身を寄せる。
「今度は先に行ったりしないでよ」
「うん」
グレイの表情も期待と不安に引き締まっていた。
そこは広い倉庫で、柔らかいクリーム色の光が部屋全体をぼんやりと照らしていた。部屋の入口で、グレイは立ち止まる。驚いたことに空調も効いていて、低い作動音とともにふわりと風が吹いてきた。何かの香草のような爽やかな香りがする。そして、部屋中にはコンテナのような、象牙色をした直方体の箱が何百個と乱雑に積まれていた。向きも上下もバラバラで、まるで天井から投げ込まれてそのまま放置されたかのような有様だった。
足元をみると、鉄骨の階段が下まで続いている。一歩踏み出すと、カン、という音が室内の静寂へ広がる。グレイはゆっくりと下りていき、コンテナの壁に触れてみた。つるりとしていて角が丸い、コンテナと言っても両手を広げた長さより少し大きいぐらいだった。
側面にまわると小さく文字列が刻まれていた。逆向きになっていたので首を傾げてみて、"219/25M-正常"という文字をなんとか読むことができた。その上に乗っている箱にも"221/80F-AD3"という文字がある。整理番号のようだけれど、今も中に何かが入っている?
上の箱の側面には赤いペンキで大きく×印がされていた。ペンキの雫が幾筋か、下の箱までとろとろと垂れて固まっている。この箱だけでなく、全体の3分の1ぐらいの箱には何故か同じように赤い×印がされていた。グレイが固まったペンキの雫に触れようと手を伸ばした時、アキリアの呼ぶ声がした。
アキリアは自分の目の前にある箱を物珍しそうに触っていた。
「この箱、どうやって開くのかな。取っ手も何も無いし」
「危険物探知機の反応はありませんが、この素材はそこらで使われているものではないですよ。念のため触らない方がいいかと」
「あ」
男性に言われて手を引っ込めたアキリアが、グレイに気付いて駆け寄ってきた。
「グレイ。これ何だか分かった?」
「いや、全然」
「そうだよね。なんだかちょっと……不気味にも思えるけど」
「確かに」
グレイは改めて部屋を見回す。重なりあって黒々とした影、何かを拒絶する叫びのような勢いで塗りつけられた×印など、不可解なものばかりだ。しかしグレイが感じているのは、不気味さとは少し違うもののような気がした。それはさっき感じていたあの引っかかりで、嵐の前の日射しのように心が落ち着かない。
それを言葉にして一番近いのは「予感」だろうか。
ああ、まだ分からない。冷静にならなくては。
「警護の人が連絡してくれたから、じきにみんな来るよ。大丈夫、奥に行こう」
「……わかった」
通路はコンテナのせいで視界が遮られ迷路のようだった。そのせいか、気がつかないうちに上ばかり向いて歩いていたらしい。角を曲がったところで、アキリアが小さく悲鳴をあげて転んだ。セミロングの髪が舞い上がる。
「大丈夫、ちょっと足を滑らせただけ。あ、ここ床が濡れてる」
マントの裾を濡らさないように急いで立ちあがったアキリアは、前へ向き直ろうとしていたグレイの腕を掴んだ。
「どうしたの」
「これ、何の液体だとおもう」
アキリアが今自分が転んだ水溜まりを指す。透明の液には淡い光によって歪んだ虹のような縞模様が浮かんでいた。油が地面に広がってこんな色になっているのを見たことがある。
「何かのオイルかな」
「ここから漏れてる」
近くにあった箱の底に近い部分に太いヒビが走っていた。水はそこから静かに壁を伝って流れている。グレイは壁際に寄ってみた。
「グレイ、あまり近づかないほうが」
アキリアが注意しようとしたその時、箱に走っている太いヒビから上に向かって、細いヒビが入った。ぎょっとして二人とも後ずさる。
「なんだか危ないよこれ、一旦戻ろう」
引きつった声でそう言うと、小走りにアキリアは来た道を引き返す。
「あ、待って」
グレイも戻りかけたが、足を止めてもう一度ヒビを見直す。しかしそれ以上は割れる兆候も無かった。
「グレイ!」
「今戻るよ」
諦めてグレイもアキリアの後を追う。が、途中でもと来た道が分からなくなった。歩く道に違和感を感じながらも突き進んでいたのだが、行く手に割れた箱があるのを目にして立ち止まった。完全に迷ってしまったらしい。
箱の断面が斜めにこちらを向いている。中には何も無い。何かを言い出すか迷っている口のようにぽっかりと開いた空洞をしばらく見つめていた。
水が流れ出したまま、まだ乾いていない。箱の内側は真珠貝の内側を思わせる色をしていた。この箱の素材は見かけより脆いのだろうか、なんてことを考えているとまたアキリアの呼ぶ声がした。返事をしてまた入口への道を探そうとした時、ふとある考えが浮かんだ。
グレイは積まれた箱を見上げる。上に四つも箱があるのに、一番下の箱が壊れていないことを考えると、それほど重さに弱い訳でも無いらしい。よし、と呟いて手近な箱の一つに危ないのを承知でよじ登った。そろそろと立ちあがっても箱はびくともしない。ほっと息をついたが、それでも安心はできない。慎重に箱の上を渡りながら入口の方へ歩いていく。
多少の危ないことでも試してみたいことは躊躇無くやってしまうのがグレイの長所であり短所だった。気持ちが昂ぶっていたのもあるだろう。……とはいえ、得体の知れない物の上を歩くのはやはり大胆すぎたかなと後ろめたいような気分になってきた。それこそ後でカルラに怒られるかもしれないから適当な所で降りよう、そう思ったグレイが何気なく目の前の箱へ手を掛けた瞬間だった。
その箱に音を立てて亀裂が走った。