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白蝶貝の入江  作者: 浅葱 佑
白蝶貝の入江
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1.幻の

ここから本編です。

 車のタイヤが小石を踏んで、がたんと身体が揺らされた拍子に少年は目を覚ました。同じ体勢で眠っていたためか首が痛い。前の座席の背中に腕があたらないように小さく伸びをしてから、彼は窓の庇を3分の1ほど開けてみた。昼間の光が直に入ってきて少年は目を細める。

 辺りは一面の草海原だった。少年の肩ほどもありそうな植物は、乾燥した気候のせいかくすんだ緑色をしていた。柔らかな風が草をしならせて白い波を生みだす。なんだか窓を開けて風にあたりたくなるような光景だったけれど、生憎と窓を開けるための鍵は無かった。

 少年は首を伸ばして前へ声を掛ける。

「あとどのくらいですか」

 運転席のラジオから人の話し声が聞こえる。乗客に気を遣っているのか音量が小さく内容までは分からない。席からちらりと後ろを見やるような気配がした。

「あと20㎞もないぐらいです。もう少しの辛抱ですよ」

 まわりの席を見回せばまだ眠っている人も多い。そっとシートに座り直した少年は、また外の景色を眺めることにした。


 ――東の海洋に面した入江。穏やかな気候のあの土地に、イレッタという名の都市が生まれたのは8年ほど前のこと。始めはその存在さえ知らない人がほとんどだった。しかし、人も住まない広大な平原と海に囲まれた、他の都市と隔絶された環境のおかげで、気兼ねなく街を拡大できたのだろう。気がつけば遠く離れた首都サクトでもその地の噂を聞くようになっていた。


 どこまでも続くかに思えた草原が次第に途切れてきた。剥き出しになった地面は鉄を含んでいるのか赤みがかっている。窓に顔を寄せるとはるか遠くに、初夏の朝空のような色をした家々が光を受けて立っているのが見えた。


 街の外で小型バスが停まる。

 少年もシートから立ちあがった。



 澄んだ空。

 海風が日だまりの車内で温もっていた彼の体に吹きつける。羽織る黒いマントが膨らんで、烏羽のように鈍く艶めいた。少年は目にかかる癖のない栗色の髪を払いながら眼前の街を見上げる。その頬から喉元にかけての丸みを帯びた輪郭や、黒目がちな瞳にはまだあどけなさが感じられる。外見からすれば歳のころはせいぜい12、3歳というところだろうか。それでいて、ふとした瞬間に彼の眼差しにさす蒼い影は子供のものではなかった。

「グレイ! そこで何やってんだ早く来い」

 数m先から響きわたる怒鳴り声に片手をあげた少年は、街の中へと歩き出す。

 住む者のいなくなった街は、文字通り死んだような静けさに包まれていた。




 他の諸々の大都市と比べれば、イレッタは決して大きな街とはいえない。都市そのものの規模ならサクトの方がはるかに大きいだろう。それでも時間の流れが違うようなこの土地の空気のためか、他から移り住む人は絶えなかった。しかし街が栄えるにつれ次第にサクトとの関係も悪くなり、それにサクトの中央政府が危機感を覚え始めた頃だっただろうか。


 ――イレッタを都市国家として立ち上げたい。


 この街の指導者が放った言葉はすぐに国内全体を揺るがしたらしい。らしい、というのは、グレイはその騒ぎを生身で経験することができず、聞いた話でしかないからだ。

  まあとりあえず、その話は一旦置いておくとして。

  それほどの騒ぎを起こしたイレッタだったが、その鎮圧はあっけなく、一ヶ月もかからなかった。サクトの占領下で残されたイレッタの住民はこの地を去り、あとには街の抜け殻だけが残された。

 これが、幻の都市国家と言われる由縁の全て。



 抜け殻はグレイ達のためか想像していたよりも片付けられていた。割れた窓や塀の亀裂にシートがかかり、裾を風に遊ばせている、その様子には妙な長閑ささえ感じた。それでもやはり、がらんとした虚しさは街全体に充満していた。こうして直に街を目にしているのに、あの一連の出来事をやはりただの過去のこととしか思えない、その虚しさもあるのかもしれない。

  自分の考えに没頭していたグレイがふと気付くと、カルラが意志の強そうな眉をきつくしてこちらを睨んでいた。

 初対面の人が男性と間違うほどの、骨張って引き締まったカルラの体躯はグレイより頭一つ分高く、飴色の髪はベリーショートと言っていいほど短い。その猫のような黄金色の瞳を細めると人をたじろがせる気迫があった。

 グレイ達は研究員としての研修期間に入ったばかりの、所謂エリート学生なのだが、仕事を片付けさせるのに丁度いいと判断されたのだろう。研究員の初めての任務としてイレッタの調査をすることになった。任務に意気込んでいるのか、イレッタという場所に緊張しているのか。何だか今日はいつにもまして恐い。わかったよ、と心の中でグレイは息をつく。




 イレッタの中心にある建物は間近で見るとかなり大きく、造りも瀟洒で複雑だった。自治政府によって管理されていた建物らしいが、城といったほうがしっくりくる。

「もう面倒臭いしイレッタの城って呼んじゃっていいかな」

 同じことを考えていたのか、隣にいるアキリアがそんな独り言を言う。彼女もまた調査に派遣されているメンバーのひとりだった。

 一行はひんやりとした吹き抜けのロビーへ入っていく。電力関係のものが壊れているためか暗く、昼間の光に慣れていたグレイの目にはしばらくの間何も見えなかった。物が判別できるようになってから天井を見上げてみる。開きかけた花のような変わった照明があった。グレイが実際に目にするのは初めてかもしれない。


 全員がロビーに集まったところで警備担当のリーダーを名乗っていた男が前に出た。

「この場所の安全確認は一通り済んでいますが、もちろん絶対に安全とは言い切れません。調査の際は二人以上の行動で、必ず警備担当の者をつけてください。万が一何かあればすぐに知らせてください」

「わかった。この大きさだから私たちも行く階を分担する。名前を呼ぶから私の言う場所へ」

 そう言ってカルラが前へ出ると「なんであいつが仕切るんだよ」と後ろの方からシャガの不満そうな声がした。

「どうせお前はソ二と一緒に行ければいいんだろ」

「はあ!? 何だよ偉そうに」

「黙れシャガ」

 ソ二が緑色がかった目を細めてうるさげに一喝する。途端にシャガは大人しくなった。

「ソ二、この地上階を頼めるか」

 ソ二はカルラをしばらく無言で睨みつけたが、ふいと横を通り過ぎてそのままロビーを去っていった。シャガも慌てて後に続く。二人の姿が見えなくなってからアキリアがそっとグレイに囁いた。

「相変わらずだねあの二人。なんか嫌な感じ」

「でもアキリア、前ソ二のこと格好いいって言ってたような」

「それ会ったばかりの頃でしょ、まだ性格なんて分からないじゃない。そんなこといつまでも覚えていないでよ」

「う、うん。ごめん」

「グレイ」

 グレイがはっとして振り返るとカルラが小型ライトをふたつ突き出していた。

「地下階へ行って。アキリアも」

「地下」

 アキリアが小さく繰り返す。

「そう。地下は二階まであるけれど地上の階ほど広くない。二人で十分回れるはず」

 グレイはライトを受け取ると片方をアキリアに渡した。

「行こう」


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