#2
できれば本編中に入れたかった話その2。本編最終話後のお話で、エピローグのような立ち位置にくるものと捉えて下されば。#1と同じくアキリア視点です。
この一本道を車で走り続けて数時間。飛ぶような勢いはまさに爆走という表現が相応しい。
「あとどのくらいかなあ」
前も後ろも、車や建物らしきものは何も無い。たまに無人のガソリンスタンドや小さな売店が現れる以外には、両側に草原が広がっているだけの代り映えしない景色に退屈して、助手席にいるアキリアの口からついそんな言葉が零れる。独り言に返事を期待した訳でも無かったが、車内の誰からも返事はない。走りだした最初の内はあれほど騒がしかったのが嘘のような静けさだ。とはいっても、乗っているのは3人だけだから、これだけ走っていれば会話する気力も失せようというものだ。
「道程の半分は越したと思う。まだまだだろうけど」
随分と間があってから、やはり独り言のようにカルラが言った。眩しそうに目を細めてハンドルを握っている。車の運転なんかいつ覚えたのかと聞いてもはっきりした答えは返ってこなかったが、カルラはアキリア達より少し早めにコールドスリープ期間を切り上げているから、そんな暇もあったのだろう。そんな事をぼんやり考えていたら、グレイから聞いた話を思い出した。
「ねえ、突然だけど、カルラはあまり長くコールドスリープできる体質じゃないってのは本当なの」
「そう言われてる」
さして執着も無さそうな答えが返ってくる。
「他の人とは違った成長緩和措置を取っているって聞いたよ」
「他の奴より少しまめに診察を受けて、少し服用してる薬の種類が多いだけだよ、大した事でもない」
そう言ってから、ああ、でも、とカルラは付け加える。「措置を始めた最初の頃は頻繁に熱が出てたりしてた。措置を続けないと体調を崩す可能性があるらしいから、仕方ないことだけど。今はもうそんなことあまり無いから忘れてた」
「体調を崩さないようにするために体調を崩すってこと」
「そういうものだろ。そもそもコールドスリープなんて技術が人間に無理があるのは当たり前なんだし」
「うん。そうなんだろうね」
コールドスリープをはじめとした成長緩和措置は、いずれサクトの一般市民にも適用されるだろうと言われている。しかし、コールドスリープ技術の歴史は、それが人間に与える影響を考えればまだ浅く、未だ完全なものとは言えない。その不完全性や、人体に及ぶリスクはアキリアがエリートコースに入る前から既に、様々な場所で指摘されていた。
どうしてそんな技術が実用化されているのだろうといつだかグレイに向かって問いかけたことがある。そんなことをしなくても、昔と比べたら十分に長い命のはずなのに、と。あれは今になって思えば無邪気で大人というものをまだよく知らなかったからこその疑問だった。
グレイはあの深い水底のような瞳をして少しの間考え込んでから答えた。
『今に満足できないからなんだろうね。貪欲さといったらそうなるし』
別のことを考えていて話しかけられたことに気が付かないなんて場合を除けば、グレイはアキリアのこういう疑問に適当な答えを返したことはない。考えていることを一つ一つ言葉にするように淡々と答える彼。それまでアキリアが幾度となく出会ってきた、自分の話にアキリアがどう反応するのかということにしか興味のない、それでいて尤もらしいことを言いたいがため何か気の利いた質問をしろと要求してくるような人達とは違っていた。
だからこそ、彼の傍にいようと思ったのかもしれない。
貪欲でいたら、いつまでも幸せになれないのにね。
そう呟いたアキリアにその通りだと笑ってから、グレイは続けて言った。
『でも、貪欲に何かを求めるというのは、別の言い方をすれば「願う」ことだ。もっと皆の命が長ければいいのに、なんてとてもシンプルで純粋な願いじゃない』
その時は、その言葉に随分呑気だなと内心呆れて、適当な相槌を打ってしまったような気がする。
『だから貪欲でいることをなかなかやめられない人間がいるんだろうね。願うことを止めない人間が多いのと同じで』
「願い、なのか」
「何が」
カルラに間髪入れず聞き返されて思わず心の呟きを口に出していたことに気が付く。
「コールドスリープは、人々の願いなんだろうってグレイが言ってた」
「だからって、勝手に希望の星みたいに言われて実験台みたいにされても困る」
まあねとアキリアも苦笑する。
「あいつ、どうするんだろうな」
エンジン音に乗せて、ぽつりとカルラが言った。
「サクトから離れるのかとも思ったが、そうでも無いんだろうか」
「……もし、サクトから離れたいとグレイが思ったとして、そんなことができるの」
「できればそんなことは願わないで欲しい所だよ」
かと言って、サクトに戻ったところできっと何も変わらないんだろうな、とアキリアは目を伏せる。あの夜、保護施設の職員が人造体を引き渡していた本当の相手は中央政府の人間だった。その人はイレッタの繁栄を良く思っていなかったという話もある。人造体の持つ翅を目当てにしていたというが、本当にそうだったのか、イレッタで発見された人造体の存在そのものが疎ましかったのか。両方だったのかもしれない。
スリーシェ達の存在、そしてグレイのした事を喜ばない人がいるという考えを、アキリアはそれまで意識的に考えの外に押しやってきた。今ではそれを少し後悔している。
少し休むかと言ってカルラが道路の脇に車を停める。扉を開けて外に出た途端、サクトとは全く違う乾ききった草の匂いと、心なしか海の湿り気を微かに含む風を感じた。アスファルトから亡霊のように陽炎がふらふらと立っている。来る車など、もう滅多にない道が虚ろに軽やかな初夏の空気に溢れている。まるで昔見た油彩画のようだった。最もそれは確か港の夕景を描いたもので、この風景とは随分違うもののはずだ。
……後ろで言い争っている声が無ければ、自分が何のためにここにいるのかも忘れてしまいそうなんだけど。こらえきれずに笑いが零れる。
「何笑ってんだよ」
後部座席からシャガが不機嫌そうに顔を覗かせる。「ああもう。眠いんだよ」
「ずっと寝てたよね、シャガ」
「すること無いから。しかもこの車、その辺でレンタルした物なんだろ。古いし揺れ酷いし音うるさくて寝心地最悪なんだよな。……専用航空機とかで行けばこんな無駄な時間過ごさなくていいのに」
「無理。ほぼ私情での遠出だし、あまり周りに知られるのも嫌だって何度も言っただろ。問題なく走れるだけで上等だと思えよ」
げんなりした様子のシャガはクーラーボックスからエナジードリンクを取り出して思い切り呷りだす。
「買ってきたんだろ、私の分も取って」
「あ、私のも」
全くなんでこんな事とシャガは何度目かの愚痴を吐きつつオレンジジュースと紙袋を二人へ投げる。
「あいつが何しようがお前らが何しようが俺はどうでもいいし」
「だって一応同じグループだよ」
「はいはい。どうせそう言うと思ってました」
ふいと顔をそむけるシャガの仕草が何だかとても子供らしくてふっとアキリアの頬が緩む。
結局私達は子供、それでいいような気がしてきているけれど、それでは彼は納得できないんだろうか。哲学的なことを考え続けるのはあまり得意じゃない。助手席の扉を開け放しにしたままシートに座って冷えたオレンジジュースの缶を開ける。果汁の酸味は渇きを癒すに十分だったけれど、あまり味わうことは出来なかった。
グレイはどうするんだろう。
彼がスリーシェ達を連れてイレッタの方角に消えていった朝から、そのことがずっと重石のように頭から離れなかった。いい加減本人のいないところで悩むのもじれったく、アキリアは騒ぎが収まるのを待たずに彼の様子を見に行こうと言い出したのだ。駄目で元々のつもりだったのに、今こうしてイレッタに向かうことができているのもトキやカルラのおかげだろう。昨日トキと顔を合わせた時も、いつもの調子でただ一言、焦らずによく考えろと言われただけだったが、そう言った彼の目はあまり見ないような真剣な色を帯びていた。本当はこれ以上深く詮索するのは止めろと言いたかっただろうはずだ。それでも止めないという選択を選んでくれたからこそ、トキに迷惑をかけるようなことは絶対に避けたい。
でも。
焦らずによく考える、か……
考えているうちに気がつけば全てが目の前を過ぎ去っていってしまいそうな日々の中で、焦りが無いと言えば嘘になるだろう。グレイがアキリアのあずかり知らぬところへ、追い付けない場所へ行ってしまうのが怖くて、気が付けばこんなことをしている。
けれど実はイレッタに早く着きたいと思う反面、彼に会うことも少し怖いのだ。
私は彼にどういう判断を下して欲しいのだろうと、そう少し角度を変えて自問してみたら、どれだけ考えても出てくるのは揺るぎようもない一つの答えだった。
愕然とした。グレイのためにも自分のためにもならないとすぐに分かる答えなのだから。
私は彼に会って何を言うつもりなのか、まだそれすら分からないままに会いに行こうとしている。全く不甲斐ない。
「どうした?」
本当に不甲斐ない表情をしていたのか、同じくシートで長い足を投げ出して休んでいたカルラに問いかけられる。紙袋からネクタリンを取り出し、がりがりと歯を立てて頬張る様子が何だかとてもきまっている。
「不安になったのか」
「まあ、ちょっとね」
「確かにあいつに好き勝手に行動させるのは私も心配だな。でも私達が行った所でどうにもならないかもしれないし、どうにかなるのかもしれない。なるようにしかならないって思っていた方がいいだろうな」
「うん……ありがとね、ついて来てくれて」
「いや、本当は私ももう一度イレッタに行ってみたかったんだよ。アキリアが行きたいって言いだしたのは意外だったけれど」
固めの果肉を咀嚼しながらカルラが続ける。
「イレッタが発展する前からあの場所は、知る人ぞ知る小さいながらも美しい町だったんだ。天上の光が降り注ぐ場所、なんて美称もあったらしいし」
「天上の光」
「多分朝日の綺麗な場所だから、そんな風に言われたんだと思う。他にも幾つか美称があったと思うんだけれど、実際にそんな呼び方をされたのはもうずっと昔の話だろうな」
へえ、とアキリアは目を丸くしたが、カルラの瞳が翳った。
「調べれば調べる程、興味深い事実が出てきて、まだまだ隠された秘密があるような気がしてきたんだよ。でもあっけなくサクトに潰されて指導者は消えた、住民もいない。今は未来もなくただ廃れていくだけの街になってしまったのかと思うと、やっぱり残念だよな」
「そうだね」
知識欲の強い彼女らしい言葉だ。アキリアは頷く。
「でもまだイレッタが栄えていた頃の名残はあるはずだし、もしかすると人造体についても何か分かるかもしれない」
食べ終えて紙袋を畳みながら、カルラが気分を切り替えるように声の調子を少しだけ明るくした。
「さて、そろそろ行くか」
「うん。行こうか」
行く手に積乱雲が出ている。あの雲は幻の都市に雨を降らすかもしれない。かのフレデリックや、かつてイレッタに移り住んでいった人達は、きっとあの場所に夢を見ていたのだろう。
そして街が滅びてもなお、夢を見ようとする人間がいる。
そんな人達を微笑ましいと思ってしまう私も、少し変なんだろうな。
イレッタへ向かう一台の車。
もしこの日、私がグレイに会っていたらどんな事を言っていたのか。
それは今でも分からない。
それでもただひたすらに自分の望むままに仲間とイレッタを目指していたあの時間、きっと私は幸せだったのだろう。
ストーリーとしてはこれで一区切りです。
番外編2としての「白蝶貝の入江-Inlet of the revival-」(多分このタイトルになる予定)もよろしくお願いします。




