命をいただくことの重み
「おい、待ってくれ。このイノシシどうするんだ。置いてくのか」
「おお、そうだったな。せっかくの獲物だから村に持って帰るぞ。皆、よろこぶだろうな」
「なら、我の背に乗せろ。我が村まで運んで行く」
このとき、俺はまだ命を奪うということに対してまだ実感が沸いてこなかった。余りにもあっさりと倒してしまったので、実感が沸いてくるよりも軽い感じで食料を手に入れた、これで今日は肉が食べれるという期待感でいっぱいだった。
◇◇◇
「ヒビヤ兄ちゃん、おかえりなさい~」
フリジオが出迎えてくれる。傍にはアンゼリーゼも立っている。
「わあー、どうしたの?そのイノシシ!兄ちゃんが獲ってきたの?わーい、やったー、今日はイノシシ肉だー」
「ヒビヤさん、よくこんなでかいの倒せませたね。元は高名な冒険者でしたの?」
「いいや、これもあの畑に使った力と同じで、こいつに向かって使ったらたまたま倒せたんだ。なあ、驚くよな!?」
「ええ、これも神の御業のおかげですね」
「ま、まあ、そうなんだけどな...」
(元はそうかもしれないが、今は俺の力なんだ。俺の力で獲った初の獲物だっていうのに...つれないな)
俺たちの騒ぎを聞きつけた爺さんが喜びの表情を浮かべながら話しかける。
「ほお、ヒビヤ殿、よくぞ仕留めになられましたな。ふむ...これはでかい!さあ、ヒビヤ殿、早速解体しましょう」
「おう、そうだな。解体しないとな」
「では、これをどうぞ。解体用のナイフです」
「うん?すまない、俺は解体とかしたことないんだ。悪いが代わりに爺さんがやってくれないか」
「いやいや、そういう訳にはいきますまい。この村では、獲物を捕らえた者が獲物を捌き、皆に振る舞うしきたりになっておるのです。なので、ヒビヤ殿。儂がやり方を教えますので、さあ」
これは困ったな。ここは断固として拒否することもできる。だが、郷に入っては郷に従えというのもある。この村の慣習なら世話になってる間は、その通りにした方が後々のトラブルにはならないだろうが...
まじまじとイノシシだったモノを見ると、
(これは俺がやったんだよな...生き物を殺した。道路で轢かれた猫や犬を見ると、なんだか切ない気持ちになったが、今は俺がこの状況を引き起こしたのだ。)
罪悪感が重くのしかかる。命を奪う。こいつはただ自分の縄張りを守ろうとしただけなのだろう。もしかしたら、家族がいたのかも...。
だが、あそこでスライムたちを助けなければ、スライムたちがどうなていたか...。
延々と自分を苛み続けるループ。
(この力は俺には過ぎたる力だ。人に恵を与えることもできれば、容易に命を奪うこともできる。)
俺は爺さんの教わりながら、解体作業を進める。その間、俺の思考は停止していた。腹を裂くと溢れ出る臓物に吐き気を催す。血の匂い。死んだイノシシの目がこちらを見つめる。
俺は解体作業中、生きた心地がしなかった。異世界、神の力という俺にとって非現実的な世界から、直に触れる死という現実的な世界へと叩き込まれる。
これはリアルなんだ。元の世界では誰かがやっていただろう作業。知ることが、知る必要がなかった世界。世界の残酷な一面。
ああ、俺はついに生き物を殺したのだ。この手で。この力を使って。
「ボク、このお肉を村の皆に分けてくるね~」
そう言って、フリジオはこれ見よがしにイノシシ肉を村民に配り回る。
「ねえ、おじいちゃん。ヒビヤさん、具合悪そうだけど...」
「うむ。そのようだのう。よほど初めての解体作業が堪えたのだろう。アンゼリーゼ、彼を家に連れて休ませてやりなさい」
「うん...」
俺はアンゼリーゼに促されて、ふらつきながらも自分に貸し与えられたベッドへと腰を落とす。
「かっこわるいところ見せて、すまないな」
「ううん、気にしてない」
「そっか」
「ねえ、命を奪うのは初めて?」
「ああ」
「そう。...私も小さい頃、一度だけ父さんに連れられて狩りをしに行ったことがあるの。私の時はイノシシじゃなくて、小鹿だったの」
アンゼリーゼが過去を振り返りながら話す。父との思い出を。初めて命を奪ったときの切なさを。
「その時もやっぱり私が仕留めたということで、父さんに教わりながら、私が解体をすることになったの。手が震えたわ。仕留める時、あの子の傍には母鹿もいたの。ただ、私の矢が突き刺さったとわかると、その母鹿はさっと林の中に消えていったわ。自分の子供にも見向きもしないで。仕方ないわよね、私が狩る側で、向うはかられる側。恐怖で逃げるのは当たり前よね。」
「解体作業中はずっと、あの子に謝ってわ。ごめんなさい、ごめんなさい、殺してしまってごめんなさいって。だけどもね、美味しかったの。お肉が。村の皆は喜んで食べていたわ。その時、私は思ったの。ああ、これがいきるってことなのかなって。命を奪って、それが私たちの糧となる。生きる上で欠かせない行為。私はもう迷わない。命を奪うことになったら、その子に感謝して、いただくわ」
家の外からは、肉を焼くにおいや人々の笑い声が聞こえる。
「先に行って、待ってるね。その気になったら来なさい」
俺は悩む。俺は神からバリアントを保護をしろと命令された。そのバリアントを殺し、そいつを食べ、別のバリアントを守る。とても矛盾している行為だと思う。バリアントを保護するというのなら、あいつらの肉を食べて役目を果たすなんてしてもいいのか。野菜や果物、それこそ菜食主義者のような暮らしをするべきなのではないか。
バリアントを保護したって、そいつらの肉を食ってたら畜産と変わらないじゃないか。バリアントだからいいのか。ピュアだからダメなのか。
わからない。
何をするのが正しいのか、わからない。
「ヒビヤよ、悩んでおるな。確かに神々はバリアントを保護しろと言うた。だが、巷には食物連鎖などありふれておる。お前さんがバリアントどもを食らうのも、バリアントがバリアントどもを食らうのもまた自然の摂理。あらゆる生き物は自然の輪の中におる。お主が守るべきはそういった生態系を守ること。むやみやたらにそれを脅かそうとする者たちから守るのがお主の責務よ。我はお前の行く末を見届けよう。我がお前の傍におる。共に築き上げていこうバリアントたちの楽園を」
「ありがとう、玄武」
俺は徐に立ち上がり、命をいただくことにした。