1-5 小さな願いは現実に
「ただいまー」
三年生初日を終えて寮に戻った私は、ローブを脱いで部屋着に着替え、お茶を淹れて寛いでいた。
「いろいろ、大変な日だったなあ……」
結局放課後も、エレムは他学年の人にまで取り囲まれ、私たちが割って入れそうな状況ではなかった。
例のブーツについてはニックも聞いていそうだったので、そちらから聞けばいいかと、早々に帰ってきてしまったのだ。
本音を言えば、エレムともう少しだけでも話してみたかった。
精霊さんたちのこと、笑わずに聞いてくれたのは彼が初めて。
今でさえミリィやニックには受け入れてもらえているが、信じてもらえるまでずいぶん長くかかったものだ。
「エレム君、チーちゃんのことは見えないって言ってたけど。
……信じてもらえると嬉しいんだけどな……」
私はティーポットからカップにお茶を注ぎ、口にする。
香草の強い香りが鼻をくすぐり、私の頭は夢見がちな方向へと進んでゆく。
信じてもらえるかどうか以前に、まともに話しが出来るかどうかすら怪しいんだけど。
もしかしたら、ニックと仲がいいみたいだから、彼を間に話しができるかも……
もしかしたら、また今日みたいに向こうから話しかけてきてくれるかも……
そんなことを考えながらまた一口、お茶を啜った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……ユーナ、居る?」
夜も更け、今日出された課題に私が苦闘している時に、扉がノックされ、馴染みの声が聞こえてきた。
「はーい。どうしたの、ミリィ。」
私が迎え入れると、彼女は薪棚や薬棚に目を向けた後、尋ねてきた。
「……ユーナ、近く森に入る予定、ある?」
「珍しいねー。ミリィからそんなこと。……うーん、今は特に大丈夫かなあ。」
「……そう……」
露骨に残念そうな表情を浮かべるミリィ。
珍しい。いつも森に行きたがるのはニックの方で、彼女は仕方なくという体でー本心はともかくーついてくるのだが。
「何か森に用事でもあった?」
私がそう尋ねると、彼女は一瞬の躊躇の後にこう切り出した。
「……この前入った時の、ヴォルフがずっと気になってる……
あの森ではいままで見かけたことがなかったし、動きもおかしかった。
ちょっと調べてみたい。」
「研究熱心なのはいいけど、危険な場所に近づくものじゃないよ?」
私がおどけた口調でそう言うと、ミリィもニヤリと笑みを返した。
「じゃあ明日あたり行ってみよっか。」
「……いいの?今は大丈夫ってさっき。」
「あー……そうだ、新しい薬の材料に、森の奥の方の材料とかあったらいいかなって。」
「……ありがとう。」
彼女が出て行こうとしたので、私は慌てて声をかける。
「あっ、朝にでもニックに伝えておこっか。二人だけだと不安だし、来てくれるといいんだけど。」
「……うん。ま、森行くって言ったら来る。多分。」
そう言って彼女は自室へと戻っていった。
「そういえば。」
今の会話で思い出した。私は薬棚から一本の瓶を取り出す。
ヴォルフの牙からとれた毒液だ。
「これ調べてなかったなー、チーちゃん、これどういうものかわかる?」
(カラダ、トケル)(サワル、ダメ)
えー……また扱いが難しそうな……
私は苦笑いを浮かべ、瓶に再び栓をして棚に戻すのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌日、
「森に行くんだって!?」
朝、顔を合わせた瞬間の、ニックの第一声がコレである。
まあ予想は出来たというか、なんというか……
「早いねー。いつ聞いたの……」
「おう、昨日の夜、外で特訓してたらミリィが来てな!」
あの後男子寮まで行ったんだ……
ミリィにチラと視線を向けると、彼女はフイと顔を背けた。
「そんでさ、森行くなら、アイツも一緒にどうよ!」
ニックの指し示した方には、いつの間にかあの編入生、エレムが立っていた。
彼はその透き通るような笑顔で、おはようございます、と礼をし、こちらに歩み寄ってくる。
「ふーん……エレム君も……って、えええええ!?なんで!?」
私は驚きのあまりに、ニックにつかみかかってしまった。
これはまさか、昨日儚くも想像していた通りの展開なのではないか。
ニックは少しまごつきながらも口を開く。
「いや……昨日の薬術の後な、アイツがお前のこと、精霊とかの話を気にしてたから、
とりあえずユーナのスゴさを語ってやったら随分興味持ったみたいでさ。」
うわー……ニック、最高!
どんだけ大げさに言われたのか想像すると、ちょっと恥ずかしいけど!!
ともあれこれで、エレムと話しをする機会が舞い込んでくるかも。
私が顔を輝かせているその横で、ミリィは渋い表情だ。
「……アンタ、ユーナが嫌がるかもとか、思わなかったの?」
「気にしてないよー……ううん、ニック、ありがとう!」
ミリィが軽くため息をついたところで、エレムが話しの輪に加わった。
「皆さん、どうかされましたか?」
おう、とニックが早速森行きの誘いを伝えると、意外にも彼は困ったような表情を浮かべた。
「今日……ですか……。非常に魅力的なお誘いなのですが、今日は所用がありまして……。」
「どうした?外せないのか?」
「実は、こちらの方で働いている叔父の、鍛冶屋の仕事を手伝っているんです。
……主に学費など、いろいろ厳しいので……」
彼の申し訳なさそうな顔を見て、ニックがすかさず口を開く。
「よし、んじゃ明日にしようぜ!こっちはいつでもいいんだろ?」
ミリィは頷くが、エレムの表情は変わらない。
「申し訳ありません……実は明日も、もっと言えば明後日もですね……」
「お前どんだけ働いてんだよ!……いや、今の無し。スマン。忘れてくれ。
……いつなら行けそうとかあるか?」
ニックがそう尋ねると、エレムは手帳を取り出してパラパラとめくりだす。
「すみません……空くのは今週末になってしまいますね……。」
「よーし!んじゃ森に行くのは今週末で決定!」
「よろしいんですか……?」
心配そうにエレムがこちらを見るので、私は笑顔で頷いた。
ミリィも不服そうにしながらも渋々了承する。
「よろしくね、エレム君!」
「はい。週末を楽しみにさせていただきます。」
そう言って微笑んだ彼は、教室に入ると、今日もすぐに人だかりに囲まれてしまう。
そんな光景を、私は上機嫌で眺めていた。