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柏原さんが我が家を訪れて以降、私はゴミステーションに顔を出せなくなった。それどころか、家からも出れなくなった。柏原さんが他の人たちに何を言ったのか、そしてゴミステーションでの噂話が怖くて仕方なくなったからだ。
柏原さんや他の奥さんは「大丈夫?」と我が家を訪ねてくれるようになった。やはり、柏原さんは周りの奥さんに言ったらしかった。噂になっているのだろうか。
夫に気づかれまいと自分で処分していた、チラシに紛れた『早く去れ』の文字もいよいよ見れなくなった。
夫も途中でチラシの文字に気がついたのだろう。彼は察しがいい。それが大きな原因の一つであることも気がついたのだろう。妻としての最低限の職務すら果たせない私を彼は責めなかった。夫はゴミを捨ててくれるようになったし、朝には自分と私の朝食と昼食を用意し、残業で大変であるにも関わらず、帰りに日替わり弁当を買ってきてくれるようになった。
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その後、私たちは社宅を、そして霞町を離れ、マイホームでの暮らしを始めた。
すぐにつわりは軽くなった。外出もできるようになった。柏原さんが社宅に来てからここに引っ越すまで、私は酷いうつ状態だったとしか言えなかった。
ストレスでつわりが重くなることもあるらしく、あの社宅での生活がどれだけ私の中でストレスになっていたのか、改めて思い知らされた。
「ただいまー」
「お帰りなさい。ご飯あまり作れなくて、惣菜頼んじゃってごめんね」
私は、霞町の暮らしを経て、変わったと思う。間違いなく、いい方向に。それは紛れもなく、私に様々なことを吹き込んだ柏原さんのお陰である。
彼女のおかげで、私は自分や子ども、そして夫、克彦さんを守れるくらい強かに、勇気を持てるようになれたのだから。
「そうそう、社宅のときの皆さんから、俺たちと理久に、って」
夫はスーパーの袋の他に、大きな箱を持って帰ってきた。
中身は、男の子用のお洒落なベビーセットだった。そして、奥さんたちからの一筆もついていた。中身は見ずに、エプロンに押し込む。
「すごい…!ね、理久、貴方のために、私たちがお世話になっていた方がくれたのよ」
理久は、にっこりと笑った。
大丈夫。きっと、これからは幸せに暮らしていける。