36.5-1話 ごめんね。 <side.キース>
始めは可愛い弟ムツキを助けた相手に礼をと思った。
次に、ムツキの為に婚約願いの取り消しをしようと思った。
そしてムツキの心を掴んだのはどんな女性だろうと気になった。
それが彼女、グレイス公爵令嬢アンリエッタ・グレイスに会おうと思った切っ掛けだった。
◆◆◆◆◆
ブロムリア国の三代目の国王グランツには政略で娶った妃がいた。
婚姻から数年を経過してもその妃との間になかなか子供が恵まれず、国王グランツは側妃を娶ることになった。
そしてグランツは唯一愛していた女性を側妃に据えた。
王妃との婚姻は他国との繋がりの為の政略結婚だった為に王妃との離縁もできず、愛する側妃を正妃にもできず。そして、その愛する側妃との間にも子供は恵まれなかった。
子供がやっとできたのは四人目の側妃だった。
ある臣下は王に王妃と離縁して、子供を生んだ四人目の側妃を正妃にと進言した。
別の臣下は王妃と離縁したら、王妃の実家である他国への戦の火種となると制止しようとした。
また別の臣下は王が一番愛する一人目の側妃はどうするのかと王に聞いた。
そして王は言った。
「ならば全員正妃にする」と。それならば問題はなかろうと。
但し、全ての妃は同等に愛し、子供に対しても優劣を付けないという制約と共に。
妃達も、妃同士での争いはしない事を条件に正妃の位を平等に授けられた。
それからブロムリア国は王族に関しては五人まで、正妃。もしくは王女しか生まれなかった場合は夫を五名まで持つ事ができるようになった。
それに倣う様に貴族も、その財が許す限り三人までは正妻を持てるようになった。
◆◆◆◆◆
現国王グリディスタには正妃が五人居た。
過去形なのは、一人はすでに亡くなりもう一人はある事件が元で廃妃されたからだ。
第一妃アイリスには二人の息子。第一王子キースと第四王子ヒースが。
第二妃ミランダには第二王子ランディスが。
亡くなった第三妃ラクシャには第三王子カインが。
廃妃された第四妃エルランジェには子供は恵まれず。
第五妃リサには第四王子ヒースと同時期に第五王子ムツキを出産した。
末っ子という事もあり、ムツキは全ての家族に愛されていた。
キースに到っては父母共血の繋がったヒースよりもムツキを溺愛していた。
それはもう目の中に入れても痛くないと言うくらいに。
そんなムツキの為に、この婚約が結ばれる前に止めなくては、と。
そしてムツキを助けてくれた令嬢に感謝と、可愛い弟の将来の嫁候補として、いくらムツキがいくら良いと言っても、変な令嬢だったらムツキから離さなければ。そういう思惑もあって公爵家に向かった。
◆◆◆◆◆
到着した公爵家は慌しかった。
先触れの手紙は出していたはずなのに、驚いた様子の侍女達。
そして王族が来るという旨を先に伝えられていたら、普通なら家長であるグレイス公爵、もしくは公爵夫人か次期公爵であるアランが居るはずだった。
けれどその全てが不在だと。それ所か、執事長も侍女長も不在だと言う。
(あぁ、多分手紙がどこかで紛失したか…まだ見ていないのかな)
多分後者だろうと当たりを付け、侍女が淹れてくれた紅茶のカップを傾ける。
王家からの手紙が紛失するなんて事は滅多にない。
急な来客にもすぐ対応できるのは流石公爵家と言う所か。
アンリエッタを呼びに行った一人の侍女を除いて、他の侍女はすぐにキースを応接間に案内し、紅茶と茶菓子でもてなした。
『女性の支度には一時間はみなさい』と言ったのは第二妃ミランダだったか。
幸いキースのこの後の都合は特に無い。
いつもなら視察や公務、時期王としての勉強等が詰まっているが、公爵家への来訪を予定していた為に今日の分まで前日に終わらせてしまった。
おかげで昨日の全ての公務等が終わったのは日付が変わった後だったが。
(日当たりも良いし、ソファも上質で座り心地が良い。美味しい紅茶に茶菓子。グレイス嬢が来るまでの間の休息と思えばいいか)
最近は婚約者が決まる為に普段以上に行わなければならない事が増えて忙しく、普段は休む時間もないキースはこの僅かな穏やかな時間を楽しむ事にした。
暖かい日差しにうとうととし始めた頃だった。
部屋にノックの音が響いた。
ゆっくりと立ち上がって扉の方を見ると、着飾った令嬢が立っていた。
「遅くなり申し訳ございません。殿下」
申し訳なさそうに眉を寄せた令嬢は洗練された動きで挨拶する。
何度か夜会で見かけた令嬢だったはずだが、どこか違和感がある。
以前会った際には必ずと言っていい程にキースと視線が合うと頬を染め、声を掛けるとうっとりと微笑んでいた少女。
キース自身も自らに惚れているとわかるくらいの反応だったから、今回の婚約願いの破棄も難しいかと思っているくらいだった。
けれど、今目の前に居るアンリエッタは申し訳なさそうな表情をしても、頬を染める事はしない。もちろんうっとりした表情も。
「いや。それほど待ってはいないよ。むしろ急に来てしまってすまなかったね」
キースが微笑みながら手を差し伸べても、まるで別人のようにしらっとした表情だ。差し出した手に重ねられた右手は、令嬢らしく薄く柔らかい手だった。
剣を持っていたなんて言われても信じられないくらいに綺麗な手だ。
ゆっくりとアンリエッタを正面のソファまでエスコートしたキースは、アンリエッタを座らせると元のソファに座り、アンリエッタに気付かれないように上から下まで視線を流す。
目の前に座る少女は、以前は髪をきつく巻いていた気がするが、今はその青銀色の髪は軽く結い上げられ、その細い首筋を露にしている。
その細い肢体には薄萌黄色のプリンセスラインの踝までのドレスを纏い、化粧も少ししているようで十七になったばかりとは思えないくらいの色香があった。
以前なら赤やピンクと言った女性の好む色合いのドレスばかりを着ていた印象が強い。
何を言われるのかと思っているのか、緊張した面持ちのアンリエッタの心を溶かすようにキースは優しく微笑む。
「まず今日の訪問だけど、先日の件でお礼を言いたくてね」
「先日?…ですか?…」
「うちの弟が世話になった件だよ」
会話の中できょとんとしたり、目を見開いて驚いたりと百面相をするアンリエッタにキースは驚いた。
こんなに表情豊かな少女だったのか?と。
以前は他の令嬢達と同じで、頬を赤らめて淑やかにしようと見せるだけの少女だったと記憶している。まるで、別人だと言われても信じてしまうくらいには以前と今では印象が違う。
今も百面相の令嬢は口元を抑えて「あれ?…口止めしてなかったっけ?…あれ?…」と眉を寄せて独り言を言っている。
思わず噴出しそうになるのをぐっと堪えて、キースはその独り言の答えを教えた。
「あぁ、ムツキはあの件は誰にも言ってはいないよ?助けてくれたご令嬢の名前を出したら迷惑が掛かるからと誰にも言ってはいなかったんだ」
「え…じゃぁ何故…」
「一応僕は王太子だからね。いくらムツキが護衛に口止めしても僕の命令は逆らえないから」
にこやかな笑顔のままで言ったはずのその台詞に、普段なら見惚れるはずのアンリエッタは段々眉が寄り、怖いものでも見たかのようにふるりと小さく身体を震わせた。
(まるで狼に狙われた子ウサギのようだな…可愛い)
その様子に嗜虐心を煽られたキースは笑みを深め、真っ直ぐにアンリエッタの瞳を捕らえる。
「何か、考え事かな?」
「いいえ!何でもございませんわ!」
今にもブルブルと震えだしそうなのに、『嘘偽りはありません』と言うように真っ直ぐに見詰め返してくるアンリエッタ。そんな表情じゃ嘘ですと言っているも同然だと気付かないようだ。
そしてそんなアンリエッタの姿に、キースは自分も気付かないくらいに微笑みを深めていた。




