36話 俺と私の貴族の婚約事情について⑥
俺の身体を運ぶ、細身なのに逞しい腕の中で暫く暴れてみるも降ろして貰えず、真っ赤になった顔のまま眉を寄せてそっぽを向く。
決して顔が赤いのは照れのせいではない!
屈辱のせいだと!言いたいけど不敬罪になるから言えない!
悠々と俺を抱いたまま元いた応接間まで移動したキース王子は、ゆっくりとした動きで、まるで俺を宝物でも扱うかのように優しくソファに下ろした。
そして自然に隣に座った。
ぴったりと寄り添うように自然に座ったその行動に、後ろから着いて来ていた三人は目を丸くしている。
キース王子の前での大立ち回りを見て、こうなるなんて誰も予想してなかったのだから仕方が無いだろう。
やんちゃな女なんてこの世界じゃ嫁の貰い手はない。
しかも相手は王太子だ。通常でも嫁の貰い手がないのに次期王妃候補としては、剣を振り回す女なんざ不合格だろう。
しかも、自国の騎士団に教えて貰っているのと違う技を使うってのもマイナスイメージだし。
わざわざ教えを請いたのに無視して別の方法で剣を振るうなんて普通はありえない。てか、前世でも有り得ないし、非常識だ。
そうと知っていてわざと前世の記憶の漫画の技を使ったりしたし、令嬢として…というか女としてありえないくらい暴れたと思う。
こんな娘を妃に迎える事はないだろうと、これが終わったらキース王子から婚約願いの取り消しをして貰えるだろうと思ってやった事だったのに、何故か気に入られたように寄り添われていたら、それはびっくりする。
ってか俺が一番びっくりしている。
いや、待てよ。
今のうちに優しさを見せて、その後で手紙とかで「やっぱり取り消しで…」という事もありえるか…
「お怪我は…ありませんね」
優しく隣で俺の右手を取って怪我がないか心配そうに見下ろすキース王子。
ってか、一度も攻撃貰ってないんだから、怪我なんてしているわけもないんだけど。
まだ始めたばかりで剣だこもない白魚の様な手を傷がないのを確かめるように指でなぞられ、ぞわりとした何かが背中を走った。
「だ!大丈夫ですわ!」
自分の右手を守るようにキース王子に撫でられていた手を勢い良く引き、左手で隠すようにする。
今、俺の顔は真っ赤だろう。めちゃくちゃ熱い。
ってか、今の触り方はエロい気がする!
まだ婚約もしていない相手にする事じゃないだろ!
「すみません。つい綺麗な指でしたから…」
悪びれもなく微笑みながら言われた。
金のサラサラの髪は襟足だけが少し長くて首に掛かり、窓から入る光に煌いて見える。瞳は綺麗な空色で吸い込まれそうだ。
真っ直ぐと伸びた鼻梁は高く、薄い唇は優しく弧を描いている。
前世の姉貴曰く「正統派王子様」と言うのがわかる位の美形だと思う。
そしてその微笑を目の前で見せられ、俺の胸はトクンと小さく鳴った。
…鳴った…?
いや、鳴るわけが無い!男に見惚れるとか無い!!
多分、この胸の音は、きっと多分アンリエッタの物だ!と思う!
胸の高鳴りを誤魔化すように首を思いっきり横に振ると、微笑んでいたキース王子はさらに笑みを濃くした。まるでとろけるようなその表情に余計に胸が鳴る。
落ち着け俺!ってかアンリ!!
キース王子と婚約したら、待っているのはお家取り潰しとギロチンだぞ!
見た目優しいけど、キース王子が一番怖いんだからやめとけ!
俺の心の声に反応してか、すーっと心拍は落ち着いてきた。
「失礼致しました。私も急な事で取り乱してしまいましたわ。家族と剣以外で殿方と触れ合う事はありませんもので」
今までの慌てっぷりを訂正するように微笑み、キース王子から少し離れるようにソファを移動する。
淑女として慎みある行動だから、この位は不敬じゃないだろ。
「すみません。まだ返事も頂いていないと言うのに」
…ついにきたか…
「えっと…あの…他の方からの婚約願いが結構来ていまして…間違いがないように、先にお断りからしていまして…」
つい視線を彷徨わせながらしどろもどろに言う。けど、これは本当の事だし…返事を先延ばしにしてたけど…
「そうですか。ではまだお断りが来ていないという事は、僕の婚約願いは良いお返事だと思って良いでしょうか?」
答え難い事を聞いてくる!?
これ、この場でとりあえずで返事よこせって事だよな!?
助けを求めるように部屋にいるはずのサラを見回すも、いつの間にかいなくなったようで居なかった。
壁に静かに邪魔にならないように佇むユーリンはしっかりと頷く。
この場で返事しろってことですか…
渋々と小さく頷くと、横に座っていた美男子は今までで一番の笑顔を見せた。
「返事、お待ちしていますね。僕以外の返事をしてからで構いませんので」
…それって、暗に『全員断ったらOKの返事よこせよ』って事ですよね…
いや、逃げられない事は知ってたけど…まさか嫌われようと思って大立ち回りしたのに婚約促されるとは思わなかったわ…
「さて。良いお返事も頂けそうですし、僕はそろそろお暇します。弟の件、本当にありがとうございました。先程のグレイス嬢の剣捌きで貴女だったと確信が持てました。疑って申し訳ありませんでした」
「いえ!お気になさらず!って、頭をお上げ下さい!王太子殿下が臣下に対して頭を下げるなど!」
慌てて頭を上げさせると「優しいんだね」と微笑まれた。あれ?デジャヴ?…
「あぁ、そうだ。まだ返事は頂いていませんが………アンリと呼んでも?」
「え…ええ…構いませんわ。キース殿下」
「あぁ。僕の事はただのキースと」
「……ではキース様…とお呼び致しますわ…」
流石に王太子を呼び捨てはない。しかもまだ口約束で、実際婚約はしていないわけだし。
「まぁ、それでもいいか」とキース王子は帰って行った。
一応俺と、部屋に戻っていたサラとロイも見送りに出て。
帰り際、ロイに何か言っていたみたいだけど、俺にはその言葉は聞こえなかった。




