16話 俺と私のお茶会をいたしましょう⑤
「お嬢様…これはどういう事ですか?」
お茶とお菓子のおかわりを持って来たユーリンに咎められるように通常より低い声で言われ慌てて椅子から立ち上がった。
口元は微笑みを作ってはいるけど目は笑っていません…怖いですユーリンさん…
「わ…わからない…です…」
だって本当にわからないんだ。
ドア見て顔を戻したら急に泣いてたんだから。最後に話したのは俺の名前くらいだけど、まさか名前教えたら泣かれるとか無いだろ普通。なので俺は悪くない!と主張したい。
そんな俺の心中を読んだのかユーリンは口元に笑顔を貼り付かせたまま新しいお茶やケーキが乗ったワゴンをテーブルの横に付けると、お仕着せの隠しポケットからピンクの糸で刺繍が入った白いシルクのハンカチを取り出してサラに差し出した。
「アンリエッタお嬢様が失礼をしたようで…大変申し訳ございません。もしご迷惑でなければこちらをお使い下さい」
うちの使用人達は全員ポケットにシルクのハンカチを忍ばせている。
シルクはこの世界では高級な物でかなり高い。確か最上級の布製品だったはず。
なのでハンカチという小さい物ですらかなり高額で、一介の使用人が持てるような物じゃない。
そんな高級な物を何故持っているかと言うと、俺たち家族の為だったりする。
茶会やら夜会やらに色々行くとつい忘れてきたり無くしたりするんだ。あとはお茶とかお菓子溢して拭きたいのに持ってないとか。
だから使用人全員に予備のハンカチを持たせている。
もちろん高い物だからそれを売ったりしないように家紋の模様の刺繍を入れているんだけど、持ち主が判る様に個人付きの使用人の刺繍糸と家付きの使用人の刺繍糸の色は全て違うようになっている。
例えば、俺付きのユーリン率いるアンリエッタメイド隊ならピンクの刺繍糸で縫った物。兄様付き使用人は水色、父様のは黄緑、母様のは薄紫の糸だ。
セイラとクロムは纏め役だから白。他の使用人達もハウスメイドは黄色、フットマンなら黒と仕事内容によって色が違う。
そんな白いハンカチを差し出されたサラは両手で受け取ると零れた涙を抑えた。
「…ありがとうございます…誤解をさせてしまったようですみません…アンリエッタ様は何も悪いことはされていませんわ」
俺の汚名を雪ぐような言葉を口にするサラ。けれどユーリンは俺に訝しげな視線を送ってくる。とりあえず使用人であるメイドが主人を悪く言っちゃダメだろ。そして主人の代わりに謝っちゃダメだろ。まぁうちは許されてるけども!そして俺は悪くないってば。…多分。
「本当です。ただ…お話をしていましたら…今は亡くなってしまった大切な人の名前を聞いて…泣いてしまいましたの…」
少し赤くなった瞳でぎこちない笑顔をするサラ。って、大切な人って言った?
話してたのは俺の名前…もしかしてサラたんの前世って俺の事が好きで死んだ俺を後追いしたとかそんな子だったり!?いや、待て。もしかしたら生まれ変わるのに時間概念がなかったとしたら、死んだ俺を忘れられず死ぬまで独身を貫いた女性とか!?俺モテ期来た!?
「…そうですか…。立ち入った事を聞いてしまい申し訳ございません…
で、アンリエッタお嬢様。お顔が変なお顔になっています」
妄想でニヤけてた顔を「変顔」扱いされた…ってか、今は嬉しいからいいや。なんとでも言えばいい!
「では私は失礼致します。お嬢様、くれぐれも失礼はなさいませんよう」
退出と同時にピシャリと釘を刺された。どんだけ俺の信用ないんだよ…
ユーリンはサラに綺麗なお辞儀をすると静かに出て行った。
「えっと…俺の事大切な人って…」
ドキドキしながら聞いてみる。もしかしたらコレ、百合展開かもしんない!!
身体は女だけど大丈夫!愛すよ!
「あぁ、あれ、嘘」
すでに泣き止んでいたサラの視線は持ってきてもらったワゴンのケーキに移っている。って、嘘…?
「ああ言っとけばそれ以上は聞き難くなるでしょ」
涙を抑えていたハンカチをテーブルに置いてケーキを物色するサラ。さっきの焼き菓子とチョコレートケーキとチーズケーキで悩んでいらっしゃる。
「って、嘘なの?俺の名前知ってたっぽいけど…あ。オススメはチョコレートケーキな」
嘘と言われて若干胸が痛むけど、もしかしたら前世の知り合いかもしれないしと聞いてみつつ一番美味しいだろうケーキを勧めると、サラはチョコレートケーキの皿を自分の椅子の方に置いた。と思ったら追加でチーズケーキも置いた。
「両方かよ」
「甘いもんは別腹よ。公爵家でお茶会って事は絶対美味しい物あると思ってお昼食べてこなかったしー」
俺も自分の分のチョコレートケーキの皿を自分の椅子の方に置き、紅茶をサラと俺のカップに注いで椅子に座りなおした。そして俺が紅茶を淹れて座るまでのものの一分くらいで「うまー」と良いながらすでにチーズケーキを完食しているサラさん。ちょっと恥じらいって物なんですかこの子。一口がめちゃくちゃでかいんですが。とりあえずチーズケーキ三口で食べるとか初めて見たわ。
「で、本題に戻ろうか。俺の名前知ってたの?」
チョコケーキを一口食べて聞いてみると、紅茶を飲もうと息を吹きかけて冷ましながらサラはニヤリと笑みを浮かべた。
「あぁ、知ってるわよ。よーくね」
左肘をテーブルに乗せ手の甲で左顎を支えるように身体を斜めにして含みのある言い方で俺をニヤニヤと見詰める。思わずきょとんとした顔をしてしまっていたらしい、悪戯っぽい笑みを濃くするとサラはテーブルに置いていた紙を右の人差し指でとんとんと叩いた。
「私の前世の名前はね。ユウリって言うの」
へー。ゆーりちゃんかー。
…うん?…ゆうり?…何か聞き覚えが…え…そんなまさか…
「桐谷悠里。お前のお姉様だ馬鹿たれ」
信じたくない名前を出され思わず固まる。
「うん。お前の姉だからな?戻ってこい?」
さっき色々と言ってしまった気がするけどキットキノセイデスヨネ?ウン。キノセイキノセイ。
「で、誰が鬼なのかな?」
「鬼のように綺麗で優しいお姉様です!!!」
思わず即答してしまった。勢い良く椅子から立ち上がり敬礼のポーズで。
「よろしい」
ニンマリと笑う中身自称姉のサラ。
うん。確かに姉だ。これ姉だ。
ふと思い返してみると、確かに姉の片鱗はあった。
男より男らしい性格。
息が乱れている時とか、落ち着きたい時に上唇を舐める癖。
考え込んでいたと思ったら自己完結するのも、女性ならではではなく姉ならではなんだろう。
他にも格闘技とか色々と「悠里だ」と言われたら「確かに!」と言える事がある。
そんな中身姉なサラを見ると、胸がぎゅっと痛くなった。
「ってか、姉貴も転生とか…マジかよ…何死んでんだよ…父ちゃんと母ちゃん、一気に二人子供亡くすとか絶対泣いてんだろ…親不孝にも程があんだろ…」
思わず呟いてしまった本心。じわりと目頭が熱くなる。
どこにでもいるサラリーマンの父親と、どこにでもいるパートのおばちゃんの母親。
どちらも優しくて厳しい普通の父と母だった。
高校出たら大学行って、就職して、そしたら親孝行してやろうと思ってたのに。姉貴だけでも無事なら姉貴が俺の分まで親孝行してくれるかななんて思ったりもしたのに。
姉貴は俺の心中を思ってか、さっきユーリンから受け取ったハンカチを掴むと俺の手に握らせてきた。
「あの事故で無事とか、どう考えても無理でしょ。あっても植物状態よ。だから逆に良かったのよ。余計に悲しませなくて済んで」
『良かった』なんて事はない。死ぬより植物状態でも生きていてくれる方が親にとっては嬉しい事だと思う。
でも、そんな言葉で慰めてくる姉貴に小さく頷いて、渡されたハンカチで溢れた涙をそっと拭った。
「……ごめん…俺があの時ドライブに連れてけなんて言わなければ二人とも今頃は…」
「うっざい」
姉を殺したも同然な俺の謝罪を「うざい」という一言で黙らせられた。
「マジあんたうざい。私はね、今幸せなの。何でかわかる?わからないなら教えてあげる。大好きなゲームの中の、しかもヒロインという超美味しいポジションに生まれ変わったのよ?これで大好きな攻略対象と一生を添い遂げられるのよ!嬉しいったらないわ!確かにお父さんとお母さんには悪いなって思うわよ。でもね。いいじゃない!娘が世界で一番幸せになれるのよ?例えそれが後世であっても!だからいいのよ!むしろ生まれ変わらせてくれてありがとうだわ!」
矢継ぎ早に言う姉貴。どこで息継ぎしたんだろうか。なんてアホな事を考えてみたりして。
「だから、ごめんなんて言うんじゃないわよ。馬鹿悠馬。って、今はアンリエッタか。馬鹿アンリ」
あぁ、姉だな。と思う。思わず笑ってしまう。涙が浮いているのはきっと気のせいだろう。頬を伝う温もりなんてきっとないんだ。手の中のハンカチで『気のせい』である頬と目頭を拭う。濡れているけどきっとこれは汗だ。
「馬鹿馬鹿言うなよ。ちょっと傷付くだろ。てか俺のサラたんの顔で汚い言葉喋んな」
前世でやっていた姉貴との掛け合い漫才みたいな会話で対応すると「やっといつものアンタになったわね」と姉貴が笑った。顔はサラなのに笑い方はやっぱり姉貴のそれだった。
「さて。本題に戻ろっか。とりあえず前世の名前で呼ばないようにしよう。じゃないとふとした瞬間に呼んで大変な事になりそうだわ」
「だな。んじゃ俺は今まで通り外では『サラ様』とでも呼んどくわ。普段は『サラ』でいいだろ?」
「おっけ。私は外では『アンリエッタ様』もしくは『アンリ様』。あんたと二人の時は『アンリ』で」
サクサクと決まる呼び名。これ、心の中でも「サラ」って呼んでた方がいいかもな。心の中で「姉貴」って呼んでたら絶対表でも「姉貴」って呼びそうだし。
「じゃあ呼び名も決まったことだし。アンリ。私貴女にお願いがありますの」
両掌を顎の下で組んでお願いポーズで急にお嬢様言葉になったサラ。
ウフフという擬音でも付きそうな程の微笑み。けれど眼は笑っていないとか、嫌な予感しかしないんだけど。




