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9.

「いいですよ」

 その返答に、青年は恥ずかしそうに笑った。そのなんとも言えない表情が皐月の心をくすぐった。外見は、悪くないな。そう思った後ハッと我に返り、上から目線な考えをしていたことに気付きブンブンと首を振る。もちろん実際に振った訳ではなく、心の中で。

「ありがとうございます」

 心臓がドキドキと喧しいくらいに鳴り響いて、今し方自分の下した決断は果たして正しかったのだろうかと早くも不安が募った。人間とは、大きな決断をする時にはどうしても逡巡し恐怖に怯えてしまうものなのだ。まるでライオンがワガモノ顔で闊歩するサバンナに紛れ込んだ一匹のシマウマのように慄きながら視線を彷徨わせていると、青年は屈託のない笑顔で行きましょうか、と皐月に促した。それは何故か懐かしい感じのする穏やかな笑顔で、皐月の緊張や警戒を完全に解いてくれる程ではないにせよ、少し安心させてくれるものであることに間違いなかった。

「はい。あ、なんか、この先が凄いらしいんですよ」

 順路を示す看板を指さしながら皐月が言うと、青年は心底関心したようにへー、と声を漏らした。

「そうなんだ、さっきの波が洞窟の中を突き進んでいくところより凄いの?」

「私が調べた限りでは、そうらしいですよ」

「ひゃー、事前学習ばっちりですね」

 事前学習なんて、まるで小学生や中学生の遠足前にさせられたことが単語として飛び出したことに皐月は思わず吹き出して笑った。

「予め調べておいた方が、実際に来た時に戸惑わなくて済むので」

「ああ、なるほど」

 皐月は一人旅を趣味としていたので、割と高頻度に──と言っても、どれくらいが高頻度でどれくらいが低頻度なのかは分からないが──出掛けることが多かった。初めて自分自身で電車の時間を調べて遠出を試みた時には、事前の下調べが足りず危うく終電を乗り過ごしそうになるという事態に陥ったことがあった。地域によっては電車の本数がこんなに少ないのか、だとか、駅から観光地までこんなに歩かないといけないのか、だとか、あるいはお腹がすいたりトイレに行きたくなったりした時に休憩する場所がなかなか見つからなかったことだとか、様々な問題が生じたのだ。それ以来、一人旅の際には所要時間や距離、交通手段、休憩場所まである程度把握してから出掛けるようになった。調べていると、なんだかそれだけでその場所を旅行しているような気分になれた。だから、皐月にとって計画を立てることが一つの娯楽となっていた。

「俺は面倒くさがりだから、何処へ行く時でも、そういうの考えずぶっつけ本番で来ちゃうんですよね。良くないなとは思ってるんだけど」

「そうなんですか。でも、計画立てるのって楽しくないですか?」

 皐月が尋ねると、彼は驚いたように目を丸くした。

「楽しい? いやあ、そんな風に感じたこと無いなあ。どういうとこが楽しいの?」

 彼が一歩を踏み出して先を進みながら尋ねる。皐月もその後を追うように付いて行った。問いかけにどう答えるか少し悩みながらうーんと唸る。

「なんていうか、行く前から既にその場所を旅行しているような気分になれるので」

「へー、そういうこと」

 角を曲がるとしばらく薄暗い洞窟が続いていた。地面が水で濡れているものだから油断すると滑ってしまいそうになるので、慎重に一歩ずつ歩みを進める。彼も同じことを考えたのか、不意に歩くスピードが落ちた。ひょっとするとそれは、転ぶのが怖いのではなくて、皐月の事を思って足並みを揃えてくれたのかもしれない。チラチラと皐月の方を振り返る彼の態度が気遣いのように感じられた。

「あれだね、小説を読んでいてその世界の登場人物になった気がするような、そんな感じ?」

「あ、それ、凄く近いです」

 趣きは随分と異なるような気もするが、何となく彼の表現がしっくりときているなと思った。広大な自然や夜景の綺麗なスポットなど、その場所の魅力を凝縮された紹介文を読んでいると、そこに行ってみたいという思いとともに、実際に行ってみた自分自身の姿を想像する。きっとこの森はこれくらいの広さで、これくらい歩いたら大きな滝が見えてきて──と、そんな具合に。そしていざ行動に移しその場へ本当に訪れた時、まるでデジャヴのようにイメージと一致するところもあれば、想像を超える感動が待ち受けていることもあるのである。それを味わうのも、旅行の一つの楽しみ方なのだと思う。

「そう言われると、面白そうだな。今度は、俺も計画立ててから旅してみることにするよ」

 そう言った彼の笑顔は、なんとも心落ち着くものだった。それは恋愛感情というよりかは、心が和むというか、安心できるというか、そういう優しさの溢れるものだった。

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