爺は今日も垂れパイを愛する
※この作品は『即興小説トレーニング』にて投稿した作品の誤字脱字修正バージョンになります。
お題:日本祖母
必須要素:おっぱい
その垂れた乳房こそ至高と呼ぶにふさわしいーー妻を前に、時おり私はそんな思いを隠しきれなくなるのである。というよりか露呈している。
つまらないフレーズかもしれないが、籍を入れて54年、夫婦二人三脚で共に人生を歩んできた。
同時に、妻のおっぱいに対する敬いの念と、根強い欲望も忘れてはこなかった。
「この味噌汁に入れた長葱ね、あそこの佐伯さん家から貰ったやつ」
いつもの朝食、妻はそう言って音を立てながら味噌汁を流し込む。私は向かい越しに、すっかり枯れきった妻の乳房を見ている。
私の視線に気づいた妻が、またかと溜め息を漏らす。
「おじいさん。邪魔よ邪魔」
「あ?」
「掃除機かけるからあっちの部屋いってなさいって」
昼、居間で寝転んでいた私を妻が掃除機の先端で追い払おうとしてきた。撤退やむなしということで、重くなってきたのか軽くなってきたのか分からない老体を起こして、しぶしぶ隣の和室に避難する。ただし、それでも我が二つの目は掃除機をかける妻のおっぱいに釘付けである。
ウィィィィィィィン……。やがて古めかしい騒音に合わせて激しく揺れ動く、垂れ下がった豊満な二つの水風船。夏かなあ、私の下衣の中にも何やら膨らんでくるものがある。
騒音が止む。こちらを見て察したのか、妻が呆れ顔で毒を吐いてくる。「あなたは一回閻魔さまんところにいってきてね、その子汚ねえピーナッツをちょん切られちまえばいいんだよ」「嫌です。ヘヘッ」
それに私の一物はたかがピーナッツ並ではない!
「かの長蛇操り主・極太大尉と呼びたまへ」
掃除機の先端で股間を強打された。
「ほんっとにあなたは一日中私の胸ばかり! いい加減まともな趣味の一つでも持ったらどうなんですか」
私の晩餐は高らかな説教から始まった。しかしそれも慣れだ、耳を塞ぎたくなる程度には響かない。同じことをもう何年も何年も言われている。
「一日中だなんて……。だって今は見ちゃあないじゃないか」
「見てるじゃないの! さっきからご飯に箸もつけねえで私の胸ばかり見てるじゃないのよ!」
「見てねえ!」
「見てる!」
「見てねえ!!」
「見てる!!」
ついに食卓を挟んだヒステリック鬼ばばあ対頑固ハゲじじいの修羅場と化してきたので、一層の怒声を吹き上げて終止符を打つことにした。
「見てたんじゃあねえ!! 遠くから香りを嗅いでいただけだあああああ」
沈黙が数十秒続いたと思われた後、妻がホウレン草のお浸しに箸をつけた。
「呆れる」
分かっていない。分かっていないな妻よ。
「この数十年間ずっと内に秘めていた私のーー腐りきった芳醇なおっぱいへの思いーーついにお前にも明かすときがきたようだな」
「いっそのことボケちまえばいいのによ」
たとえ妻の暴言を受けようとも、私は簡単には食い下がらない。
「なぜ! なぜ分からない! 己の上体についた二つのそれが、どんなに輝きを増したダイヤモンドをも凌ぐ宝玉に匹敵すると!」
「近所迷惑ですから。それ以上叫んだら通報するよ、近所の介護施設入居案内ダイヤルに」
「ひ、ひどいっ」
いつしか若かりし頃の妻に見せられた少女漫画のヒロインのように、私の背後に大きな稲妻の光が載せられた。そして妻が一旦席を立ったかと思えば、電話台のほうからヒラヒラと何かを持って帰ってくる。テーブルにそれを置くや否や、それが一冊の冊子だと分かった。
『グループ老人ホーム・漆黒のメシア』。
笑顔が溢れるおばあさんが乗っている車椅子を、(ある日、孫が好きだと私に言ってきたビィジュ何だか系グループに似た)男性が押している。猛獣のような赤目がぎらつき、片目は長い銀髪で隠すというふざけた風貌だが、一応表紙の中では制服を着ているので、職員らしい。
更によく見てみると、一番下、電話番号の書かれた部分に蛍光マーカーが引いてある。
妻よ……。
若者風に言うのなら、ただ一言。ヤバい。
次に私が鼻垂れ面でチクビーヌだのおっぱい乳輪丸だのほざいた暁には、本気で通報する気のようだ。
「嫌だあ! こんな中二病の巣窟のような老人ホームなんて入りたくないぃぃぃぃぃ」
「だったら今後一切変なことを言うのをお止めなさい!!」
泣いて喚く私を、妻はあっさりと切り捨てた。夜の食卓に残されたのは冷めたおかず、湯気の立たない白米と味噌汁、そして泣きつくじじい一人だ。あのふざけた冊子は妻が持ち去ってくれていた。
向かい側の食器はいつの間にか全て空になっていた。
ざっと私の一日、いや半生、こんな感じなのである。朝に起床し、おっぱいを見にいき、昼の掃除どきには罵られ、またおっぱいを見、晩餐の始まりには説教を受け、またそのたびに目でおっぱいを堪能する。ここまでくれば、あとは就寝時にその半球体たちに触れようとして全身に暴行を受ける、という出来事が待っているのみだ。
老人には刺激が強すぎる生活だ、と近所の誰かが言うかもしれない。
頭の回路がいかれてやがる、何処かの能科学者がそう陰口を叩くかもしれない。
でもいいのである。
全ては朽ちても私の中で名声を保ち続ける、妻の乳房のために。これが長年生きてきた私の人生観。誰にも横槍は入れさせない。
翌日、私は昨晩の妻の一言を思いだし、机に向かうこととした。
まともな趣味の一つでも持ったらどうだ……。その言葉が今朝の私の頭を回ったとき、ただ物を見続けるだけのおっぱい聖人ではいられなくなってしまった。
文書は良い。文書を書こう。
ただ一つの趣味として、思いの丈を連ねよう。おっぱいだけにこの胸の中で燃え盛る、愛しのばばあのおっぱいにたぎる情熱を。
◇
「健二くん、君はおっぱいに興味があるかね」博士が青年、健二にたずねた。
「はい、僕は女の人のおっぱいにとても興味があります。一度目にした途端、それに食らい付きたいという欲望がわき出て止まりません」健二くんが胸を張って答えた。
「ほほう、そうかそうか。ーーところで健二くん、あちらを見てごらん。近所に住むカオリさんと、彼女のおばあさんが並んで歩いているね」
「はい」
「健二くん、きみが一級のおっぱいを愛でたしなむ紳士だとして、きみはどちらのおっぱいに食らい付くことを望むかな?」
「はい、僕はカオリさんがいいです。なんたって彼女は胸が大きい。凛と張っているあの胸に、飛び込んでみたいのです」
「馬鹿野郎! 乳首の角に頭でもぶつけて地獄にうせやがれ!!」博士はひとしきり怒鳴った後、彼の持論を展開した。
「きゅっと持ち上がり、凛と張っていることだけがおっぱいの価値を決めるわけではない。きみたち若者は、そういった若い女性のおっぱいを好むね。しかし考えてみてほしい、たかが持ち上がっただけの二つの風船に、一体何が詰まっているのか? 無理やり重力に逆らい、いつも上を向くことを強いられている可哀想なおっぱいの何処に幸せを感じられるのだろう? 聞こえるだろうか、きつすぎるがあまりブラジャーと擦れてしまっている、憐れな乳首ちゃんの悲鳴が。ーー痛い、痛いの。私はありのままでいたいというのに、彼女がそれを許さないの。だらしなく下を向いていたい私に、むりやり前を見させようとする!ーーはたまた届くことさえないのだろうか、何かを強要された乳房さんの耐え難い苦痛の念は。ーー型にはまりたくない私を、彼女は無理に型どるの。ああなんて窮屈なのかしら。だらんとだらしなく、解放されたい! 楽になって重力に身を委ねたい!ーーいいかい健二くん、おっぱいの声に必死になって耳を傾け、尽力し、望みをかなえる。その結果、初めて女性のおっぱいは生き生きと輝くんだよ。全てのおっぱいは、垂れたがっている。重力に従順したがっている、それが自然の道理だからね。なのに最近の若い女性ときたらどうなんだ、必死になって重力に抗い、きつくるしい型にはめようとする! 楽でありたいと願うおっぱいたちの願いに、耳を傾けようともしない! だらしなく垂れ下がり、長い間何にも縛られることがなく、自由を謳歌するごとく揺れ動く老女たちの、幸福に満ちたおっぱいたちこそ、本物の輝きに満ちているものなんだ。私にとってそれはかけがえのない、どんな宝石にも代えられない魂の籠った輝きなのだよ」
「なるほど……。では、単にブラジャーをしていない若い女性の胸については、博士はどうお考えですか?」健二がたずねた。
「ブラジャーをしていなくとも、若い女性というのは常に『おっぱいとは垂れ下がってはいけないもの』という呪縛に囚われてしまっているからな。やはり若い女性では駄目なのだ。年季が入り、おっぱいに敬意を払い、長いこと安楽を伴わせてやった老女たちのおっぱいこそ、至高の域に達することができるのだよ」
◇
「馬鹿馬鹿しい」
「何を勝手に読んでるんだ! 食らい付くぞ! 胸に!」
「昨日の老人ホームに電話繋いでおきますから」
「ひい……」
枯れたるおっぱい。それは胸の声に共鳴し、それらに安らぎを与えた老女に授かられし至高の宝石。
人生に残された少ない時間を、決して無駄にはしたくない。だから私は今日も今日て、妻や世に生ける老女たちのおっぱいに、深く愛を捧げるのだ。