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第3話

 金曜日。

「んぁ―…」

 朝が苦手な由奈の起床。のろのろと起き出して、ゆっくり着替えてからリビングへ行く。

(今日は―…トースト)

 テーブルの上の袋入りの食パンを二枚ひっ掴み、トースターへ。

(い―ちご―ジャムっと…)

 ようやく目が覚めてきた由奈は冷蔵庫内を探り、残り半分のジャム瓶を手に取る。テーブルに着きながらリモコンでテレビの電源をONにしたら、丁度ニュースの始まる瞬間だった。

『先月発生した、不審者にナイフを突きつけられた通り魔事件の続報です。先日の深夜、舞津駅付近で…』

 見慣れたベテランのニュースキャスターが噛まずに機械的に喋る。

(まだ捕まってないんだ。最近の警察はだらしないなー)

 ポットからインスタントコーヒーにお湯を注ぎ、パンの焼き上がりを待つ。

『‥のため、付近の住民に警戒を呼び掛けています。‥続いて、タレントの井原隆司さんと歌手のMEYさんの結婚報告の記者会見です』

 記者会見のVTRが流れてる最中にチン、とトースターが鳴って食パンが熱々こんがりの茶色になったことを知らせた。

(へー、あの人結婚すんの。でも長くもって半年かな)

 そんな適当な予測をたてながら皿に置いたトーストに薄くジャムを塗り、かじる。

(介人の友達、どんな人だろ?男女一人ずつって聞いたけど。…昼休みにクラスにお邪魔しよっかな?)

『…ので、幸せです”とのコメントを頂きました。…住宅二件が全焼、原因は新製品のコンロです。えー、火災現場跡地の原田アナウンサーと中継が繋がっております。原田さ―ん?』

(今日は委員会の集まりはないし‥三、四時限目に調理実習があるぐらい…)

 ニュースを聞きながらトーストとコーヒーを胃に送り、今日の予定や都合を考える。それが由奈の朝の日課だった。

『七時四十分!七時四十分!』

 食べ終わった頃、画面右上でこの局のマスコットキャラが時間を視聴者に通達した。

(行く準備しなきゃ)

 残り四分の一になったジャムトーストを口に突っ込み、支度に取り掛かった。

(忘れ物は…ないね)

 全ての準備を終え、教科書の種類と時間割りを確認する。

「んー…っくはぁ。今日も張りきっていきますかぁ」

 思いきり背伸びをして調子を整えてから玄関を出た。

 

 

 昼休み。介人は眠くて半分落ちた瞼を擦る。

(終わった―‥。世界史ってやっぱり眠い。名前カタカナばっかりだし、ルターとルソーどっちがどっちか分からないし)

 介人はコンビニで購入済みのパンのレジ袋をひっ提げて庭へ足を運ぼうとした。

「介人、一緒に食おうぜ」

 石橋も買い弁だったらしく、スパゲティの器を机に出していた。

「上野、ちょっと席借りるぞ」

「おう」

 石橋が自分の後ろの席の男子に許可を得て、介人にそこに座ることを勧めてきた。

「あ‥サンキュ」

「よーす、介人いるー?」

 座った直後、後ろの戸の前で、由奈がナプキンに包まれた弁当箱を肩の位置でぶらぶら揺らしていた。

「こんちわっす」

「お、いたいた。お邪魔するよ。ね、ちょっと席貸してもらえる?」

 由奈が石橋の左隣の席の女子に頼んで席を譲ってもらった。

「へー、この人が介人の友達?」

 由奈は石橋を珍しそうに見る。

「石橋亮っていうんです」

「亮君か、よろしくね」

「ああ、はい、よろしく。……おい介人、この人‥」

 石橋は怯え混じりに“まさか”と言った。

「ああ、風戸由奈さん」

「あのビンタ女?」

「?」

 由奈は何のことか分からずにいた。

「由奈さん、あの‥」

 介人が石橋の話したあのやや長い話を繰り返す。由奈はおかずを摘みながら聞いていた。

「何の話、それ?」

 弁当を空にし、話を聞き終えた由奈は全く訳が分からんとばかりに顔をしかめる。

「え、風戸先輩じゃないんすか?」

 石橋も似たような感情が顔に出ていた。

「覚えがないし、今時は暴力じゃ解決しないよ。まあ私なら説教はするけど」

「石橋…それどこの小学校の話だ?」

「確か市立浜岡小の生徒から聞いたん‥だったと思う」

「私は山野小出身だよ」

 浜岡小はこの高校からは西の方だ。介人はその隣街の小学校に通っていたから分かる。一方、山野小は真逆の東と昨夜の電話で由奈から聞いた。

「全然違うじゃん、別人だろ」

「あれ…?ウチの姉ちゃんから聞いたんだけど…」

 石橋に姉がいたことは初耳だった。

「介人、もう一人の友達は?」

 だが由奈が別の話に変えたので詳細は聞けなかった。

「加賀可菜香っていう女の子です。今は‥会議室に行ってていないですけど」

 可菜香は図書委員会の役割決めに行っている。

「どんな娘?」

「石橋がよく知ってますよ。近所ですし」

「あいつっすか…いわゆるドジっ娘っすよ。小さい頃からよく転び、よく追われる」

 よく学び、よく遊ぶの間違いではないかと思える紹介をする石橋。

「追われる?」

「何にだ?」

 介人も由奈もこの単語が気になった。

「犬、猫、鳥、虫、魚、そして人に」

 動物の主な分類を上げていく。

「生物全てに…」

「ドジというより…可哀想かも」

 引きつつも同情してしまう二人。

「ま、そんなですがあいつも人間な訳で、成長した今では結構ドジらなくなりましたよ……前よりは」

 石橋はスパゲティの最後の一口をすすった。

「介人、今日はアレやるから、放課後集合ね」

 由奈が弁当箱の蓋を閉めながら言った。

「あ、はい」

「そんじゃ〜」

 ナプキンで弁当箱を包んだ由奈が気分よさげに教室を去っていく。石橋は完全にいなくなった頃合いをみて介人に話しかけてきた。

「アレってなんだよ。エロいことか?」

「違うに決まってんだろ」



 放課後。帰ろうとした介人は佐紀に呼び止められた。

「おーい、やっしー」

「二宮先輩、何か用ですか?」

「いやいや、大した用でもないが重要なことだ。まあ耳かっぽじって聞き流せ」

 佐紀の言っていることは矛盾だらけだ。言わんとしてることは分かるが。

「何でしょう?」

 由奈のところへは急がなくてもいいので、聞くことにした。

「昨日確かめるの忘れたんだけど、やっしーは由奈のこと、好きか?」

「‥‥あー、まあ、由奈さん美人ですよね。‥じゃ」

 介人は当たり障りのない答えでひらりとかわす。

「ちょー待て待て。照れることはないって。好きなんだろ、ん?」

 佐紀に背中をどつかれた。

「まだそんな関係じゃないですよ」

「まだ?てことはいずれ?」

「知りません。さよなら」

 介人はからかい腰の佐紀がウザったくてこの場から逃げ出した。階段を下りる足音が校舎に流れる。

(‥ま、あの二人なら何もしなくてもくっつくかもね)

 一人にされた佐紀も帰ることにした。



 夕方の公園内。既に二人の握手練習は始まっていた。

「…ぅ」

 介人の頭がふらつき、ベンチにもたれかかった。由奈は手を放して携帯電話の時計表示を見る。

「お―凄いね。今のは二十分ももったよ」

「そ…すか」

 気分は苦しいが、記録を更新したような達成感はあった。

「どうしたの?今日は調子いいみたいだけど」

「…多分、色々な人と知り合ったお陰かも知れません」

 介人にはこの一週間で五人も一気に友人ができたし、その人達ともなるべく毎日話して仲良くなろうとしていた。それが結果として表れていたのだ。

「一番初めは私だもんね♪」

 由奈は自慢気に頬をほころばせた。

「んじゃま、握手は十分だとして‥次は」

 言いかけて由奈は顔を赤らめる。

「…どうしたんですか?」

 介人はベンチに寝そべったまま聞いた。

「…ね、この次の段階って何すればいいんだろね?」

 そう聞かれた介人は握手以上のスキンシップを脳内検索する。

「ん―‥肩や背中を付けるとか‥ですか?じゃなけりゃ、もっと他の人と知り合うとか」

「あ、そか。…だよね、それがある‥よね。あはは…」

 由奈は微妙な笑い方をする。

(“抱き合う”ってこと考えていた私ってホント馬鹿だ…)

 彼女は内ではこんなことを思っていたのだ。

「うん、まあ、これからも徐々に時間増やすようにするとして、後は自分で頑張ってみてよ。ね?」

「由奈さん、誤魔化してません?何かを」

「何を言ってるの。ハイ、今日はこれで終わり!」

 手を鳴らして手早く帰り支度をする由奈。介人はそんな様子が不思議で仕方がなかった。

「?…はい、お疲れ様でした」

「‥あの、カイ‥君?」

「あれ、可菜香?」

 起き上がった介人の名前を呼んだのは可菜香だった。彼女は公園の入口から歩いてきている。

「介人、可菜香ちゃん、てもう一人の…」

 由奈が昼の話で聞いた名前のことを尋ねた。

「はい、そうです。加賀可菜香。可菜香、この人は二年の風戸由奈さん」

「初めまして」

「よろしく〜」

 可菜香が軽く頭を下げた。由奈は少し手を上げて返事とする。

「…ほー、こりゃまた可愛い娘と仲良くなったね」

 由奈が横目で介人を見て言った。

「偶然ですよ、偶然。それに向こうは俺のこと昔から知ってますし。‥で、可菜香はどうしてここに?」

 からかわれるのは佐紀だけで十分だと言いたげに話をそらす。

「帰りが少し遅くて、カイ君いないから石橋君に電話で聞いて、そしたら多分ここだって」

 可菜香はジェスチャーを混ぜながら話した。

「それでわざわざ俺に?何か用事あんの?」

「べ‥別に、用事ってほどじゃ…ただ、あの‥」

「?」

 介人が躊躇いがちに何かを言おうとしている可菜香を待っている。

「あー、ちょい来なさい、介人」

 由奈が手招きしたので一旦そちらへ。由奈は声をひそめて話し始めた。

「あのさ、分かんない?可菜香ちゃん、介人と一緒に帰りたいんだよ。だからわざわざ場所まで聞いて来てくれたんじゃん」

「え‥まさかそんなぁ‥」

「絶対そうだよ。とにかく介人から誘いな。一緒に帰るかって」

「ちょ、ちょっ、由奈さん?」

 そして介人の背中を強引に押して可菜香の前に出させる。

(何なんだよ、由奈さんは)

 介人は心の中で溜め息をつく。

「話‥終わった?」

「終わった。…可菜香、せっかくだから一緒に帰るか?」

「!」

 可菜香はとっさに頷く。

「じゃあ由奈さん、また月曜日に学校で」

「うん、じゃねー」

 由奈は気を利かせて二人を先に帰らせた。介人も薄々そう感じたが、深く考えないことにする。

「いい人そうだね。風戸先輩(というか、すっごくいい人だ〜…♪)」

 由奈の意図に気付いた可菜香は由奈に感謝の意を捧げた。


「家ってこの辺なのか?」

「ううん。ちょっと遠い」

 歩きながら介人が尋ねると、可菜香はやや右の空を指差す。

「あっちに何軒かゲーセンがあるでしょ?そこからデパートの方に向かってしばらく歩くと家なんだ。今はお父さんと二人暮らし」

「ふーん」

 介人はとりあえず道順だけ覚えておくことにする。

「それにしても驚いたよ。入学したらクラスにカイ君がいるんだもん」

「よく俺の名前覚えてたな。普通覚えてないだろ、顔だって全然変わってんのに」

「小さい頃、結構カイ君との思い出があったからね。楽しかったから、名前も覚えていたんだよ。…でも、カイ君雰囲気変わったよね」

「雰囲気?」

 介人は少しだけ可菜香の声に元気がなくなったような気がした。

「気のせいだったらごめんね。カイ君、幼稚園の頃はいつも元気に遊んでいたけど、今はなんだか少し暗いような、冷たい感じになったな…って」

 可菜香の話し方に遠慮が見てとれる。

(‥それは多分、あの時のいじめが原因…だと思う)

 介人は昔の自分の性格なんて覚えていなかった。もちろんあの日以来、殆んど忘れてしまったから。

「十年経てば人の性格くらい変わるさ」

「そう?」

 可菜香は納得したくない様子。

「‥色々あったんだよ、俺も」

「え?」

 介人の呟きは可菜香の耳に届かなかった。

「何でもない」

「…うん」

 それから二人ともしばらく黙る。その沈黙は一時的な別れで破られた。

「じゃ、私はこっちだから」

「わかった」

 誰もがやるように『また月曜に』と別れようとした。

「…あ、可菜香、ちょっと待って」

「ん?」

 介人が呼び止め、ブレザーのポケットから携帯電話を出す。

「今日みたいに、わざわざ俺を探すの大変だろ。番号とアドレス、教えるから」

「え…いいの?」

「嫌か?」

 この問いに可菜香は急いで首を横に振る。

「そんなことないよ…あ、石橋君のも教えておくね」

「おう」

 可菜香は嬉しそうに携帯電話を出して、二人は互いの番号とアドレスを交換しあった。

「‥よし、終わり。また月曜にな」

「うん、バイバイ」

 二人はどこにでもある、またいつでも会える別れをした。

(やっぱり、いいなぁ…カイ君)

そのありきたりな日常の中で、可菜香の心には自然と温かいものが湧いてきたのだった。



 夜七時頃、石橋家。

「姉ちゃん」

 石橋がソファーに座っている姉に話し掛ける。

「どうしたの、亮?」

「いい加減嘘つくのは止めてくれよ。また姉ちゃんが昔話した嘘話をしちまったんだからな」

 石橋‥亮が飛ばす文句に反論を出さず、姉はくすくす笑ってこう言った。

「亮、石橋亜矢(いしばしあや)も嘘だってつくわよ。人間だもの」

「いや、姉ちゃんはやりすぎなんだって。軽くならともかく、姉ちゃんの話は九割が嘘だしさ‥」

 これまでにした話はほぼ全てが嘘。しかも、それが嘘に聞こえたり聞こえなかったりするものだから弟はつい信じてしまうのだ。

「亮はそれだけ純粋ということじゃない?素敵だと思うわよ、そこまで人を信じることができるのは」

 微笑みを崩さずに亜矢は我が弟の長所を語る。

「その純粋さを利用しているのは誰だよ!」

「細かいこと気にしない気にしない。あ、そうそう。今夜はお父さん、焼肉にするって言ってたわよ」

 亜矢はわざとらしい言い方をする。

「話題そらすなよ!つか言ってるそばから嘘つくな」

「いらないの?久々の高級和牛よ。お父さんの機嫌がいいときしか食べられないんだから」

「いちいち騙されたくねーよ」

「そう‥」

 それだけ言うと、亜矢は家の電話でどこかにかけた。

「…あ、お父さん。今夜の夕食なんだけど…うん、亮はいらないって。…え?わかんない、なんか最近お肉が好きになれないとか言ってて」

「言ってねえよ!」

 亮は受話器を亜矢から取り上げ、すぐさま訂正する。

「もしもし親父?今の嘘だから信じるなよ‥え、俺?肉好きに決まってんだろ!」

 ガチャン!と受話器を置いて姉を見る。

「…ぷふっ」

 口を押さえて笑いを堪えていた。

「今の何?『肉好きに決まってんだろ』って‥」

「く…(たまに本当のことを言うのがタチ悪いんだよな)」

 羞恥心を募らせて赤くなる亮。

「真顔で肉好きをアピールする亮‥面白い」

「黙れブス」

 笑っている姉に精一杯の反撃をする弟。

「それはそうと、学校はどう?楽しめてる?」

 亜矢が悪口を無視して尋ねた。

「まあまあ。ただ、友達に一人だけ違和感がある奴がいるかな」

「違和感?」

「何か話してても、よそよそしいっつーか…人と話すのが苦手っぽい奴だった」

「‥なんて名前?」

「谷嶋介人」

「ふーん‥」

 亜矢は興味がありそうな返事をする。

「亮、後で紹介して」

「…姉ちゃん、まだ“理想の彼氏探し”諦めてないのか?」

 ちなみに亜矢はこの辺りにある大学の一年だ。ルックスも中々良いのに、未だに彼氏はいない。その理由は…

「だって、私に告ってきたどの男もなんとな〜くダメなんだもの」

 “なんとなく”だけで男を判定してきたから。で、その結果がこれなのだ。

「贅沢なんだよ、姉ちゃんは」

 呆れ顔の亮が言った。

「そうかしら?…とにかく、家に呼びなさい。出来れば明日か明後日ね」

 ソファーに寝そべり、話は終わりよ、と手を振った。

「まったく…呼ぶにしてもあいつの番号知らな」

 ここで亮の携帯電話が鳴ってメールの着信を伝えた。

「…メール?加賀から…………うわ」

 思わず引いた亮に送られてきたのは介人の番号とアドレスだった。

「何て都合の…悪いものを」

「亮?何変な顔してるの?」

 亜矢がソファーから立って亮の携帯電話を覗いた。

「…あいつの番号がきた」

「ちょうどいいじゃない。明日呼びましょうよ」

「…はいはい」

 亮は渋々介人にメールを送った。



 介人と亮の休日はどうなるやら。

第3話…ここでまた新キャラです。

石橋亮の姉、亜矢が出ました。簡単に言えば嘘が大好きな大学生です。

さて、この話は可菜香と亮が由奈と初めて会う場面がありますが、由奈は数分で仲良くなってます。

こんな人なら、いわゆる『友達100人』も実現できたりして…


さあ、介人は由奈ともますます仲良くなって、由奈本人は可菜香の恋を応援することになりました。介人自身も段々と対人恐怖症を克服する兆しが見えそうな…


次は休日の話です。

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