第1話
誰とも関わらない。
誰とも一緒に笑わない。
もう誰とも。
そんなつもりだった。
この春までは。
「HR始めるぞ―」
ここ、南東第三高校の入学式から一週間が経った。早ければ友達が出来ても不思議ではない。
まだ小さいざわめきの教室に、このクラスの担任が入り渋々と面倒そうに朝のHRを始めた。
「…」
そんな朝、一番後ろの一番左端にいる生徒、谷嶋介人は、名前すら覚えていない担任からの連絡事項も聞かずにお気に入りの小説を読み更けていた。
「谷嶋ぁ、聞け―」
担任に気付かれた。端の端だから余計に気付かれやすいのだろう。
(うるさいな‥聞くフリでいいか)
そうして顔を上げ目線だけを本に落とす。
「じゃあ、今日の5時限目の美術は2―Bとの合同になるからな。上級生とトラブルのないように」
昼休み。朝コンビニで買ったオニギリとお茶を持って庭に出る。
(どこもいるな‥)
軽く見渡す介人が探しているのはベンチとかの空きではない。“人が居ない場所”なのだ。
(‥あった)
すぐに見つけた木の根元とその周囲には誰も居なかった。が、それが介人にとっては都合がいい。早速座って袋からオニギリを出す。
(まずは焼きタラコから‥)
全部食べ終わり、パックのお茶を最後までストローで吸い尽す。心地よい風がふんわりしていて実にいい気分だ。
(5時限目の美術‥二年生と合同だっけか)
「あの‥」
(?)
突然の声に介人が静かに顔を上げると、髪の長い女子が購買で買ったパンを入れた袋を片手に彼を見下ろしていた。髪飾りは付けておらず、その茶色がかった髪は背中を埋めるほど長い。
(綺麗な人‥学年章は緑、二年生か)
「はい?」 介人は少し遅れてから返事をかえす。
「あ、君一年か」
どうやら女の子の方も相手の学年を伺っていたらしい。
「ここでお昼食べていい?」
「‥‥」
いつもの介人なら即座に立ち去るか別な場所に行かせただろう。しかし、断る理由がない上に相手は先輩なのだ。しかも女の子とあっては気を悪くさせるわけにはいかない。
「‥いいですよ」
「ありがと」
女の子は左隣に座る。
(あ―もう‥)
介人にしてみれば“よりによって”だった。肩が触れそうな位の距離に腰を下ろしていたのだ。
介人は気付かれないように少しだけ離れる。
「?」
彼女は何故かその距離を詰めてきた。
「‥っ」
介人はまた距離を置く。もちろん彼女は埋めるように近付いてくる。
「なんなんですか」
「なんで離れるの」
「近付いてくるからです。そっちはなんで近付くんですか」
「君が離れるからでしょ。つ―かなんでそんな近付くのを嫌がるの?」
「俺は」
ここで介人は口をつぐんだ。そして曖昧な返答に切り換える。
「…いいでしょう、別に」
「よくないわよ。何かあったの?お姉さんに相談してみ
女の子の声をチャイムが遮った。昼休みしゅーりょー。
「…じゃ、そういうことで」
「あ、待ちなさ…もうっ」
呼び止めの声も聞かず、介人は美術室に向かった。
(…変な人だ。でもあの人ならきっと仲良く‥)
介人は思わずクスリと笑うが、すぐに表情を無に戻す。
(なに考えてんだよ。例え仲良くなっても…)
5時限目の美術。今回は“春”をテーマに外でスケッチらしい。
(春‥ね。適当に桜でも描くか)
そう思って桜の木に足を向けると、
「あ」
「‥あっ」
介人が目を合わせたのは今会うと厄介な人物だった。
「さっきの無愛想君か。C組だったんだね」
「‥はい」
「さ、て‥さっきの話の続きをしましょうか」
「‥授業しましょうよ先輩」
「にへへー大丈夫大丈夫。今回の授業は絵の提出なしだから。一年もそうだよね?」
確かにそうだった。介人も担当の教員がそう言っていたことを思い出し、反論を諦めることにする。
「…」
「で、私を避けた理由は聞かせてもらえないのかな?」
「なるべく」
介人は即答した。その様子に彼女は全く動じず、
「そう。じゃ、おしまい。一緒に絵、描こうか」
逆に介人が驚かされてしまった。もっとしつこく聞いてくるのかと思っていたのだ。しかし‥避けられている相手と“一緒に”なんて‥何を考えているのやら。
「いや、だから‥」
「行こっ。桜描くならあっちがいいよ」
彼女は介人の手を取ろうとする。が、
「!」
介人は思いきりその手を弾いた。
「え‥?」
これには流石に彼女も唖然としたようだ。
「‥すみません」
「あ、気にしないで。別に痛くないし‥あ、そだ。君、名前は?」
「谷嶋介人です。‥えと」
「風戸由奈。よろしく」
由奈は改めて手を差し出す。
「‥‥」
だが結局、介人はその授業の最後までその手に触れようとはしなかった。
「あー‥」
ため息混じりの声で自分の席につく介人。
(なんであの人と仲良くなってんだよ‥俺)
正直うんざりだった。らしなければよかった。そう後悔していた。
場所は変わり、ここは屋上、それも三年前の。
『おい、反撃しろよ。ほら』
『言ってみろよ。いつもみたいに“いい加減にしろ!”って』
起き上がっては殴られ、また起き上がっては蹴られ‥そんな日々に少年は限界がきていた。
『‥たすけて』
近くにいる友人に手を伸ばす。しかしそいつは手を取らない。
『ほれ、させよ』
その友人はバットを受け取る。
『え、なにを‥』
『とどめ』
友人は躊躇ったが、それもほんの暫しのこと。震える手でバットを振り上げた。
『ごめんな』
「!!」
最後のバットが空を切る音で目を覚ます介人。
(寝てた‥のか)
時計を見ると、授業が始まる直前だった。
(まだ‥忘れられないか)
いつのまにか嫌な汗が全身にベットリと付いていた。
「席につけ―」
教師が来たことなんかどうでもよかった。ただ、今は‥
(友達なんか‥いらねえ)
歯を悔い縛りたかった。
一方、
「はあ‥」
2―Bにもため息を漏らす由奈が。
「由奈ちゃん、どうしたの?」
由奈の友人、真理が話しかけてきた。
「いや、さっきの子なんだけどね」
「惚れたのか?」
と、佐紀。
「違う、違うから。なんかさ、秘密があるんじゃないかと」
「秘密?」
「理由ありみたいなというか…あの反応は尋常じゃないもん」
ふと、由奈は介人に手を弾かれた瞬間を思い出す。
「ちょっとショックだったな―‥」
机に突っ伏す由奈。その頭を佐紀が撫でて慰める。
「あーよしよし。思えば由奈が人と仲良くなれなかったのって今回で三人目だっけね」
「ね。不良とでも仲良くなれるくらいだもんね」
「にへー、褒められた♪」
ふにゃりと顔を緩める。
「でも由奈を拒否る人って気にはなるかな」
「あ、私も―。由奈ちゃんが気になる子だもん」
真理が小さく手を上げる。
(やっぱ‥も少し接してみるかな)
由奈は髪をいじりながら次の授業の準備を始めた。
放課後。
今日の掃除をさっさと終わらせた介人は欠伸をかましながら校門を出ようとした。
「よーす、介人くーん♪」
由奈だった。後で介人が聞いた話によると、掃除をサボってまで早くから校門で待っていたらしい。
「……」
「こら、そんな露骨にヤな顔しないの」
介人は無意識の内に眉間にしわを寄せていたらしい。
「ちょーっとお喋りがしたいな、と」
「…ご勝手に」
「にへへー♪」
二人が並んで歩く。これだけの表現では二人は恋人としか思えないだろうが、実際はてんで違う。介人と由奈の位置は道の端と端だった。その間隔は実に半径1メートル程。赤の他人から見ればなんと異様な光景か。そんなこともあまり気にせずに由奈は介人に話掛ける。
「介人君てさ、友達何人いる?」
「いませんよ」
「そっか。じゃあ私が第一号だ」
「は?」
突拍子もないことに介人はつい振り向いてしまった。
「え、なんでですか」
「ダメ‥かな?」
由奈はちょっとだけ首を傾けた。
「んや‥その‥」
「ダメかな?」
「‥‥んと、あ―‥いや」
「あのね…」
じれったくなった由奈はいきなり介人に寄って、
「人と話すときは目見なさい、目ぇ」
「ぐっ!?」
ガシッと顔の両頬を掴んで正面を向かせた。
「大体、介人君は‥」
「ちょ‥やめ」
介人が唸る。しかし由奈が止まるはずもなく、
「態度が無愛想過ぎ。それに私の握手も断ったしさ、そんなに友達つくりたくないの?そんなんじゃ‥」
「‥うぅ…」
うめき声を上げた刹那、介人の視界が歪んできた。そして枯れた花のようにその場にへたれ込む。
「高校生活が‥!!?ちょっ、どうしたの?」
由奈は腰を落として介人の顔を覗き込む。さっきまで到って健康だった介人の顔は青白く、唇は痙攣し続けている。おまけに額には異常な量の汗。
「‥う゛え゛っ‥げほ‥」
どうやら吐気もあるようだ。とても只事ではない。
「どうしよ‥確か近くに‥」
由奈は慌てながらも介人と肩を組んでゆっくり歩き出した。
しばらくして…
(…冷た)
額に何か冷たさを感じて、介人の意識は戻った。手で額を探ると、濡れハンカチが乗っているようだった。
「よかった…気が付いたんだ」
介人が目を開けた先には由奈の安堵した顔があった。
「…風戸先輩」
空は少し橙色が掛ってきている。気絶してから結構時間が経ったらしい。
「いきなり気絶するからビックリしたよ。気分はどう?」
今いる場所は遊具らしきものが多い。公園なのだろうか。だが、今の介人にはそんなことより先に感じることがあった。
(もしかして先輩が…ここまで運んでくれて、介抱まで?)
「……」
しばらく黙り続ける介人。由奈も介人を黙って見ていた。
(介人君、大丈夫かな?でも一体なんで‥)
由奈は今までとは逆に少々躊躇いがちに尋ねてみた。
「あの‥さ。介人君何かの病気なの?」
「‥‥言わ
「無理して言わなくてもいいよ。でも」
返事をさせないまま、由奈は言葉を続ける。
「もし私のせいでこうなったなら、ちゃんと謝りたいし、出来るだけ分かってあげたいん‥だ」
由奈の声はさっきまでの活気がない。それを感じた介人は静かに起き上がる。
「‥話しますよ」
「……」
介人が一度話し始めると、あとは話すべきことが次々に口を割って出てきた。
「何年か前、俺はいじめに遭っていました。それも言葉と暴力の両面から。…その中、とうとう気持ちに限界がきて俺は反撃しました。で、その結果……そいつらの行為が更にエスカレートしてリンチじみたことまで‥」
「……」
由奈は最後まで聞こうとじっと待ち続ける。
「俺は近くにいた友達に助けを求めたんですけど」
「……」
「‥‥‥っ」
「‥けど?」
「その友達はそいつらに命令されて‥“俺をバットで殴りました”」
拳を握り締めた。
「え‥」
「その時から俺は誰とも関わらないって決めたんです。その友達は必死に謝ってきたけど、俺は絶対に許しませんでした」
「‥‥」
「‥そして、それから悪夢が始まったんです。あのときの俺は人に触りたくもなくて、触れば嫌気がさすようになりました。‥やがて俺は人を拒絶しすぎて、遂には」
介人は言葉を途切らせるが、由奈が待っているので続けた。
「他人の肌に触れる度に“吐気”が出るまでの“対人恐怖症”にまでなりました」
ここで由奈は気付いた。
(倒れたのは、私のせい…?)
「‥大丈夫、さっきのことは気にしないでください」
由奈の考えを察した介人がいつもの無愛想な言葉をかける。
「‥‥うん」
「でも変でしょう?こんな奴。人と握手すらできないなんて‥」
「そんなことない!」
由奈が声を張り上げた。その大声に介人の方は驚き固まる。
「しょうがないよ…そんなことがあったんだもん。
私だってそんな目に遭ったら今の私じゃなかったと思う」
「‥‥」
「だから、自分が変だなんて言わないの。ね?」
由奈の無理のないこの笑顔を見て、介人は何故か気分がよかった。
(なんでかな…先輩と話すと、あまり気分が落ち込んだりしない。それどころか‥)
「よし!決めた!」
勢いよくベンチから立ち上がる由奈。
「何がですか?」
「対人恐怖症。私が治すの。少しずつ人と接すれば治ると思うから」
「でも」
「もうこうして私と普通に話せるでしょ?だから後は握手の練習っ」
「いや‥」
介人の反語も聞かずに由奈は言いたい放題だ。
「私達、もう友達だもんね?」
由奈は手を介人に伸ばす。
(…友達か)
友達。もう二度と使わないつもりの言葉だった。それでも今は、全然嫌な気がしなくて。
(もう一回つくってみるかな…友達)
介人も立ち上がり、由奈の掌に指先をちょんと触れさせる。不思議と気分は悪くならなかった。この程度の接触なら平気なのか、それとも‥
「にへー♪」
この行為が握手ではないものの、由奈はさぞ上機嫌な様子で笑った。
「かざ
「由・奈」
風戸先輩、と呼ぼうとした介人に自身の名を告げる由奈。
「由奈って呼びなよ」
「え‥」
「“友達”なんだからさ」
「‥由奈さん」
「うん、よろしい。じゃあ帰ろ、介人♪」
気付けばもう夕方。ほんの少しだけ涼しい時間の中、二人は指だけを触れさせたまま、途中まで一緒に歩いていた。
はじめまして。
初投稿です。今回は個人サイトでファンフィクションを続けながら書いた、完全オリジナルの学園ラブストーリーです。
今作の連載にあたっては「人との心の触れ合いを大事にする」をテーマとしております。
これは何気に自信があったり(笑)こんな小説でも楽しんでくれたら感激です。
では。




