A いつか結婚するのは貴方
こんにちは。
ようこそお越しくださりありがとうございます。
拙い二人のこれからを見守ってあげてください。
よろしくお願い申し上げます。
「もう、絵画館前のロケに間に合いませんわ……!」
新美白蓮は、腰まである黒檀のような髪を高く結い、二十分休みにさっとおにぎりにぱくつく。
こりすのようなまあるい瞳に小さすぎる口元で、女性カメラマンにスカウトされた。
今日は絵画館前でティーンズ向けのファッション雑誌『ピンクブルー』のモデル、一件一万円が午後四時から入っている。
二足の草鞋かモデル兼華菱高校の一年生をこなしていた。
おっちょこちょいは玉に瑕でご愛敬だ。
「ああ、愛しのサンドイッチさまよ! 購買部は向こうの校舎ですわね。ちょっと不便……。でも、ヒップアップにいい運動ですこと」
二階の渡り廊下を小走りに行く。
「あの……!」
後ろから声が劈いた。
「はい、はじめまして」
振り返ると、ジーパンに写楽のTシャツ姿で一七三センチある白蓮よりも上背のある男がおっとりと立っている。
いまどき銀縁眼鏡が目立った。
頭をぽりぽりと掻きながら恥ずかしげに下を向いていた。
どうやら、やっと声を掛けた感じだ。
白蓮はくすりと笑ってしまう。
「俺……。い、いや僕は、夢咲智樹と言います。今日は華菱高校の学生証用写真を撮りにきました。カメラマンです」
怪しまれてはいけないと弁明しているな――。
白蓮のセブンセンシズが光る。
「私にご用でもございますの?」
白蓮は下から斜めに舐め上げて冷たい視線を送る。
元々父親が家庭内で暴力を振るっていた為、男性が嫌いだ。
子供は好きだから欲しいけれども、夫は要らないと言う矛盾した考えも持っている。
「の、喉が渇いてしまって、自動販売機はどこですか?」
カメラマンの背筋はピンとし、選手宣誓でもしそうな勢いだ。
白蓮はこういうタイプは好きではない。
「本校には置いてないんですわ。花嫁修業らしくて。お茶はお当番制で自分達で用意いたしますわ」
さっきよりは優しく説明してあげたつもりだけれど、ツンとしているのは否めない。
はなから気がある風にするのは、デレデレしていて最も嫌いだ。
「授業の合間に喉が渇いたらどうするんですか?」
惚けた顔で訊いてきた。
「うふふ……。面白い方ですこと」
白蓮は大真面目に笑ってしまう。
「我慢するんですよ。ま、飲料は購買部で売っていますけれどもね。自動販売機はございません」
さっぱりとお答えすると、つられたのか智樹も恥ずかしそうに笑い出した。
「な、なーんだ。あはは」
「私ね、幼稚園からエスカレーター式の女子校で、新盆を迎えたばかりの父親も恐ろしく思っておりました。だから、ずっと男の人って口は一文字にしているものとばかり思っていましたわ」
白蓮は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、恥ずかしいので口元に手を添えて呟いた。
「あーははは。同じ人間ですよ? そんな訳ないでしょう。優しそうなお嬢さん」
白蓮は、褒められたのか、貶されたのか良く分からなかった。
今は三月だ。
紺地のセーラー服が渡り廊下の窓をカラリと開く。
校庭で高く伸びた白木蓮が木蓮より早く咲いて芳しい。
花びらが一枚ひらりと舞った。
智樹がそれを掌に乗せて愛でる。
「私は新美白蓮ですの」
白い花びらの小ぶりなところを摘まむ。
「白蓮とも呼ばれる花と同じですわ。命名をしてくれた母が県境を三つ越えたところにおり、仕送りをする為にモデルの仕事していますの。少しは自分のお小遣いね。うふふ」
「……苦労しているんだね。この白蓮の樹の前で君を撮りたいな。お母さんに送ってあげなよ」
智樹カメラマンが、急に真面目になる。
「苦労しておりません。いいですわ」
ツンと言う。
けれど、翳りが見えた。
智樹は白蓮の花びらを見つめる。
「これ、栞にして贈るよ」
智樹は顔を紅潮させ、自分の鼓動が聞かれやしないかとひやひやした。
「え……? どうして私に、男の方が」
お湯が一瞬にして沸いたように、どきっとした。
「俺! 一目惚れしました!」
はっと息を呑むの間もなく赤面してしまった。
「どなたに?」
「貴女です!」
智樹はジュースの自動販売機なんてどうでも良かった。
だが、今が一番喉が渇いているかも知れない。
◇◇◇
「誰もいなくても、ただいま帰りました」
放課後に絵画館前広場での撮影が無事終わって、白蓮は一人住まいのポーラスター三〇三号室に帰った。
脱いだローファーを揃える。
一人の部屋に帰るのはいつものことだ。
でも、今日は涙ぐんでいた。
「やだ、どきどきしている……」
クッションを濡らしながら、『夢咲智樹』と言う人物について考えていた。
彼は華菱の女友達と違う。
「こ、恋なの? 違うと教えて?」
自問自答だ。
返事を求めても誰もいないのが現実で、初めて寂しいと思った。
学校の友達にも、恋愛禁止なので話し難い。
「恋って甘酸っぱいものなのね……」
ボスボスとクッションを叩いてみる。
「亡くなったとはいえ、父からDVを受けていた私が、男なんかを好きになるなんて……。あり得ませんわ」
感情に任せてクッションを壁に投げつける。
「だって、警戒心ゼロの緩い笑顔を見たら、忘れられませんわ」
背伸びをして、アナログ時計を見る。
長針と短針が十二で重なる所だった。
「もう、寝ましょう……」
不器用な白蓮は夢で続きを考えようかと、羊を数え出した。
「ワンシープ、ツーシープ」
すやあともう夢の中だ。
◇◇◇
翌日の下校時刻に、白蓮は息を吞む。
智樹は本当に白蓮の栞を持って、華菱高校の門にきていた。
「あ、ありがとう……」
言の葉を選んだが、それ以上のものが見つからなかった。
ありがとうと思うときって、ありがとうが一番しっくりと★★る。
「ならさ、お礼に珈琲でも如何? 好きなのが見つかると良いんだけど。ちなみに俺はモカが好きなんだ」
昨日とはうって変わって明るく気さくな感じだった。
あの真っ赤だった顔も頬を染める位になっている。
水を得た魚かと白蓮は面白くなった。
「杉板を焼いた看板もいい雰囲気だろ?」
線路を越えて自宅とは反対側へ行き、喫茶『めるすぃー』を訪ねた。
アールデコを思わせながら白を基調にした不思議だがムードのある素敵なお店だ。
「俺はモカね、君は?」
常連ぶって気障な感じに白蓮はメニューも見なかった。
「君って、玉子みたいでおかしいわよ。白蓮って呼んでもいいわ」
君だなんてちょっとおかしいと思って吹いてしまった。
「じゃ、じゃあ、『白蓮』さんは何を飲んでみる?」
智樹は照れながらメニューを差し出す。
「同じのにします」
白蓮はにっこりと笑った。