牢に入れておしまいなさい
「無礼です。手を離しなさい」
「でも」
「手を離しなさい」
有無を言わせない王太后陛下の声に怯んだのか、そろそろとベロニカは私の腕を離した。
さっと、彼女から数歩分の距離をとる。
ベロニカは、教育係に叱られた子供のようにシュンとしていた。
王太后陛下に注意を受けてその反応は逆にすごい。彼女には恐れ多いとか、恐縮するとか、そういう感情はないのだろうか。
ベロニカが静かになると、続けて王太后陛下は厳しく尋ねた。
「それで。この騒ぎは何です」
「それは──」
「クレメンティーナ様が猫を返してくれないんです……!!」
ベロニカが私の言葉をさえぎって言う。
「猫?」
王太后陛下が訝しげに問い返して、私に視線を移し──
「………………」
絶句した。今ようやく、彼女は私の状態を認識したのだろう。
つまり、一言で言うならこのバッサリいったショートカット。貴族女性ならまず有り得ない髪の長さ。
(そう、よね~~!!驚くわよね……!!)
王太后陛下は、あまりのことに、ベロニカの言葉も忘れポカンと口を開いていた。彼女にしては珍しく隙の多いことだが、それほど衝撃だった、ということだろう。
というか、何の反応もなかったベロニカがおかしいのである。普通、こうなるわよね。
王太后陛下は数秒唖然とした後、ベロニカの騒ぎより私の髪の方が一大事だと思ったのか、震える声で尋ねてきた。
「あな……あなた、その髪は」
「……切りました。王太后陛下」
『みっともない』とか、『早く頭を隠せ』と言われるかと思いながらも、それを覚悟で答える。
貴族社会から見て、この髪が異常であること。
有り得ないことは、クラウゼニッツァー公爵家に生まれ、そしてこの二十一年間、貴族として生きてきた私にはよく分かる。
それでも、その上で、私は髪を切ったことを恥じていなかった。後悔していなかった。
堂々と答えると、王太后陛下はさらに驚いたように目を見開く。
放置された形のベロニカが王太后陛下に訴えた。
「そんなことより、王太后様!」
「そんなこと、ですって!?お前、なんという──」
王太后陛下はベロニカの言葉に目を剥いた。
(お説教かしら……)
貴族女性の在り方、しきたり、不文律を解かれて、怒鳴りつけられてもおかしくない。
それほどのことだ。この髪の長さは。
王太后陛下の反応を予測した私は、私は内心苦笑した。
(……だから、早々に城を発つつもりだったのだけど)
ベロニカに足止めされたとはいえ、まさか王太后陛下とバッティングしてしまうとは……。髪を切ったことによる諸々の反応は覚悟していたが……よりによって、その相手が王太后陛下とはついていない。
(だけどまあ、仕方ないわね。批判も理解した上で、やったことなんだし)
織り込み済み、というものである。
私は、身構えながら王太后陛下を見つめた。
(さーて……なんて言われるかしら)
王太后陛下は、しばらく呆然としていたものの、やがて、ハッと我に返ったように咳払いをした。
「ん、んんっ……。まあそれは今はよいのです。それより、猫の件でしたか」
(ん?んん????)
よい??よい、って仰った……!?今!?
(うっそー)
気のせいでなければ、王太后陛下は私の頭髪を見逃そうとしているように聞こえる。
あの、王太后陛下が、だ。
生きる規則みたいな彼女が、である。
驚きに目を見張っていると、放置されていると思ったのだろう。ベロニカが意思表示をするかのように叫んだ。
「そうです!!クレメンティーナ様がみんなみんな、持って行っちゃった……。おばあ様、どうか助けてください」
「──」
ベロニカの言葉に、息を呑む。
今、彼女。
(おばあ様って、言った!?)
さっき王太后様って呼んでなかったかしら……!!
距離の詰め方がとんでもない。私の髪の長さが常識外れなら、ベロニカの言動は常識の上をいく。
(えっ。今、ものすごく自然に呼んだ……けど、この子)
おばあ様って……おばあ様って!
血縁者でもないのに王太后陛下を、しかも許可なく呼ぶなんて普通恐れ多くてできない。あまりのことに目眩がする。
(市井なら距離感おかしいわね、で終わることでも、ここは王城。そして、王太后陛下は私の知る誰よりも規則に厳しい方……)
結果は、火を見るより明らか、というものだろう。
王太后陛下を見ると、彼女は軽蔑の眼差しでベロニカを見ていた。
「不敬者。そこのお前!この娘を牢に入れておしまいなさい!」
「──!?」
「えっ」
私の驚きの声と、ベロニカの困惑の声が、重なった。