知っているからこそ、迷っている
あの夜の翌朝、宣言通りルーンケン卿は侍女を寄越してきた。
そしてルーンケン卿と合流し、ニュンペーについて話し合った結果、ベルネット伯爵から一時的に領地を取り上げる方向で話が纏まったのだ。
ベルネット伯爵夫妻には子息がおらず、息女もベロニカだけだった。
そのため、縁戚に爵位を継承させることにしたのだが、次期当主は僅か十歳にも満たない幼子だったのだ。
そういった経緯で、一時的に爵位は王家預かりとしたのである。
次期当主が成人したら爵位を継承させる方向で話はまとまり、議会でもそう認められた。
『湖の浄化には……それなりの時間を要します。次期当主に引き継ぐまでの間は、ちょうどいい浄化期間になりそうですね』
何食わぬ顔で言うルーンケン卿を見て、私はある推測が頭をよぎった。
『もしかして、仕組みました?』
『何のことですか?』
『次期当主を推薦されたのはルーンケン卿ですわよね。貴族院はあなたの推薦を受け、承諾したに過ぎない。……幼い少年を推薦したのは、時間稼ぎのためですか?』
私の疑問に、ルーンケン卿は少し驚いたように瞬いたが、それからすぐ、苦笑した。
『人聞きが悪いですね。あの少年を指名したのは、諸々の条件に当てはまるのが彼だけだった、という理由と──そうですね。時間稼ぎ、というのも半分は、あるかもしれません』
くすくす笑う彼に毒気を抜かれた私は、ため息混じりに『そうでしたの……』としか答えようがなかった。
彼は案外、よく笑う。
そして、腹黒い。
何を考えているのかいまいちよく分からないひとだと思っているし、今後も彼の考えを理解することは難しいのだろうけれど。
恐らく、思考の根幹的な部分は、単純なことしか考えてないのではないだろうか、と思う。
そして、私はルーンケン卿に誘われたのだ。
ふたたび、ニュンペーを訪れませんか、と。
それはベルネット伯爵の及ぼした影響を確認するための現地調査と銘打っていたが、彼が気を使ってくれたのは明白だった。
『私もあなたも、長期休暇を切り上げる羽目になったでしょう』
思わぬトラブルに巻き込まれて、余暇を楽しむどころか、仕事に奔走する羽目になった。
その埋め合わせとして、休暇を提案してくれたのである。
先日の、ルーンケン卿の言葉を受けての誘いだったので私は僅かに迷ったのだけれど。
『ニュンペーの猫が、あなたを待っていますよ』
……という言葉で、陥落してしまったのだった。
我ながらちょろい。
いえ、でも。
(だって私、結局猫吸いできてないのよ……!!!!)
猫吸いしようとした直後にルーンケン卿と出会い、そこからはトラブル解決に奔走することになり、猫吸いをするどころか、猫ちゃんと触れ合う時間すらなかったのである。
あの猫島……もといニュンペーに行ったというのに!!
悔しくて悔しくて、ハンカチをギリギリしたいくらいである。
ルーンケン卿の言葉はなかなかに魅力的で、結果、もふもふの魅力に抗えなかった私は、彼とニュンペーにふたたび向かうことになったのだった。
(それに……思考の整理をするのにちょうどいいもの)
今後のこと。
ルーンケン卿の婚約の打診。
この休暇は、答えを出すためのものになるだろう。
(……城に戻ったら、私はお父様の言う通りにするつもりだったわ)
お父様が整えてくれた婚約に従うつもりだった。
だけど──今、迷ってしまうのは。
『あなたは、どうしたいのですか?』
あの夜、彼にそう、尋ねられたから。
今までなら、貴族院の勧め通りに、きっと彼の手を取っていた。
私が王妃であり続けることが、国のためになるのなら、喜んでこの身を捧げていただろう。
私はブライアンに嫌気がさし、彼との関係を断ち切りたかったのであって、王妃であることが嫌になったのではない。
もっというなら、相手がブライアンでないなら、再婚相手の歳がいくら離れていようが、愛人を何十人と抱えていようが、美醜にも拘らないつもりだった。
新たな相手となら、新たな関係を築ける。
もう、ブライアンと新たな関係を結ぶのは死んでもごめんだと思ったけれど、相手がブライアンでないなら、その限りではないのだ。
ふと、その時。
城を出立する際に聞いた、王太后陛下の言葉を思い出した。
『結局のところ、私は未だ、あの時のままなのでしょうね。あの時の感情に囚われている』
私はそっと、自身の胸元に手を当てた。
きっと私も、忘れることは出来ない。
この悪感情。それは生理的な拒絶反応と言い替えてもいいかもしれない。
だけど、これがあるからこそ、私は私の人生を生きたい、と強く思ったのだ。
「…………」
『どうか、責任感や、そうしなければならないから、という理由で決めないでください。立場や肩書きは二の次です。今は、あなたの気持ちを優先してください』
思い出すのは、ルーンケン卿の言葉。
彼はどうして、そこまで私を尊重してくれるのだろう。
(彼の秘密を知ってしまったから?)
私が、彼の秘密を見てもなお、狂わなかったから?
「…………」
その疑問は、すぐに打ち消した。
先日説明してもらったのに疑うのは、彼への失礼になると思ったから。
(未だに信じられないけれど……)
ルーンケン卿は、私のことを見ていたのだろう。それがいつから、なのかは、彼自身分かっていないようだった。
ブライアンの時に抱いた、燃えるような激情は無い。
彼のためなら何でも尽くす、というような、湧き上がる切実さもなかった。
ただ──私は、ルーンケン卿というひとをよく知っている。




