私の代わりにこれをどうぞ
「王妃が長期休暇だと!?そんなの聞いたこともない」
「療養のため、遠方で休む、というのはままある話かと思います」
「療養?きみが?」
鼻で笑うようなその言い方は、まるでクレメンティーナに療養など不要だろうと、でも言いたげな様子だった。それに思うところはあるものの、早く話を終わらせた方がいいと判断し、私はそのまま言葉を続けた。
「既に各所に連絡はしており、細かい調整は終わっております」
「きみが出しゃばったために、政務のほとんどはきみが取り仕切っているじゃないか。それなのに突然放り出す?はっ……責任感に欠けてるんじゃないか?」
(それ、あなたが言います~~~~!?!?)
許されることなら、首根っこを掴んで前後に振ってやりたい思いだった。
あなたにだけは責任感云々を問われたくはない。役割を放棄して、仕事を妃に押し付け愛人のご機嫌を伺うことで忙しいくせに。
そっくりそのまま、その言葉を返してやりたいというものだ。
だけど、こういった場面で感情的になるのは悪手だ。
揚げ足を取られるだけだと、前世の経験から知っている。懸命に爆発しそうな怒りを何とか抑えると、私は陛下を見て、にこやかに微笑んで尋ねた。もっとも、口元はひきつってしまったが。
「……陛下は、私がいないとだめだと仰るのですか?」
その質問に、是とは返したくないのだろう。
だけど、私がいなくなったらあらゆる面倒事が発生する、とでも思ったのか。
やや間を開けてから彼が答えた。
「…………部分的にはそうだ」
ア○ネーターか。
少し考えた私は、妙案を思いついて、少し屈んだ。陛下に分からないようにドレススカートをかき分け、太ももあたりに触れる。
私は普段からガーターベルトを着用している。万が一の時に備え、自決用のナイフを持ち歩いているのだ。
その一本を手探りで取り出すと、それを手に持ち、立ち上がった。
陛下が、私の手にあるものを見てギョッとしたように身を引いた。
刺されるとでも思ったのかしら……。流石に、こんな人目もある城の中でそんな愚かな真似はしない。
(王を殺す代償が人生を棒に振るなんて、見合わないしね)
狼狽える陛下と、控える騎士の剣呑な気配に、私は苦笑した。肩を竦め、彼に言う。
「そう警戒しないでくださいませ。何も、このナイフはあなたを害するものではありません」
というか、殺されてもおかしくないことを私にしている自覚はあるのね……。
苦笑を浮かべながら私はナイフの刃先を、自らに向けた。
(このナイフは、自決用のもの。傷つけるとしたら、それは私以外にいない)
そう思っていると、未だに顔を強ばらせながら、陛下が言った。
「……なら、なぜそんなものを取り出した?」
「それは、ですね。陛下」
私は微笑みを浮かべると──一息に。
長い黒髪を一掴みにし、ナイフを滑らせる。
細い髪を切るのは難しいかとも思ったが、手入れを怠っていなかったのと、髪を束ねていたこと。そして強い力で引いたのが良かったのだろう。
ザク、と重たい音がして、肩が軽くなる。
「──!?」
彼は、想像もしなかったのだろう。
王妃が、貴族女性の象徴たる長髪を切るなど。
ハラハラと、数本の黒髪がカーペットの上に落ちた。
私は、切った長い黒髪をそのまま彼に差し出す。
陛下の顔は、強ばっていた。
「陛下は私がいないとだめなようですので……どうぞ、これを私の代わりに」
つまり、『あなたの嫌った黒髪を私の代わりと思ってね』……という痛烈な嫌味である。
先程から散々嫌味を言われてきたのだ。これくらいの仕返しは許されるだろう。
貴族女性にとって、長い髪は命と言い換えられるくらい、大切なものだ。
髪を切ることは、貴族としての死を意味している。
(……まだ竜が存在したはるか昔。諍いが絶えなかった時は、城が攻められることも珍しくなかった。女主人は自らの髪を切り、それを従者に持たせ、自らの死を知らせたという。貴族の娘が髪を大事にする理由はその辺りからきているのかしら)
そんなことを考えながら、しかし私は髪を切ったことに全く、微塵も後悔していなかった。
しかし、陛下は別なのだろう。
まさか、クラウゼニッツァー公爵家の娘であり、この国の王妃でもある私がバッサリ髪を切ったことに、彼は驚きと、そして恐れを隠せないようだった。
恐れ──一言で言うなら【頭のおかしな人間を見る目】である。
「先日、あなた方の真実の愛を拝見させていただきまして……有難いことに目が覚めましたわ。ですので、王妃、やめさせていただこうかと」