よし!帰ります!
「ッ!?……!?!?」
困惑していると、ルークとケヴィンが私の名を呼んだ。
「クレメンティーナ様!!」
「いえ、大丈夫よ。それよりこれ……」
手探りで、顔にぶつかり──今も尚、張り付いているものに触れる。それは柔らかく、ふわふわとした──そう、猫ちゃんだった。
サビ猫の猫ちゃん。
そしてその子が口に咥えているのは、大きなお肉、だった。
(つまり、ベチャッて言ったのは……)
ボトッと猫ちゃんの口から大きな塊肉が落ちる。
それはタレがついて、かぐわしい匂いのする、生肉だった。
(なまっ……生肉~~~~!?!?)
かぐわしい、というか生臭い。
そうよね、生肉だものね。生臭い匂いがして当然だ。
混乱する私に、男性の声が聞こえてきた。
「申し訳ありません!そちらのお嬢さん、お怪我はありません、か……」
駆けつけてきた男性の声が不自然に止まる。
かく言う私も、猫ちゃんを抱き上げた状態のまま、行動停止した。
(あら?あらら?この声……)
「…………」
「…………」
その場に、奇妙な沈黙が落ちる。
時間が止まった、と思った。
いや、前世で言う時間停止ボタンが押されたのではない。
ただ、単に私はとんでもなく。
そう。とんっ……でもなく驚いただけである。
私はぎこちなく、笑みを貼り付けた。
そして、相対する彼に、笑いかける。
「……ごきげんよう、ルーンケン卿」
彼は、目をまん丸に見開いた。
あら、珍しいこと。
そう思う余裕もなく、彼が答えた。
「王妃……陛下……?なぜ、ここに」
そこにいるのは、私の友人、ルシアの兄であり──財務大臣を担当しているルカ・ルーンケンである。
☆
ひとまず、ここでは目立つということで私たちは大通りの先の牧場へと移動することになった。
牧場に併設されているカフェに入り、テラス席に座る。
ケヴィンが注文を取り、ふたり分のアイスティーを手に取って帰ってきた。
小さなラウンドテーブルを挟むように座ると、ルーンケン卿が話を切り出してきた。
「なぜ、王妃陛下がここにいらっしゃるのですか?」
「ここではクレメンティーナと呼んでくださいませ。立場が露見しては困りますから」
苦笑すると、彼も理解したのだろう。頷いて答えた。
ルカ・ルーンケン。
ルシアの兄で、若くして公爵位を継いだルーンケン公爵だ。
ルシアと同じ銀の髪に蜂蜜色の瞳。長い髪を後ろでひとつにまとめ、左目下には一点のホクロがある。
私は、彼のことが──
ひっじょ~~~~に苦手だった。
実は、仄かに想いを……!なんて裏設定はない。
普通に、裏表なく、彼が苦手である。
しかしそれも当然というものだろう。
何せ彼は、私の教育係(仮)だったのだから。
内心ため息を吐いて、三年前に記憶を遡らせた。
三年前。
陛下に委任されて書類と向き合った時。
ひたすら続く数字の羅列に、頭がパンクして知恵熱を出し、倒れたことがあった。
(そりゃーそうよ!!前世ならいざしらず、今世の私は王妃教育を受けたといっても、それはあくまで教養の範囲内。実践レベルの算術まではやらないわよ!!)
もー無理。
このまま実家に帰らせていただきます、と思ったその時。
助けてくれた──わけはなく。
嫌味を言ってきたのがこの男である。
嫌味よ?嫌味!!
右も左も分からない哀れな少女に出した手は、救いの手ではなく、追放の手であった。
つまり。
『お帰りください』
『へ?』
『ですから、お帰りください、と言いました。ここにはあなたのすることはありません』
と、まあ、こんな感じでバッサリザックリ、忖度なしのダガーナイフをぶっ刺してきてくれたのである。
で、その後私が大人しく『よし!帰ります!後はよろしくね☆』と言ってスタコラサッサと逃げ帰ったかと言うとそうではなく。
私は元々負けず嫌いな性格なのもあり、噛み付いた。いや、食いついた、というべき?
つまり、
『することは、あります!』
『王妃陛下に何ができると?』
……これ、今思い返すとだいぶ腹の立つ発言である。
王妃相手になんて不遜な言葉なんだ。
だから陛下と仲が悪いのだと思う。
『それはあなたが教えてください』
と、その後『嫌です』『そこをどうにか』的なやり取りを延々と繰り返し、最終的に彼が折れた。
ルーンケン卿の気持ちも、もちろん分かる。
陛下が仕事を投げ出したと思ったら、代わりにやってきたのは使えない王妃。
彼もやってられっかよ!!と思ったことだろう。
そうよね。同じ立場なら私もそう思う。
だが、それはそれとして私も必死だったのだ。わかって欲しい。
そういうわけで、あまりに私がしつこく、頑張ります!やる気だけはあるので!と使えない新入社員のごとく粘った結果、彼は私に教えてくれるようになったのである。
ただし、スパルタ。
それからの日々は……まあ、あまり思い出したくない、ということで割愛。
そういうわけで、彼は、私の(執務の)恩人でもあるけれど、同じくらい私は彼が苦手なのである。
ルーンケン卿は、私が3年前に思いを馳せているとは思いもしないのだろう。
膝を組み、静かに言った。随分な余裕である。
とても可愛らしい髪留めをしているくせに。
「では、今はクレメンティーナ様と呼ばせていただきます。それで、あなたがここにいる……ということは、例の噂は事実ということでよろしいのでしょうか?」
話が早い。恐らく、もう情報を得ているのだろう。恐らく、私が離縁届を貴族院に提出した、ということを彼は知っているのだ。
私はにっこり笑った。
沈黙で、肯定を示してから、彼に尋ね返す。
「ルーンケン卿はなぜこちらに?」
「それは──視察」
「では、ありませんわよね。そのヘアピン、とても可愛らしいですわね。どこで買われたのです?」
私は、彼の言葉を遮るようにして言った。
彼の柔らかな銀髪を抑えるように、彼の前髪には猫ちゃんを模した髪留めがあった。
にゃ~ん、とどこからか猫の鳴き声が聞こえた気がした。




