コースからドロップアウト
王太后陛下は、昔を懐かしむようにしながら言った。
「さっきの……ベロニカの言葉は事実よ。私は夫に顧みられることはなかった。それを、あなたに重ね合わせていた」
「王太后陛下……」
王太后陛下の夫、つまり前々国王陛下。
彼は色を好む豪胆な性格で、愛人を何人も抱えていたという。
(前々国王陛下は早逝されたけど……。愛人から移された性病が原因ではないか、というのは有名な話なのよね……)
沈黙していると、王太后陛下が苦笑した。
「あなたと私は、別の人間なのにね。だけど、ブライアンにいいようにされるあなたを見ていると……まるで過去の私を見ているようで、腹が立って仕方なかったのよ」
彼女は、肩を竦め、大きく息を吐いて、言葉を続けた。
「だから、あなたたちの諍いにも極力関わらなかったわ。私の時は、誰も助けてくれなかったもの。あなただけ助けてくれるひとがいるのは狡いじゃない……そんなふうに思っていたわ」
何と、言葉を返せばいいか分からなかった。
『お辛かったですね』?
『お気持ち、よく分かります』?
『そう思うのも、仕方ないですよ』?
どれも、その場しのぎの言葉に聞こえるし、どれも、正解とは思えなかった。
上辺だけの慰めなど、彼女も求めていないだろう。
彼女は苦笑すると、肩を竦めてみせた。
「結局のところ、私は未だ、あの時のままなのでしょうね。あの時の感情に囚われている。どうして私だけ、という呪いにね」
「…………」
「だからあなたを羨ましいと思ったの。眩しい、ともね。……私にも、あなたのように髪をバッサリ切ってしまうくらいの気概があれば良かったのだけど」
「……私は、貴族として、妃として、完璧を演じられませんでした。だから、途中離脱するだけです。コースからドロップアウト。……一番心が軽くなる手段かと思いますが、責任感が欠如している、と言われたら確かにその通りです」
私は苦笑して答えた。
私は、私の過失を一番理解している。
私は王妃として、パーフェクトではなかった。
目の前のことに囚われて周りが見えなくなっていたし、何もかも後手に回ってしまっていた。
つまり、私は王妃という役割を演じるには力不足だった、ということだろう。
私の言葉に、王太后陛下は微笑んだ。
眩しいものを見るような──つい先程。
私が向日葵を見たような目で。
「……ドロップアウトするのも、なかなか勇気のいることだと思うわ。特に、あなたや私のような立場の人間がするにはね」
「お褒めの言葉と受け取らせていただきます」
「ええ。そうしてちょうだい」
王太后陛下はそういった後、ふと思い出したように私に尋ねた。
「……そうだわ。猫は元気?あなたがベロニカから譲り受けた」
先程ベロニカが返して返してと騒いでいた猫たちだ。
王太后陛下の言葉に、私は笑みを浮かべて返す。
「ええ、元気ですわ。クラウゼニッツァー公爵邸で可愛がられているようです。特に、兄に懐いているようで」
「そう。元気ならいいの」
彼女の言葉に、もしかしたら彼女も彼女なりに、猫たちを心配していたのかもしれない、と気が付いた。
私はふたたび、ロイヤルガーデンに視線を移す。
(……ここは、私が前世の記憶を取り戻した場所)
ここでベロニカと陛下は愛を語らっていた。
去年の十月。
コスモスの花が見頃の季節に──陛下が、私のために植えた、と仰ったコスモス花壇。
そこで彼は、彼女と──。
「…………」
少し思い出して、苦笑する。
あの時の胸の痛みは、きっと、私が大事にしていた、大事に思っていたコスモスの花壇の前で、行われたことだからだ。
愛を語らう男女の姿に、私は言葉を失った。
ちょうどその頃は、ベロニカがあちこちから拾ってきた猫がロイヤルガーデンに居着いてしまい、困っていた時だった。
外は危険が多い。猫を飼うなら室内に入れた方がいい。ベロニカは猫たちを拾ってくるとロイヤルガーデンに放つだけ放って、あとは放置だった。
餌を求めた猫たちはロイヤルガーデンを荒らすようになり、粗相もするようになった。
だから、私は侍女や騎士と手分けして猫を一匹一匹捕獲して回っていたのだけど。
最後の一匹──茶トラ猫のウィルを捕まえた、その時。
少し離れたところから、ひとの声が聞こえてくることに気がついた。




