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虚空に咲く樹  作者: シンドゥー


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8/8

「歴史とは、語られたことの中にのみ存在する。」

ドクン ドクン ドクン

心臓の鼓動が強すぎて、全身が大きく揺れる。

これほどまでに心臓が鼓動するのは緊張か、それとも恐怖か。

何にせよこの後の出来事こそが自身の心を揺らしているのは確かだった。


図書館に2人は今日の講義で使われたレジュメを取り出し復習を始める。


束の間の時間が過ぎた頃早矢が席を立った。


「律、ちょっと飲み物買って来る。」


律は視線を送り、目で合図した。

早矢が図書館を出る。ポケットに入っているカードが気になるようで少し忙しない。


あたしも早矢に付いていくために席を立つ。図書館を出る前に一度振り返り律を見る。


真面目で優しいあたしの親友。この頃の律は今と比べるとまだ幼い感じする。でもあたしへの優しい表情は変わらない。


僅かだけど緊張が解けた気がする。


「ありがとう」


届きはしないけど、あたしは感謝を述べた。


早矢は1番近くにあるコンビニとは逆方向に歩き出していた。


当然、止めることはできない。

あたしはただ、少し後ろを歩いた。

過去に干渉することは誰にもできない。でも見届けることはできる。あの頃のあたしが何を考えていたか、今のあたしにはもう分かる。ポケットの中で景彰先生のカードを握りしめながら、早矢はまだ自分に言い訳をしている。

——飲み物を買いに行くついでに、ちょっと見に行くだけだ。

そう思っていた。本当に。


早矢の足が止まったのは、本館から離れた研究棟の裏手だった。

人気がない。街灯が一本、心もとなく灯っている。

目の前に、重い鉄扉があった。

表面には錆の筋が走っていたが、扉そのものは分厚く、継ぎ目がなかった。取っ手もない。中央に、カードリーダーが埋め込まれていた。その横に小さなプレートがある。

西蓮大学 禁書庫

立入禁止 関係者以外の入室を固く禁ずる

早矢はしばらく、その扉を見つめていた。


ポケットからカードを取り出し、カードリーダーにかざした。

ピッ、という短い電子音。

赤いランプが点灯した。

もう一度。

赤。

「……そっか」

早矢は小さく呟いた。落胆でも、安堵でもない声だった。

問題を前にした時の声だった。

カードリーダーの横に、もう一つパネルがあった。指紋認証と、暗証番号の入力欄。カードだけでは足りない。複数の認証が必要な設計になっていた。

早矢はカードをポケットに戻し、扉の周囲を一周した。

監視カメラが一台。角度は扉の正面をカバーしている。死角は扉の右側、壁との隙間。

電源はどこから来ているか。建物の配電盤は——本館との接続を見ると、研究棟全体が同じ系統に繋がっている。

早矢は空を見上げた。夜になれば、人はいなくなる。


「電気、落とせばいいのか。」


誰に言うでもなく、呟いていた。

停電中はカードリーダーも指紋認証も動かない。監視カメラも落ちる。手動解除になる——いや、手動解除すら、緊急時以外は機能しないかもしれない。それでも。

でも、緊急解除レバーがあるはずだ。法律上、緊急時の脱出経路は確保しなければならない。つまり内側からは開く。ならば外からこじ開ける方法が——


「あたし、何考えてんだろ」


早矢は笑っていた。


おかしかった。飲み物を買いに来たはずが、気づいたら不法侵入の計画を立てていた。

でも、笑いながらも、足は動かなかった。

扉を、もう一度見た。

250年前の記録。"天界"が隠している世界の真実がこの奥にはある。

それだけは確かだった。


あたしは、その時の自分の顔を覚えている。

怖かった。本当に怖かった。

それでも引き返さなかったのは、恐怖より好奇心が勝ったからじゃない。

景彰先生の声が、頭の中にあったからだ。

——知ることは代償を伴う。真実は往々にして秩序を壊す。それでもか?

面白そうじゃないですか、と答えた日の自分を、あたしは今でも覚えている。

その言葉の重さを、あの時のあたしはまだ何も知らなかった。


早矢は扉の前に一度だけ立ち止まり、それから踵を返した。

コンビニに向かって歩き出す。

今は無理だ。準備がいる。

配電盤の場所。警備員の巡回時間。非常用の解除機構。

——深夜にもう一度来よう。

ポケットの中で、景彰先生のカードを握り直していた。


早矢はコンビニで缶コーヒーとジュースを買い図書館に戻った。


「お待たせ律、はいコーヒー。」


「ありがとうございます。随分時間がかかりましたね」


「ちょっと遠回りしちゃって。」


律人がこちらを見た。一秒だけ。

それから缶を受け取り、また資料に目を落とした。

律人は何も聞かなかった。あたしも何も言わなかった。

2人で黙って復習を続けた。図書館の閉館時間まで、いつも通り。


夜の9時を過ぎた頃、律が荷物をまとめながら言った。


「送ります。暗いなか1人で危険ですので。」


「いいよ、一人で帰れるって。」


「分かっています。それでも送ります」


有無を言わせない声だった。早矢は笑って頷いた。

2人で夜道を歩いた。街灯の光が水たまりに映っていた。

律は歩きながら、静かに言った。


「早矢疲れてますか?」


「うん、レポートも書かないといけないし、明日はバイトがあるし大変!」


「無理はいけませんよ。」


早矢は律の横顔を見た。

真っ直ぐ前を向いたまま、律は続けた。


「早矢は時々、一人で全部抱えようとする。昔からそうです」


「そんなことないよ♪」


「……そうですか、」


律はそれ以上何も言わなかった。

アパートの前に着いた。


「じゃあまた明日、律。ありがとね。」


「おやすみなさい。早矢」


律が歩いていく。角を曲がって、見えなくなった。

早矢は部屋に入った。あたしも早矢に続いて部屋に入る。

部屋は散らかっているが、律が定期的に掃除してくれるためこれでも綺麗なほうだった。

ベッドの上にはぬいぐるみが沢山並んでいる。あたしは今でもお気に入りのものを見つけると集める趣味がある。

あたしとしてはここ数年間で趣味や性格が変わったと思ってたが、こうして過去を見てるとあまり変わっていないかもしれない。

早矢は鍵を閉め、鞄を下ろし、コートも脱がずに、壁にもたれていた。

そしてポケットの中のカードを取り出した。それを舐め回すように観察する。

表には景彰先生の名前が入っている。

西蓮大学 准教授 九条景彰

パット見特別なカードには見えない。身分証明書と言われればそう見えるくらい普通のカードだ。

ただこの時の早矢はこれが禁書庫を開く鍵だと確信していたのだ。

早矢の口角がニヤリと上がる。


時刻は22時14分。

警備員の巡回は、正門を22時に一周して研究棟の裏手に回るのは22時40分頃だった。次の巡回は深夜1時。

配電盤は研究棟の東側、非常口の隣。

扉の緊急解除機構は——外からは無理でも、停電時に一瞬だけカードリーダーの補助電源が切り替わるタイムラグがある。その数秒でカードをかざせば、認証が通るかもしれない。通らないかもしれない。

やってみるしかない。

早矢は立ち上がり、道具を持ち西蓮大学に向かった。


深夜の西蓮大学は昼間とは違い異彩な空気が漂っていた。人がいるという安心感がどれほど人の心を落ち着かせるのか理解できた。

早矢は深夜の闇に恐れる事なく歩みを進める。

好奇心は猫を殺す

そんな言葉があるが正に好奇心は時に恐怖を打ち消すほどの力を持つのかもしれない。


研究棟の裏手に到着した。

鉄扉が、暗闇の中に立っていた。監視カメラの赤いランプが静かに点滅している。

早矢は扉の右側、壁との隙間に滑り込んだ。死角。昼間に確認した場所だった。

それから配電盤まで戻って蓋を開けた。

ブレーカーが並んでいた。研究棟全体の電源系統。

あたしは手が震えていた。

武者震いか、嫌、違う。怖いだけだ。知っているからこそ怖いのだ。


それでも早矢は、笑っていた。

景彰先生の声が頭の中にあったから。

——それでもか?

「面白そうじゃないですか。」

声に出して言った。誰もいない暗闇に向かって。

ブレーカーを落とした。

研究棟の灯りが、一斉に消えた。

監視カメラのランプが消えた。

早矢は走りだした。


扉の前に立つ。カードを取り出す。カードリーダーの画面は暗い。補助電源に切り替わるまで数秒——

ドクン、と心臓が鳴った。

画面がぼんやりと点灯し始めた。

かざした。

ピッ。

一瞬の沈黙。

緑のランプが、点灯した。

重い鉄扉が、ゆっくりと開いた。


あたしは今でも、あの瞬間を覚えている。

扉が開いた音。冷たい空気が流れ出てきた感触。

引き返すなら今だった。

でも早矢は、一秒も迷わなかった。

それが、全ての始まりだった。


禁書庫の中に入り最初に抱いた印象は異世界にある古い遺跡のような雰囲気だった。電気による明かりはなくどこからともなく差し込まれる月光が辺りを照らしている。

早矢はテーマパークに来た子供のように楽しそうに周りを散策していた。本棚と思わしき物が散乱しているが本はなく、錆びつき苔が生えておりあまり触りたくない。

外から見た時は小さい小屋に思えるが、実際に入ってみると体育館のような広さがあった。今にして思えば"天界"が所有する何かしらの技術が使われているんだと思う。

それにしても一度来た事あるはずなのに初めて来たような感覚だった。

禁書庫に封印されていた一冊の本。その内容もほとんど覚えていない。

ここに来て違和感を覚えた。

あたしはかつてここに来て禁書を読んだ。そのせいで景彰先生が…


早矢が中央の台座の上に置かれた本を見つけた。

禁書だ。


(タイトルはそう…)


「日記」とだけ書かれていた。

早矢は物怖じせずページをめくる。


『西暦2049年 4月12日

大規模な戦いが始まり俺も徴兵された。今は戦地と向かう戦艦の中だ。俺は今日からこの戦争について記載しようと思う。後世の人がこれを読むことを考え、一応名前も残しておこう。

俺の名前は天理赫天ただの一般人だ。

早速何か書こうと思う。当然だか兵士の顔は暗い、死にたくないからだ。戦争はなんて愚かなものなんだろう。』


日記は天理赫天のものだった。彼は後に世界を統べ今の世界を作った人だ。

あたしの中で消えていた記憶が漸進的に思い出されていく。


『西暦2049年 4月19日

初めて人を撃った。

当たったかどうかも分からなかった。煙の向こうに人が倒れていた。俺が撃ったのかもしれないし、隣の奴が撃ったのかもしれない。

分からないままでいたい。』


『西暦2049年5月15日

死への恐怖感は今だ薄れる事はないが、敵を殺すこと、仲間が死んでいくことには慣れてきた。

一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ。

こんな言葉があるが、その通りだと思う。最初こそ人の死に感情が揺れてたが。今の俺にとって死は記録にすぎない。

自分がだんだんと変わっていく。でもそれを止めることはできない。人の持つ適応能力は斯くも恐ろしいものだ。』


『西暦2049年6月5日

戦友いや、親友と呼べる仲間達ができた。俺は先日の戦いで足を撃たれ動けなくなり戦場のど真ん中にいた。彼らはそんな俺を見捨てず助けてくれた。その後も

蛮勇。そんな言葉がお似合いの連中だ。

だけど——彼らといる時だけ、俺はまだ人間だと思える。感情が死んでいく中で、笑える気がする。

7人いる。全員、頭がおかしい。戦場で笑える奴らだ。だから好きだ。

名前を書き残しておこう。いつか忘れてしまわないように。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』


戦友達の名前は塗りつぶされ読むことはできなかった。何か意図が合ったのかもしれないが今の早矢にそれを知る術はなかった。


『西暦2049年 10月2日

戦争が終わらない。

何のために戦っているのか分からなくなってきた。

ただ——仲間のそばにいたい。それだけが残っている。

感情の残骸が、それだけだ。

この戦争を止めたい。本気でそう思う。

でも俺一人には何もできない。

悔しい何で俺には力がないのか。

何でいい神でも、悪魔でも俺に力を寄越せ。』


『西暦2049年 10月16日

ついに□□□□□が核ミサイルを使い始めた。それだけじゃない民間人をも巻き込む無差別攻撃を始めた。日夜核兵器が飛び交っている。

もう人間1人がどうにかできる状態でもない。戦友達の顔も暗くなってきた。守るために戦ってきたのにその家族や大切な人も生きているか分からない状況だ無理もない。神がいるならなぜ助けてくれないのか、腹が立つこの世界の全てが。』


『西暦2049年 10月20日

最近声が聞こえる、寝ている間俺に話しかけてくる奴がいる。

力が欲しいなら全てを差し出せと。

相手が何なのか、うまく説明できない。形がなかった。声もなかった。でも確かにそこにいた。

俺もいよいよ気がおかしくなったのだろう。』


『西暦2049年10月31日

俺に囁き続ける悪魔に全てを捧げるからこの戦争を止める力を寄越せと言ってしまった。奴の言い分が正しければ契約をしたのだろう。しかし何が起こった分からない。1つ変化があるとするなら鏡で見た自分の頭の上に7つの宝石がついた王冠があるのが見えた。幻聴だけではなく幻覚まで見えるようになったのかいよいよ来るとこまで来てしまった。』


『西暦2049年11月3日

朗報だ。俺は特殊能力が使えるようになった。悪魔と取引が成功したのだろう。空気、水、火、俺が命令したものは何でも操れるようになった。限度はあり最大でも7つまで同時に操れる。まるで世界を支配する王にでもなった気分だ。

この力があれば世界を救えるんだ。

だけど少し怖い。俺はこれから今まで以上に人を殺す事になる。一度戦友達に話てみよう。』


『西暦2049年11月4日

話した。7人全員に。

夜中、誰もいない場所に集めた。正直に全部話した。悪魔と取引したこと。力を手に入れたこと。これを使えば戦争を終わらせられるかもしれないこと。

笑う奴はいなかった。怒る奴もいなかった。

全員、俺の目を見て黙っていた。

一番長く黙っていた奴が、最初に口を開いた。

「お前が死ぬよりはいい」

それだけだった。』


『西暦2049年 11月5日

俺は彼らに力を分け与えた。人の身を超越する力を。皆が力に馴染む頃合いである1週間後に世界を殲滅する。

戦友達が一緒にいてくれるというのに怖い。

いやこれが正しいんだ。戦争を終わらせるために人を殺して国を潰す。それが正しい、間違いないんだ。』


『西暦2049年 11月12日

いよいよ世界に侵攻する日だ。負ける心配は全くしていない、それほどまでに俺たちの力は凄まじい。

さあ始めよう、正義の戦いを聖戦を』


『西暦2049年 11月20日

聖戦は非常に順調だ。俺たちの力は人類の科学では太刀打ちできない。

もどかしいな最初から悪魔と契約してれば良かった。

あと一ヶ月もすれば世界を統一できる算段だ。楽しみだ早く俺たちの楽園を平和な世界を作りたい。

ただ一つ俺の中に残ってるか僅かな良心が、人を殺す事を躊躇っている。夢へと近づく高揚感と人殺しによる罪悪感で呼吸がしづらい。

戦友達もこんな気持ちなのか?それならこんな事に付き合わせたのは間違いだったのか。こんな思いは俺だけが背負うべきだったのか?』


『西暦2025年 12月25日

終わった。長い戦いがついに終戦を迎えた。大国のほとんどは滅ぼし一部の国は俺たちに降伏した。

爆発音がしない。銃声がしない。

静かなのに、耳鳴りが止まらない。

死にゆく人たちの顔、言葉にならないほどの悲鳴。


まだ休むわけにはいかないこれから世界を再創生するのだ。戦友達とこれからについて話したいが皆様子がおかしい。嫌な予感がする。こういう時は大抵ろくな事が起きない。』


『西暦2049年 12月29日

嫌な予感は的中してしまった。戦友達は力の代償で体が酷く衰弱していた。俺の力で無理やり延命処置はできる、だが彼らのほとんどがそれを望んでいなかった。人を多く殺した罪悪感、守るたかったがなくなり生きることを拒絶している。俺がみんなに生きて、なんて言えない。』


『西暦2049年 12月31日

戦友達は一人を残してみんな旅立った。

友がいない部屋の中で思い出す。

滅ぼした国の数。殺した人間の数。

これが正義の戦いだったのか。世界を救うための聖戦だったのか。

もうわからない。だけど止まることはできない。

奪った命、友の意思、そして自分自身の全て。

俺はこれに報いらなければならない。

俺はいや私はこの世界を統べるものになり永遠なる繁栄をそして平和を実現すると誓おう"星の王"である天理赫天の名の元に。』


『西暦2050年 1月2日

新たな世界秩序の構築を開始する。

天界と地上。二層構造による統治体制だ。

力ある者が上に立ち、秩序を守る。力なき者は地上で生きる。これは差別ではない。機能による分類だ。

私はそう定義する。

——いや。

この日記には、正直に書こう。

本当のことを言えば、こんな世界を作りたかったわけではない。ただ、これ以外の方法が、私には思いつかなかっただけだ。』


『西暦2051年 1月8日

世界統一から一年が経った。

各地で反乱の芽が出ている。当然だ。

力で抑えた秩序は、力でしか保てない。

鎮圧した。容赦なく。

王とはそういうものだと、私は学んでいる。

かつての私なら、この判断を躊躇っただろう。

だが今の私は躊躇わない。

それが良いことなのか悪いことなのか、もう考えない。考えることをやめた日から、統治は安定した。

敬愛より畏怖を

私は愛されるより恐れられる事を選ぶ。』


『西暦2053年 4月12日

徴兵されてから、四年が経過した。

あの戦艦の中で日記を書き始めた日のことを、時々思い出す。

死にたくないと書いた。戦争は愚かだと書いた。

あの頃の私が今の私を見たら、何と言うだろう。

——おそらく、何も言わないだろう。

言葉が出ないほど、遠くに来てしまったから。

それでも私は、止まらない。

止まる理由など、もうどこにもない。』


『西暦2053年 9月2日

この日記を閉じる。

王に日記は不要だ。記録すべきことは、歴史家に任せればいい。

ただ最後に一つだけ書く。

誰かがこれを読んでいるなら、問いたい。

——その世界は、正しいか。

私が作ったこの世界は、正しくない。だが私には、これしかできなかった。

そして——世界の真実を知ってくれ。

天理赫天 記す』


早矢は日記を閉じた。

しばらく、動けなかった。

最後のページを読んでいる間、月光が揺れていた気がした。風が入ってきたわけでもないのに。

台座の上に日記をそっと戻した。

手が、震えていた。

——天理赫天。

前半と後半で、文章が変わっていた。

最初は「俺」だった。戦場で怖くて、仲間が好きで、感情が死んでいく自分を恐れていた青年の言葉だった。

最後は「私」になっていた。感情を隠すことを覚えた王の言葉だった。

同じ人間が書いた日記とは、思えなかった。

でも——最後まで、彼は書き続けた。

誰かに読まれることを、信じて。

その先を、あたしは考えないようにした。今は、まだ。

早矢は禁書庫を出た。来た道を戻り、ブレーカーを元に戻した。監視カメラのランプが再び点滅し始めた。

深夜の大学は静かだった。

歩きながら、早矢はずっと俯いていた。

あたしには分かる。あの時の早矢が何を感じていたか。

怖かったんじゃない。

悲しかったんだ。

英雄だと思っていた人間が、怖くて悲しくて、それでも誰かのために動いて、最後には感情ごと自分を殺した人間だったと知って——その重さに、どう向き合えばいいか分からなかった。

好奇心で来た。

でも帰り道には、好奇心じゃない何かを抱えていた。

景彰先生の声が、また聞こえた気がした。

——知ることは代償を伴う。

早矢はポケットの中のカードを握った。握ったまま、歩き続けた。

目の前に映る空は夜が明け陽光が顔出していた。



私たちが“真実”だと思っているものの多くは、

誰かが語り、誰かが選び取った物語にすぎない。

だからこそ大切なのは、

語られなかった声に耳を澄ませ、

自分自身で確かめようとする姿勢だ。

他人の語る物語を生きるのではなく、

自分の言葉で“語られる側”になれ。

その瞬間から、あなた自身の歴史が始まる。

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