「歴史とは合意された嘘の集まりである」
西蓮大学の図書館は、いつだって厳格で静まり返っている。微かな音すら許されない、そんな場所。
でもあたし、桐生早矢は、そんな雰囲気なんてお構いなしだった。最近は本屋を巡り、世界統一戦争から今に至るまでの歴史についての本を探っていたが成果がなく、仕方なく図書館に頼る事にした。
西蓮大学は考古学や歴史研究において最先端であり、ここなら間違いなく重要な情報が得られると思った。
じゃあなんで最初から図書館を利用しなかったのか、それはあたしが研究室のメンバーや司書の人達に嫌われているからだ。
あたし自身はあまり気にしていなかったが、楽しい雰囲気のない空間にいるのは嫌だった。
「木梅さん!亜神戦争に関する資料ありませんか〜?できれば当時の手記のコピー品とかがいいんですけど。」
木梅さんは作業を止め老眼鏡越しにこちらに振り向いた。
「桐生さん図書館では静かにね。当時のならありますよ、数は少ないですけどね。持ってくので少し待っててね。」
「ありがとうございます!! あ、」
ついつい大きな声を出してしまい、咄嗟に口を塞ぐ。
木梅さんは反応せず奥の部屋に入っていってしまった。
待っていること5分、来客が来た。
「珍しいですね早矢もいるなんて。」
いつも通り一寸の乱れもなく整えられた髪と清潔を体現したかのような綺麗な服を着ているあたしの親友ー白峯律人。
「律も来たんだね!資料は集まった?」
「ええそれなりに順調です。それと早矢周りの迷惑になるので少し声のボリュームを下げてください。」
「わかってるよ〜♪そういえば聞きたいことがあったんだ。慧悟先生が言ってた。監視システムの対策って結局何すればいいのあたし達?」
「それに関しては私が先日質問してみたんですが、『一先ずは俺の方で何とかしておくから君達は気にする必要はない』らしいです。」
「オッケー♪」
律と話していると木梅さんが部屋から出てきた。
「それでは私はこれで。早矢また会いましょう。」
「バイバイ律またね〜。」
あたしは親友に目一杯手を振りキリッとした背中を見送った。
「閲覧可能な資料はこれくらいかしらね。」
木梅さんが持ってきてくれたのは亜神戦争に参加していた兵士の日記(現代で複製されたもの)と当時の政治評論家が亜神戦争時代の社会情勢を書き記したものだった。
「まあこれも原本に比べて"天界"で修正されてるからどこまでが事実か分からないけどね。」
世界が統一されてから、立役者である赫天とそれを支えた一部の人々や企業は政治において強い立場を持ち後に"天界"と呼ばれた。いわゆる上級国民や貴族と呼ばれるものになったのだ。
"天界"は自分達に都合が悪い事は隠蔽する事が多く、今世界に伝わっている歴史は真実かどうか不可思議になっていた。
「そんな事今さら気にしても仕方ないですよ!資料ありがとうございます!」
あたしは、資料を持ってすぐさま離れた。
なぜなら、律の資料が集まってきている話を聞いて、あたしもいち早く取り掛からないという気持ちがあったからだ。そしてもう一つ。
「木梅あなたまたあの子を手伝ったの? あの子が何したのか知ってるの? もうやめなさいよ」
背後から聞こえてきた声に、あたしは足を止めた。
(……ああ、またか)
あたしが関わると、木梅さんが嫌な思いをする。
資料を抱えながらいい感じの場所を探す。
時折すれ違う同じ研究の仲間があたしのことをジロジロ見てる気がしてしまう。嫌われている自覚があるとはいえ自意識過剰なのはわかっている。だけどどうしても意識してしまうのだ。
まあ、考えても仕方ないので適当に席を見つけて座り資料を広げる。
まずは亜神戦争に参加していた兵士の日記を手に取る。
亜神戦争とは約250年前に起きた戦争だ。世界統一戦争を終え、赫天が世界を一つの秩序のもとにまとめ上げた直後のことだった。人間の中に、突然変異が現れ始めたのだ。
皮膚が硬質化する者。
重力の影響を受けにくい者。
常人には見えないものを見る者。
人々は彼らを「亜人」と呼んだ。亜人は最初こそ受け入れられたものの"天界"の排他的思考と社会的問題が重なった事によって最終的には戦争へと発展してしまった。戦争は二年続いた。公式記録では、天界側の圧倒的勝利。
けれど兵士の日記に書かれている事は少し違った。
『戦争は我々の勝利に終わった。ほとんどの亜人は戦死し生き残りのほとんどが"冥下"に逃げ込んだ。だが亜人どもの将軍である"祝福の星"は今だに我々の脅威として君臨している。聞いてた話違う□□の持つ□□□と□□□である赫天様がいる限り我々は、』
文章はここで途切れていた。
日記には一通り目を通したが、ここだけが公式記録と異なっており他のところに目星情報はなかった。勿論"沈黙症状群"に関する情報もほとんどなかった。
("祝福の星"……)
"星"―
この世界には、時折そう呼ばれる人物が現れる。
"黎明の星"——慧悟先生。
最高峰の研究所「理」が認めた、天才の証。
"災焔の星"——玲火さん。
武道の世界大会三冠を達成した、圧倒的な強者。
でも、"星"という呼び方は、公式の称号じゃない。
"天界"が認定したものでもない。誰かが言い出したわけでもない。気が付けば人は彼らをそう呼ぶのだ。
"星"を表す有名な言葉がある。
——暗闇の中で道標を探す時、人は空を見上げる。
それと同じように、あまりに強大で、あまりに異質な存在は、人々の目に希望の光か、あるいは滅びの凶兆として映る。
どれだけ目を逸らそうとしても、網膜に焼き付いて離れない。
その絶対的な『格』の差が、彼らを地の人間とは切り離された、天よりも高く浮かぶ"星"へと押し上げるのだ。
そこまで考えてあたしは思い出した。祖母が言っていた言葉を。
「昔々、空には無数の星が輝いていたんだよ」
祖母はそう言って、夜空を見上げた。
でも、今の空に星はない。
光害のせいだと言われている。
「人は、見えなくなったものに名前をつけるんだよ。忘れないために」
——もしかして。
"星"という呼び方は、"失われた星空"の代わりなのかもしれない。
人々が心の中で、闇を照らす光を求めた時。
誰かの圧倒的な力や存在が、まるで星のように輝いて見える。
だから、その人を"星"と呼ぶ。
…どれほど考えようと推測でしかないがあたしの中で"星"という存在を少し理解できたかもしれない♪
結局この日記からは"祝福の星"は亜人の将軍である、ということしか分からなかったが。
それでも間違いなく有益な情報はあった。
(よし!次に行こう!)
あたしは次の資料に手をかけた時。
「ねぇなんであんたがここにいるの?私さ、前言ったよね?私達みたいなか弱い女性からしたらあんたみたいな犯罪者怖くて勉強どころじゃないから来んなよってさ。」
背後の声は、図書館の静けさに刺さる。言葉は刃のように鋭く、私の肩越しに通り過ぎた。顔を上げると、訝しげに私を睨む女性研究者。たぶん同じゼミの誰かだ。顔は見知っているけど、あんまり仲良くはない人。
「え? 犯罪者って誰のことかな♪」
「チッ…キモ」
おそらくまだ何か言っているが、私は笑って手を振った。
――無自覚でいるのが性分なのだ。誰かが怒っている理由を、深く詮索する前に、目の前のページが私を捕まえる。
政治評論家の本『亜神戦争と社会構造の変遷』
パラパラとページをめくる。
冒頭は、赫天の統一事業の賛美で埋め尽くされている。典型的な"天界"寄りの論調だ。
(……つまんないな)
あたしは読み飛ばそうとした。
でも——
ある章のタイトルに目が止まった。
『第七章:戦後社会における"感情の喪失"現象について』
(……感情の喪失?)
あたしは身を乗り出した。
『亜神戦争終結後、奇妙な社会現象が観測された。戦争に参加した兵士たちの多くが、帰還後に"感情の平坦化"を訴えたのである。当初、これは戦争によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の一種と考えられた』
『しかし、興味深いことに、この症状は兵士だけでなく、戦場に行ったことのない市民にも広がっていった。これを受け"理"による本格的な調査が始まった。報告によれば特別な疾患ではないという結論に至った。ここまでが"天界"による公式記録である。』
『ここからは私の持論になってしまうがこの現象は何か恐ろしことが起こる前触れのように感じる。"理"そして"天界"が何かを隠している可能性があると私は考えた。それには幾つかの証拠がある。
1つ目は□□□…』
文章はここで途切れていた。先が気になりすぎて全身が痒くなる。
証拠がなければ、ただの陰謀論じゃん!
少しイラッとしたが、"天界"によって修正が入っているため仕方なくはある。
ただ収穫がなかったわけではない。
"沈黙症状群"かどうかは不明だがそれに似た病症が250年前からあった可能性が高い。
あたしは成果を上げられた嬉しさと学者の城のみんなの足を引っ張らずに済んだ事による安堵感で頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
(忘れないうちこれを書き留めておこう♪)
あたしはノートを広げ、大事な事を片っ端からメモする。一通り書き終えたら少し疲れてしまった。目をぎゅと瞑り大きく深呼吸をする。
調査も一段落したところだし次はどうしようかと考えていた刹那だった。目の前が霞んでいた。あたしは目を擦ってみたが、さらに靄がかかったようになっていく。
(……)
しばらくすると視界が晴れていく。光を網膜が読み取り世界を知覚していく。
あたしの視界に入ってきたのは、見覚えのある大学の講義室だった。
(図書館じゃない…)
状況が飲み込めずあたしはしばらく動けずにいた。
「なぁこの後カラオケ行かん?」
「悪ぃ、バイトある。」
隣に男子大学生2人が会話していた。
「すいません!ここ西蓮大学ですか?」
あたしは咄嗟に声をかけた。
しかし
「うわマジか、今日カラオケ行きたかったんだけどな。まあいいや今週どっかで行こうぜ。」
「OK土曜日なら行けるからそこで行こうぜ」
2人からの反応はなかった。
(聞こえなかったのかな?)
「すいませーーん!!」
大きな声で声をかけてみるが、2人はまるであたしがいないかのような感じだった。意図的に無視してるように見えなかった。
(本当に見えてない?)
これが透明人間ってやつか!?
あたしは面白くなり、講義室を出て通り過ぎる人に変顔したり、イタズラしてみる。体感1時間ほど遊び、この不思議な空間を堪能していたが、あたしは直ぐに気付く事になった。ここは面白い空間でもなんでもない、悪夢だってことを。
「ねぇ律お互い授業終わったんだしどっか遊びに行こうよ〜!」
「いいですか早矢、勉強というのは復習が最も大事。今日勉強した事は覚えている内に復習しないとダメなんですよ。」
あたしと律の会話だ。2人の装いから見るにここはあたしが大学1年生の頃だ。
覚えている―
この後あたしは…
「律は真面目だな〜、まああたしもたまには図書館で勉強しよ〜」
2人はノコノコと図書館に向けて歩みを進める。
かつての自分の背中は酷く小さく、滑稽に見えた。
それに比べ律は今も昔もとても頼もしく見える。流石あたしの親友だ。
「お二人さんこれから図書館で勉強かい?勉強熱心でいいことだ。」
紺色のスーツを綺麗に着こなす、中年男性がこちらに声をかけてきた。
九条景彰
あたしと律が西蓮大学に入るきっかけになった教授だ。景彰先生は歴史学を専攻する先生で、必修の科目から専門的な授業を請け負ってくれており、あたしは目茶苦茶お世話になっていた。
「景彰先生〜聞いてくださいよ!律があたしと全然遊びに行ってくれないですよー!」
「九条先生違います!僕は復習が重要ですから、先に復習をしようと思ったんです。」
「ほう、復習か良い心がけだ。」
景彰先生は優しく微笑んでいた。先生はいつも優しい声と表情であたし達や生徒達と接してくれる。
「だがな、白峯くん。学問というのは復習だけでは足りん」
律がきょとんとする。
「……と、言いますと?」
「疑問だよ」
先生は人差し指を軽く立てた。
「学びというのは理解し使えるようにするだけでは駄目なんだよ。
なぜならね、この世界に正解なんてないからさ。先生が言っているから正解。教科書に載っているから正解。それが正しいとなぜ言い切れるんだ?。だからこそ自分自身の手で本当の真実を探しに行く。その過程で得たものこそか学びなんだよ。」
その言葉に、過去のあたし早矢は目を輝かせていた。
「じゃあ先生やっぱり今の歴史は改竄されてるんですか?」
律が慌てて早矢の袖を引く。
「早矢、軽率な発言は――」
だが先生は、くつくつと低く笑った。
「あるさ。いつの時代もな」
空気が、わずかに冷えた。
「歴史とは勝者の記録だ。だが敗者の声は、決して消えてはいない。歴史の瓦礫の中に埋もれてしまっているだけなんだ。その中に本当の真実が隠されているかもしれない、歴史は宝探しに行くのようなものとも言えるね。まあ、埋もれた歴史ですら必ずしも真実とは限らないけどね。」
早矢は先生の話を興味津々に聞き入っている。それを見た先生が冗談交じりに続ける。
「桐生くん、もし仮に、公式記録とは異なる『真実』が存在するとしたら。君はそれを知りたいか?」
即答だった。
「知りたいです!」
律が息を呑む。
「早矢……」
先生は、満足そうに頷いた。
「ハッハッハだろうな。君はそういう目をしている」
その目。
今のあたしは、その言葉の意味が分かる。
あれは、褒め言葉じゃなかった。
「だがな、知ることは代償を伴う。今の私達が秩序に守られているのは"天界"と積上げられた歴史があってこそのものだ。
真実は往々にして秩序を壊す。
時には嘘を突き通す事も大切なのだよ。己のためにもそして大切な人のためにもね。」
少しだけ、間が空き。
「それでもか?」
早矢は、笑っていた。
「面白そうじゃないですか。」
軽い調子で。
何も知らない顔で。
今のあたしは、その背中を見ている。
なんて愚かで浅ましい。
そんなあたしを先生は優しく仏のような笑みで見てくれている。今のあたしにとってはそれが苦痛でならなかった。
「良いね。その好奇心を無くしてはいけないよ桐生くん。」
先生はそれだけ言い残し歩いて行ってしまったが、先生は少し歩いたところで、こちらを振り返えった。
「そうだ白峯くん、勉強も大事だが若い時は遊ぶ事も大切だよ。」
先生はそれを満面の笑みで伝えて去ってしまった。
それを聞いた二人は図書館に歩き出した。先ほど先生がいた所を通った時、早矢がしゃがみ込んで何かを拾った。
(先生…もしかして…)
今にして思えば先生は最初から…
「早矢どうしました。何か落ちてました?」
早矢が何かカードのようなもの拾い上げた。
でも律には見せなかった。
「なんでもないよ。ただ靴ひもが解けちゃっただけだよ。」
「そうですか、転んでは危ないので気をつけてください。」
「あたし蝶々結び苦手なんだけどね〜」
「結べないなら僕が結びますよ。」
二人は他愛もない会話をしながら再び図書館に向かった。傍から見れば恋人にも見えるほど楽しそうに会話している。どこにでもいる普通の大学生だ。
まさか片方は己の好奇心のために秩序にすら手をかける狂人だったとは。周囲にいた人達は夢にも思っていないだろう。
「歴史とは合意された嘘の集まり」
この言葉は、歴史がすべて虚構だと言っているわけではない。
歴史は“出来事そのもの”ではない。
出来事を、誰かが解釈し、選び、並べ、意味づけたものだ。
戦争が起きる。
勝者が生まれる。
敗者は沈黙する。
やがて勝者が記録を書く。
教科書に載る。
人々がそれを学ぶ。
そして社会がそれを「正しい歴史」として受け入れる。
この瞬間、歴史は完成する。
だがそれは、事実の総体ではない。
無数の出来事の中から「語るに値すると判断されたもの」だけが残った結果だ。
つまり――
多くの沈黙の上に成り立った合意である。
それを“嘘”と呼ぶのは乱暴かもしれない。
だが、そこに「語られなかった真実」が存在するなら、
それは確かに“完全な真実”ではない。
社会は安定を求める。
秩序を守るためには、単純でわかりやすい物語が必要になる。
英雄は正義でなければならない。
勝利は必然でなければならない。
犠牲は意味を持たなければならない。
だから私たちは、
複雑で曖昧で、答えの出ない真実よりも、
納得できる物語を選ぶ。
そして皆がそれに同意する。
それが「合意された嘘」だ。
だがここで重要なのは、
その“嘘”は必ずしも悪意から生まれるわけではないということだ。
人は安心したい。
混乱したくない。
世界が崩れるのを恐れる。
だから、社会にとって都合の良い形に物語を整える。
それは防衛本能でもある。
しかし――
もし誰かがその合意を疑ったらどうなるか。
「本当にそれだけが真実なのか?」
「語られていない声はないのか?」
そう問い始めた瞬間、その人は秩序の外側に立つ。
なぜなら合意とは、
信じることによって成立しているものだからだ。
疑いは、亀裂になる。
だが忘れてはいけない。
歴史が合意でできているのなら、
未来もまた、合意でできていく。
つまり――
私たちもまた、未来の歴史を作る側にいる。
問い続けることは危険だ。
だが、問いをやめた瞬間、思考は停止する。
歴史が合意された嘘の集まりだとするなら、
私たちにできることはひとつ。
嘘を暴くことではない。
盲目的に信じることでもない。
「これは誰の物語なのか?」
「誰の声が消えているのか?」
そう問い続けることだ。
合意の中で眠るのではなく、
合意を理解した上で立つこと。
それが、知るということの本当の意味だ。




