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定食屋での過去話

夜の定食屋。テレビから流れるニュースの音だけが空虚に響く店内で、テーブルを囲む麗奈たちの前に、湯気を立てる食事が運ばれてきた。


やがて、施設長の真田が、慎の静かな黙認を得て、重い口を開いた。


「佳山先生。先ほど私が『また』と言ったのは……ご想像の通り、一年前の×××中学で起きた事件のことです。世間では被害生徒とその家族が証拠を揃えて勝訴したと報じられていますが、その絵図を描き、すべての証拠を揃えた実質的な当事者は、この慎なんですよ」


「な……っ!?」


麗奈は息を呑んだ。真田の口から語られるのは、報道の裏側に隠された真実だった。


去年の2016年。当時中学三年生だった慎には、数少ない友人がいた。その友人が凄惨ないじめの標的にされ、金銭まで奪われていることを知った慎は、当初、学校側に助けを求めた。しかし、学校側は組織の保身を最優先し、事なかれ主義を貫いた。そして、正論を吐く慎に対しても「平穏を乱すな」と圧力をかけてくる始末だった。


その瞬間、慎は彼らを見限った。


そこからの慎の行動は、教職員たちの想像を絶するものだった。彼は小型カメラやボイスレコーダーを駆使し、被害に遭う友人を庇いながら、その悪辣ないじめの現場を記録。さらに、学校側の隠蔽体質そのものを司法の場へ引きずり出すための「罠」を仕掛けた。


慎はあえて、収集した証拠のコピーを携えて職員室へ向かい、映像を見せて改善を訴えたが、逆上した教師たちは、隠滅のために力ずくでそれを奪い取った。…が、それこそが慎の計算通りだった。彼は「証拠を奪い、組織ぐるみで隠蔽を画策する教師たちの醜態」を、別の端末で完璧に記録していたのだ。


記録を見た真田ら「□□□園」は激怒して正式に抗議する事を決め、慎はその全記録を友人の両親に託し、面識のあった篠崎刑事を通して正式に警察へ通報。法的手続きによる徹底抗戦が決まった。学校という閉鎖空間の歪んだ理屈を、司法という外部の力で破壊したのである。


結果、加害生徒たちは家裁送致となり、隠蔽に加担した教職員たちは、地方公務員法に基づく懲戒免職処分、および証拠隠滅罪等での刑事訴追を受けることとなった。組織としての学校は機能不全に陥り、後に教育委員会による解体的な再編と、民事訴訟による多額の損害賠償支払いを余儀なくされる事態となった。


麗奈は、目の前の少年が母校を事実上の壊滅に追い込んだという事実に、震えを禁じ得なかった。しかし…。


「酷い……学校がそんな腐った隠蔽をするなんて、逮捕されても文句は言えないわ」


当時の×××中学の腐敗と、友人を助けようとした慎の訴えを握りつぶした教師たちへの強い憤りがそれを上回った。文字通り「滅ぶべくして滅んだ」末路だったのだ。

そして、「何も知らない人間を相手にするのは『慣れている』」という、いつかの芳子の時の彼の言葉の意味が理解出来た気がした。何も知らない者達は彼を「問題のあった×××中学出身」と心無い中傷をしたが、彼にとって中学の崩壊は「傷」では無く「勝利の証」も同然だったのだ。


(でも………)


しかし、それ以上に彼女が気になったのは、慎と篠崎刑事が「以前からの知り合い」だという点だった。


「あの……どうして、そんな以前から警察の方と?それに、久遠くんのご両親は……」


核心に触れる問いが、麗奈の口を突いて出た。その瞬間、真田が顔を強張らせ、慎もまた箸を止め、麗奈をじっと見つめた。沈黙が数秒、永遠のように感じられた。


「佳山先生。……さすがに、これ以上は」


真田の声には、明確な拒絶の「壁」があった。麗奈は自らの失言を悟り、顔が火照るのを感じた。


「ご、ごめんなさい……。私、なんてことを……」


危うく、土足で彼の聖域を踏みにじるところだった。後悔に打ちひしがれる麗奈を見かねてか、慎が静かに口を開く。


「先生。俺の過去が気になるのは、担任として当然かもしれません。でも、これだけは分かってください。俺は正義感やヒーロー気取りで動いたんじゃない。……そうしなきゃ、あいつは……俺の友達は、間違いなく死んでいましたから」


慎はそう言って視線を落とした。地獄のような騒乱が続く中、年度末の卒業式は異様な光景だったという。校長や教頭、学年主任までもが刑事被告人、あるいは懲戒処分の対象として教育現場から追放されていた。壇上には急遽他校から派遣された臨時管理職が立ち、会場の隅には混乱を警戒して制服警官が配備される。教育の場とは思えぬ冷え切った空気の中で、式は執り行われた。


その異常事態の最中にあっても、慎は揺らぐことなく学年トップの成績を維持したまま卒業した。そして、彼が守り抜いた友人もまた、共に卒業証書を手にすることができたのだ。


「出発の日、駅まで見送りに行った俺に、あいつは『ありがとう。お前のおかげで、僕はまた前を向ける』って、笑って言ってくれました。それだけでも、俺が動いた甲斐はありましたよ」


語る慎の口元には、微かな、けれど確かな温もりのある微笑が浮かんでいた。それは学校で見せたことのない、深く静かな慈愛の色だった。


(……この子は、決して冷たい人間じゃない。理不尽に踏みにじられる誰かのために戦える、とても強い心の持ち主なんだわ)


麗奈は高鳴る鼓動を抑え、目の前で食事を再開した少年に、畏敬の念を込めて語りかけた。


「久遠くん。……あなたって、私が思っていた以上に、ずっと凄い人なのね。教師である私の方が、あなたに大切なことを教えられたわ」


「止してください。結局、俺は自分の感情のままに動いたまでです。……こちらこそ、改めて。今後のご指導、よろしくお願いします」


「ええ……。喜んで」


慎は再び、丁寧な「生徒」としての顔に戻っていた。依然として彼との間には容易に踏み込めない壁はある。だが、麗奈は確かに、彼との距離がほんの僅かだけ縮まったことを、実感していた。

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