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迫る悪意

「□□□園」の自室。

麗奈とのデートを終えて茜と帰ってきた慎は椅子に背を預け、スマートフォン越しに健次郎へ現状を整理して伝えていた。


「……というわけだ。結局、卒業を待つという一点で話はまとまった。宝くじの件も話したし、卒業したら彼女と一緒になる事にした。法的な障壁も、時間をかければ解消できるしな」


慎の淡々とした報告に、スピーカーから漏れてくる健次郎の声には深い感銘が混じっていた。


『おお……事実は小説よりも奇なり、だな。設定されたバッドエンドの濁流を、文字通り力技でねじ伏せて「ハッピーエンド予約済み」まで漕ぎ着けるとはな。いや、大したもんだよ。お前の実行力には恐れ入る』


「お前がその『物語の知識』を共有してくれなかったら、俺もここまで効率的には動けなかった。最悪の事態を知っていたからこそ、先手を打てた。ある意味じゃお前がこの世界のナビゲーターだろ。感謝してる」


慎の苦笑混じりの言葉に、健次郎は「それは光栄だね」と愉快そうに笑った。しかし、慎の表情はすぐに引き締まった。


織田川芳子や進藤といった、本来なら麗奈を奈落へ突き落とすはずだった役者たちは、あらかた舞台から消えた。だが…


慎の脳裏に、あの日対峙した佳山茂と淳子の愚かな醜態が浮かぶ。


「麗奈の両親という、本来の『物語』では背景でしかなかった連中が、予想外の悪意を運んできたのが気になる。今川秀朗の件だって、完全に膿を出し切ったとは言えないし」


『うーん、確かに妙な所から理不尽がやって来たな。その松尾って奴の上の連中は雲隠れしたんだっけ?』


「ああ。あれから何の動きもない。不気味なほど静かだ。だが、今もどこかで、損害を補填するためによからぬ事を企んでいるかもしれない、この手の連中は、より執念深く次の機会を伺うもんだ」


それは、前世で修羅場を潜り抜けてきた慎の戦士としての直感だった。


――――――


△△△警察署。重苦しい空気の中で、杉山刑事は灰皿に溜まった吸い殻を眺めながら、深い溜息を吐き出していた。換気扇の回る音が、静まり返った執務室に空虚に響く。


今川秀朗の自首により、詐欺の全貌は明らかになりつつある。押収された資料からは、組織的な資金洗浄の痕跡も見つかった。しかし、決定的な「本丸」が欠落していた。秀朗を唆し、松尾を動かしていた背後の組織。その核心を、未だに掴めていないのだ。


「松尾の情報が、大して使い物にならんのが痛いな……所詮は使い捨ての駒か。末端だと思っていたが、末端以下だな、これは」


杉山の呟きに、若手の本多刑事が不安を隠せずにいた。資料をめくる手がわずかに震えている。


「今川秀朗の自首で金が手に入らないと分かった途端、トカゲの尻尾を切るように消えました。事務所はもぬけの殻。これほど鮮やかに撤退されると、管轄外に根を張っている大きな影を感じます」


「これ以上、大事が起きなければ良いが……。食い詰めた連中の引き際は、往々にして次の獲物を見つけた時だ…嫌な予感しかしないな」


慎と杉山の直感は当たっていた。


――――――


市街地の喧騒から切り離された、場違いなほど清潔感のあるオフィスの一室。

そこに集う男たちは、怒りを通り越して、ただただ呆れ果てたようにモニターの報告書を眺めていた。室内の空気は無機質で、高級なコーヒーの香りが漂っている。


計画は、秀朗という男の「想定外の馬鹿さ加減」によって霧散した。


「……結婚詐欺の片棒を、親まで巻き込んで担がせようとした挙句、警察に泣きついて自首か。命惜しさに行動したのは理解できんこともないが、あまりに間抜けだ。遅い。刑期を終えて出てきても、死んだほうがマシな人生が待ってる。馬鹿な野郎だ」


一人が吐き捨てるように言った。彼らにとって、秀朗はもはや搾り取る価値のない出殻の茶葉と同じだった。彼らは秀朗から今川家の金を搾り取るだけのつもりだったのだが、やらかした事が露呈することを恐れる秀朗が妙なところでプライドの高さを発揮し、佳山家との縁談を利用しようとした事自体が、組織側から見れば完全な読み違いの暴走だったのだ。


「おかげで警察にマークされた」


「余計な手間だぜ。今川の坊ちゃんがもう少し利口なら、立場を失わずに済んだろうに。松尾もだ。真っ昼間に酔っ払った挙句、中学生や高校生相手にしくじりやがって。どいつもこいつも馬鹿馬鹿しくて話にならんぜ」


「損失分をどこかで回収しないと」


彼らは秀朗の馬鹿さ加減と、松尾のあまりの無能さに愛想を尽かしていた。彼らは徹底的な利潤追求者であり、利益の出ない案件に執着するほど情熱的ではない。この引き際の良さこそが、地下社会で長らく生き残ってきた秘訣でもあった。頭にきてはいるが秀朗への報復など時間と金の無駄だ。あんな男、放っておいても世間が殺してくれるだろう。


しかし、さっさと手を引こうとした矢先、上層部から一通の特別な「お達し」が届いていた。それは暗号化された短い指示。


「ゲーム開始時期が近い。『駒』を集めろ。質の良いものを用意しろ」


それは数年に一度、組織の幹部や海外の富裕層をゲストとして招き、とある孤島で行われる、賭博を目的としたゲームだった。欲望と暴力が交錯する祝祭。彼らはそれに必要な「駒」を確保する役割も担っていた。


「そう言えば、丁度良いのがいたな……」


そう言った一人が、酷薄な笑みを浮かべてモニターに映し出された幾つかの候補者リストをゆっくりと撫で回していた。

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