報告
三月の末、〇〇〇高校の会議室。
重苦しい空気の中、麗奈は校長、教頭、そして学年主任の武村をはじめとする主要な教職員を前に、事の顛末を報告していた。本来なら一教師のプライベートな見合い話に過ぎないが、警察から「組織的犯罪が絡む詐欺事件の被害者」として公的な連絡が入った以上、もはや隠し通せる段階ではなかった。
「……以上です。危うく、犯罪に利用されてしまうところでした」
麗奈が語り終えると、会議室にはしばしの沈黙が流れた。あまりに浮世離れした「裏社会」の単語に、教師たちは唖然とするしかなかった。
「……信じられない。地方の名士である今川家の御子息が、まさか薬物組織に多額の負債を抱え、それを佳山先生との結婚で洗浄しようとしていたとは」
校長が苦虫を噛み潰したような顔で呟く。傍らにいた女性教諭たちは、驚きを通り越して、秀朗の卑劣な企みに対する激しい怒りを露わにした。
「あまりに身勝手です。恵まれた環境にいながら違法な取引に手を出し、首が回らなくなったら他人を犠牲にしようとするなんて……」
「警察に自首したのも、結局は我が身可愛さからでしょう?呆れますよ…」
「本当に最低だわ。こんな男、信じられない…!」
「佳山先生、さぞお辛かったでしょう。大丈夫ですか?」
「すみません、皆さん……ご心配をおかけして」
やがて、話の焦点は必然的に、現場にいた一人の生徒――久遠慎へと向く。
「……それで、久遠くんだが」
教頭が眼鏡の縁を押し上げ、手元の報告書に目を落とした。
「警察からの連絡では、他県へ出掛けていた彼はたまたま現場を通りかかり、暴漢に襲われていた女子中学生を救うために介入した。その暴漢が今川氏を直接脅迫していた人物であり、結果として今川氏の犯罪を暴く切っ掛けになった……となっているが。状況から見て、偶然では片付けられないだろう」
武村主任が麗奈を鋭く見つめた。
「佳山先生。以前、私が久遠くんのことで貴女に注意をした際、彼は私に『スキャンダルは絶対に起こしません』と言い切りましたが……。どうやら、先生のご実家の方がスキャンダルを出してしまったようですね。嫌な事を言いますが、皮肉すぎませんか?」
麗奈は一度深く息を吐き、覚悟を決めて顔を上げた。
「……はい。きっかけは、私が実家からの執拗な見合い話に耐えきれず、つい彼にその悩みを打ち明けてしまったことでした。彼は私の相談に乗り、独自に動いてくれたのだと思います」
「生徒に実家のプライベートを相談するとは、教師として……」
武村が言いかけた言葉を、麗奈は静かに、しかし力強く遮った。
「久遠くんは私を……いえ、何も知らずに犯罪の片棒を担がされようとしていた佳山家そのものを、救い出してくれたんです。元凶は詐欺を企んだ今川秀朗であり、そして、碌に相手を調べもせずに見合いを強引に進めた私の両親。そして、仰る通り教師でありながら、生徒である彼に頼ってしまった私の未熟さです。久遠くんは、被害の拡大を食い止めてくれたに過ぎません」
麗奈の言葉には、あの日、慎の隣で得た揺るぎない確信が宿っていた。
「彼が動いてくれなければ、今頃私は、佳山家は、取り返しのつかない破滅を迎えていたはずです。……私も、こうしてここに立っていられませんでした」
麗奈が深く頭を下げると、会議室にはそれ以上の追及を阻むような静寂が訪れた。校長が静かに結論を下した。
「……久遠くんの行動は、法的には『善良な市民による協力』として警察も高く評価している。中学生を救ったのも事実だ。彼を処罰する理由など、どこにもないな。佳山先生。貴女は被害者だ。当分の間はゆっくり心を休めなさい。……それと、久遠くんには学校から特別に何かを言うことはない」
「本当に彼には酷い迷惑をかけてしまいました…」
――――――
その頃…◎◎◎警察署、生活安全課の面談室。
かつて慎が中学時代の腐敗を暴いた際にも座ったその椅子で、彼は今、篠崎刑事と安藤留美子巡査部長の二人と対峙していた。机の上には、他県の署から回ってきた「久遠慎」に関する報告書が置かれている。
「……久遠くん。君の人生は、一体どうなっているんだ?」
篠崎が眉間を押さえ、深く溜息を吐いた。
「△△△署からは『勇敢な少年』として感謝状ものだという報告が来ている。だがな、こちらとしては頭が痛いんだよ。自ら現場に張り込み、犯罪組織の末端を一人で制圧する。……いくらなんでも高校生の領分を越えすぎているだろう」
「やむを得ない事情があったんです。法に触れるような行為は一切していませんよ」
慎は表情一つ変えず、淡々と答えた。隣で話を聞いていた安藤留美子は、麗奈が置かれていた状況に同情しつつも、慎の無機質な瞳を覗き込んだ。
「佳山先生の事情はわかったわ。こんなクズの犠牲にならなくて本当に良かったと思う。……でもね、久遠くん。あなた、もしかしてその先生と、そういう仲なの?彼女…かなりの美人だと聞いているけど」
「……そういう仲とは?」
「解っているくせに、質問に質問で返すのはやめなさい。どうなの?」
慎は微動だにせず、冷静に答えた。
「法律は守りますよ。破らないことだけはお約束します」
「あなた……」
「おいおい、本気か」
安藤はその答えを聞いて、目を見開いた。篠崎も頭を抱えている。否定も肯定もせず、ただ「法という境界線」だけを提示した慎の回答は、ある意味で答えを明かしているようなものだった。
「……破らない、じゃなくて『ギリギリ破らない』の間違いじゃないの? あなたを信じたいけど、その言い方は妙に含みがあって信用できないのよ」
「すみません、言葉の選び方が下手なもんで」
篠崎が手元の別の資料――松尾の供述記録を取り出し、苦々しい表情で慎に突きつけた。
「……それとな、君にのされた松尾だがな、檻の中で狂ったように喚き続けているぞ。……『あれはただのガキじゃねぇ!! あの目と殺気は、もう何人も殺してる奴の目だ!!』とな」
「はっ、そいつは酷い言い草だ…」
松尾は恐怖のあまり精神を病みかけており、まともな取り調べにならないらしい。
「君、一体あいつに何をしたんだ?」
「さあ。足元を濡らして泣いていたのは覚えていますけど。自業自得じゃないですかね」
慎の反応は冷淡そのものだった。篠崎はそれ以上追及することを諦めたように、話題を現場の遺物へと移した。
「松尾が持っていたナイフと鉄パイプ。……鉄パイプを素手で破壊したっていうのは、一体どんなパワーなの?」
「ああ、君が随分と無駄の無い肉体作りをしているのは聞いているが…。どうしてそこまで、鍛えているんだ?」
安藤と篠崎の声には、個人的な好奇心が混じっていた。
「趣味ですよ」
「いやいや、趣味でそんな肉体が完成してたまるか!!」
突っ込んだ後、咳払いした篠崎は改めて語りかける。
「君と初めて会ってから10年以上経つが、もうそろそろ大人だな。君という人間は、心を開いた相手にはとことん尽くすが、敵と見なした相手には容赦が無い……これだけはずっと一貫している。その点に関しては評価してるよ。君は味方につけて損は無い人間だ。大騒ぎになってしまうのが残念だが」
篠崎は少し真剣な目になり、核心を突いた。
「いい機会だから聞いておこう。久遠くん、君は将来……何になるつもりだ?」
「平和を愛する一般市民ですよ。別に特別な何かになる気はありません。……ただ、俺の大切な人間たちに、何故か屑な連中が寄ってくるのが悩みですが」
慎の言葉は淡々としていたが、その根底には確かな事実があった。
「俺が子供らしくない人間なのは、俺自身が一番よく理解しています。ですが、悪意が目の前に出てくると、子供のままでいるわけにはいきません。別にヒーローになりたいわけじゃない。……俺は、守りたいだけです」
その言葉には、強い意志が宿っていた。
篠崎も安藤も、それ以上は何も言えなかった。彼のやり方はあまりに苛烈で、常に法と逸脱の境界線上に立っている。だが、その結果として救われた人々がいることもまた、否定できない事実なのだから。
慎は軽く頭を下げると、面談室を後にした。
「……平和を愛する一般市民、か。随分と高くつく平穏になりそうだな」
「あの性分を直さない限り無理でしょうね」
慎の背中を見送りながら、篠崎と安藤は溜息を吐いた。




