剥がれたメッキ
…そして、現在の見合い当日。
「馬鹿な!?そ、そんな事が…!!」
事の顛末を麗奈から初めて知らされた茂は、愕然としていた。
「失礼します。県警の杉山です」
玄関先に現れたのは、鋭い眼光を湛えた中年の刑事だった。背後には制服の警官が数名、重苦しい空気を纏って控えている。
「今川秀朗氏が自首しました。容疑は詐欺罪、および組織的犯罪処罰法違反。彼は貴方の娘さんとの縁談を利用し、佳山家の資産を犯罪組織への返済に充てようとしていた。……佳山茂さん、淳子さん。事情を伺う必要があります」
杉山の言葉は、冷徹な刃となって茂と淳子の胸に突き刺さった。先ほどまで「佳山家は安泰だ」と豪語していた茂の顔からは血の気が引き、支えを失った操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「嘘だ……あんな、あんな立派な家柄の御子息が……。何か、何かの間違いではないのかね? うちは、地元の名士として、間違いのない縁談を……」
茂の口から漏れたのは、見苦しい自己弁護だった。淳子もまた、震える声で「私たちは良かれと思って……あの子の将来のために」と、壊れたレコードのように繰り返す。
「いい加減にして!!」
麗奈の、怒りに満ちた叫びが居間に炸裂した。
「まだそんなことが言えるの!? 相手の外面だけに目が眩んで、自分の娘がどんな奈落に突き落とされようとしていたか、一ミリも想像しなかったの? 名士? 将来のため? 笑わせないで! お父さんたちが守りたかったのは、私じゃなくて、ただの自分たちのプライドと世間体でしょう!!」
「れ、麗奈……そんな言い草があるか……」
「言い草も何も事実じゃないの!!」
麗奈の正論を前に、茂は言葉を失った。これまでの人生でここまで怒りを露わにした娘は見た事が無い。その瞳に宿る、自分たちに向けられた底知れぬ軽蔑と嫌悪に、彼は生まれて初めて恐怖を感じた。
傍らで見ていた杉山刑事が、淡々と追い打ちをかけるように告げた。
「……お二人とも。今の時代、親の権威を盾に、本人の同意を無視して婚姻を強要するのは、民法上の権利侵害に当たります。度が過ぎれば強要罪の範疇だ。自分なりに家を守ってきたつもりかもしれませんが、貴方たちがやろうとしていたのは、法律を無視した、ただの『娘の身売り』ですよ」
「……あ……」
淳子は顔を覆い、膝をついた。現実という冷水が、彼女たちの歪んだ特権意識を無慈悲に洗い流していく。今川家との縁が佳山家を盤石にするどころか、自分たちが犯罪組織の資金洗浄に加担し、家門を泥に塗れさせようとしていた事実に、二人はただ恥辱に震えるしかなかった。
その惨めな親の姿を目の当たりにし、麗奈の目から涙が溢れ出した。怒りが収まると同時に、自分の親がこれほどまでに浅ましく、愚かだったという事実への情けなさが、波となって押し寄せた。
「……情けない。本当に、恥ずかしいわ……」
麗奈はその場に泣き崩れた。慎は無言で彼女の肩を抱き寄せ、その細い体を支えた。泣きじゃくる娘の姿に、茂たちは手を伸ばすことさえできなかった。自分たちが娘に与えた傷の深さを、ようやく思い知ったのだ。
麗奈が涙を拭い、掠れた声で最後の一撃を放った。
「ここにいる久遠慎くんが、裏を突き止めてくれたのよ。しかも、今川を直接脅していた犯人を捕まえて、警察に突き出してくれた。……彼がいなければ、私だけじゃない。佳山家そのものが地獄へ堕ちていたわ」
「な……!高校生の、彼が……?」
茂は信じられない思いで、慎を見た。自分の娘よりも一回りも幼い少年が、自分たちが怠った「家族を守る」という義務を、完璧に遂行していたのだ。その胆力、その行動力。目の前の少年が放つ静かな威圧感は、もはや茂が太刀打ちできるレベルではなかった。
「もう、私がお父さん達の命令に従う事はありません、二度と私に干渉してこないで…。私は……自分で選んだ道を行きます。久遠くん、帰りましょう……」
涙を拭いながら麗奈は慎を促し、停めてあるタクシーへ向かおうとした。茂が縋るように「麗奈!」と呼び止める。しかし、慎が冷たく振り返った。
「……引き止めて、どうなさるおつもりですか? 今、何かまともな言葉があなた方にありますか?」
「そ、それは……」
「見合いという形式の是非はともかく、親なら…娘の婿になるかもしれない相手のことくらい、とことん調べてから話を持ってきてくださいよ。他人の俺が調べて、こんな事態になるなんて……どう考えてもおかしいでしょう?本当なら、親であるあなた方の役目だ」
慎の声は低く、そして容赦がなかった。
「そんな最低限のことも怠っておきながら、よく『家を守る』なんて言えましたね。信じられない。自分の娘すら守れないで、何が名士だ。ふざけるなら、どっかの見世物小屋にでも行ってくださいよ。……まあ、誰も見に来ないでしょうけど」
「…………」
茂と淳子は、青い顔のまま床に崩れ落ちた。もはや反論する力も、威厳を保つ術もない。
一部始終を見ていた警官たちが、慎の背中を見送りながら囁き合った。
「……あいつ、本当に高校生か?」
「さあな。だが、あの夫妻よりはよっぽど腹が据わってる」
杉山は、立ち尽くす佳山夫妻を一瞥し、内心で深く溜息を吐いた。
(全く、世も末だな。大人がこれほどまでに空っぽとは)「……佳山さん。後のことは署で伺います」
杉山が夫妻に声をかけるが、二人は力なく頭を下げるのが精一杯だった。
慎は麗奈をタクシーに乗せると、自身も乗り込んだ。冷たい風を切り裂き、車は走り出す。バックミラーに映る佳山家の重厚な門構えは、もはや麗奈にとって帰るべき場所ではなく、ただの古びた牢獄の残骸に見えた。
「終わった……これで…」
麗奈は慎の肩に頭を預け、静かに目を閉じた。




