◎◎◎警察署にて
◎◎◎警察署の薄暗い廊下で、麗奈は不安を抱えながら待っていた。やがて、ようやく解放された慎が姿を見せた。
「久遠くん!」
麗奈が駆け寄ると、慎の隣には、使い込まれたスーツを着た小柄な白髪混じりの男性と、鋭い眼光ながらもどこか穏やかな雰囲気を纏った年配の刑事が並んでいた。
「初めまして。慎の身元保証人をしております、児童養護施設『□□□園』施設長の真田です。佳山先生ですね。夜遅くに、うちの子がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
真田は深々と頭を下げた。
「いえ、とんでもありません。そちらも大変驚かれたと思います」
麗奈が挨拶を返すと、真田は慎を見て、困ったように眉根を寄せた。
「慎……映画を観に行った帰りが遅いと思ったら、またこんな騒ぎに巻き込まれるなんて。お前というやつは……」
(『また』……?)
麗奈の脳裏に疑問が浮かぶ。慎は淡々と答えたが、その表情には微かに疲労の色が見えた。
「すみません。でも、目の前で痴漢冤罪なんてものが起きて、それを見過ごすわけにはいかなかったんで……」
生活安全課の刑事、篠崎が苦笑しながら口を挟む。
「まあまあ、真田さん。彼のおかげで、一人の無実の男性が救われたんだ。……それにしても、最近の若者は恐ろしいな」
「あの……例の女子高生は……?」
麗奈が尋ねると、篠崎は険しい顔で首を振った。
「それが、あの女子高生はSNSで『痴漢を捕まえる正義のヒロイン』としてバズりたかっただけだと言っています。共犯の男子生徒もいて、動画を回す役だったようですが、彼女が失敗した上に慎君に制圧されるのを見て自分だけ逃げ出した。もっとも、すぐに確保しましたがね」
麗奈は胃のあたりが冷たくなるのを感じた。
「そんな……単なる注目を浴びたいという理由で、一人の人生を壊そうとしたんですか? あまりに愚かすぎます……」
「ええ。虚偽告訴、威力業務妨害……未成年とはいえ、通っている学校の退学処分は免れないでしょうし、家庭裁判所への送致は確実です。人生において致命的な傷を負った自覚が、彼女たちにはまだないようですが」
篠崎刑事は厳しい口調で言った。しかし、麗奈の関心は別のところへ向いていた。
(おかしいわ……この人達のこの雰囲気……)
篠崎と、施設長の真田、そして慎。この三人の間に流れる空気が、初対面のそれとは明らかに違っていたからだ。信頼関係というか、戦友のような、奇妙な親密さがある。
「あの、お聞きしてもよろしいですか? 先ほど真田さんが仰った『また』というのはどういう意味なんです……?」
「え?それは……こいつが、あの中学で……」
「ちょっと、真田さん!」
真田が「あっ」と声を漏らし、自分のうっかりに気付いて慌てて口を噤んだ。慎が遮るように声を上げたが、麗奈の耳にははっきりと届いていた。
(まさか……あの中学の事件?警察と深く関わるような何かを、彼が……?)
確か、×××中学校のいじめ隠蔽事件を事実上終わらせたのは、被害生徒側による「完璧な証拠収集」だったはずだ。
刑事の篠崎は、麗奈の視線を受け止めると、これ以上は隠し通せないと悟ったように深く溜息を吐いた。
「佳山先生、私は警察官としての守秘義務がありますから、具体的な事案については何も教えられません。ですが……一つだけ言えるのは、この久遠慎という少年は、そこらの大人よりも遥かに賢く、強く逞しい人間だということです。……それに気を許した相手にはとことん優しくなる。味方にして損はありませんよ?」
「は、はぁ……」
麗奈は困惑した。高校生に対して、警察官がこれほどの評価を下すなど聞いたことがない。
「あの、篠崎さん……」
慎は苦笑する。篠崎の言葉には、慎に対する最大限の敬意が含まれていた。一体彼は中学時代に何を成し遂げたというのか。
「あー……先生」
慎は少し照れくさそうに、あるいは麗奈の追及を逸らすように、わずかに視線を泳がせた。
「せっかく夜遅くまで付き合ってもらったんですし、真田さんも一緒に、どこかで何か食べませんか? 警察署の近くに、遅くまでやってる美味い定食屋があるんです。俺、腹が減ってしまって」
その提案は、あまりに年相応で、けれど麗奈との境界線を少しだけ緩めるような、不思議な温かさを持っていた。




