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△△△警察署にて

△△△警察署の取調室。日没の時間が近くなり、鉄格子の向こうから差し込む夕日が、灰色の壁を照らし出している。


「……もう一度聞くぞ。君、一人でやったんだな?」


刑事課のベテラン、杉山は、パイプ椅子に深く腰掛けた慎を鋭い眼光で射抜いた。手元には、現場から回収された「遺物」の写真がある。ナイフと、飴細工のように曲げられた鉄パイプ。慎の答えには淀みがなかった。


「はい。さっきも話した通り、向こうが凶器を振りかざして突進してきたため、制圧しました。やむを得ずです」


杉山は舌打ちし、タブレット端末の画面をスライドさせた。照会された久遠慎の経歴。そこには、一般的な高校生とはかけ離れた異質な記録が並んだ。


六歳の時、実母の虐待と育児放棄を、自ら集めたビデオ証拠で告発。中学時代には、学校ぐるみのいじめ隠蔽工作を法的手段と罠で内部から解体した。隠蔽を画策した教師たちは、すべて懲戒免職に追い込んでいる。


「……おい、なんだこの経歴は」


傍らにいた若手刑事が声を漏らした。


「共犯とかがいたんじゃないのか?あの大柄な松尾が、恐怖で失禁して泣き喚いているんだぞ。高校生一人にやられたにしては、あまりに心が折れすぎている」


「そんな人間はいません。疑われるなら、身体検査をしていただいても構いませんよ」


別室で警察医を交えた身体検査が行われた。杉山をはじめとする刑事たちは、慎が制服を脱いだ瞬間に沈黙した。それはジムで造形された見せるための筋肉ではない。実戦の中で生き残るために研ぎ澄まされた肉体だった。


「……どんな鍛え方をしたらこうなる。お前、本当に十七歳か?」


若手刑事が戦慄を含んだ声を漏らした。


「はい、正真正銘の十七歳です」


淡々と答える慎に、杉山は額の汗を拭った。


――――――


取調室に戻ると、椅子を乱暴に引いた。


「いいか、久遠。松尾は元暴力団員だ。現在は実態を掴みきれていない犯罪組織の末端にいる。そんな奴を、路地裏で完膚なきまでに叩きのめす高校生がいてたまるか」


「たまたま運が良かっただけですよ。彼が酔っていたことも含めて」


「運か……。それでは、次の質問だ。なぜ君はあの場所にいた?」


その問いに合わせるように、取調室のドアが勢いよく開いた。現れたのは「□□□園」の施設長・真田、職員の山岡、担任の佳山麗奈、そして探偵の山川だった。


「慎! お前、何でこうなるんだ」


真田が部屋に入るなり声を荒らげた。その表情には、怒りよりも深い疲労と心配が滲んだ。


「報せを受けて、慌てて皆で飛んできたんだ。他の県に行くとは聞いてたけど、何でこんな事になるんだよ…?」


車を長時間運転していたであろう山岡も、疲れた表情で慎に文句を言ってくる。


「すみません。意図したわけではないんですが」


「コラ、深追いはしないと言ったのはどこのどいつだ」


山川も真田の横で腕を組み、慎を睨みつけた。慎は罰の悪い様子で口を開いた。


「いきなり突撃して身柄を拘束するつもりはなかったんです。山川さんにばかり頼らず、自分も情報収集をしようと動いた結果、真っ昼間から酔っ払って女子中学生に手を出す馬鹿を目撃しまして……。それで、一気に事態が動きました」


「それは聞いた。だが、結果オーライなんて思うなよ?…ほら」


山川が指さす方向。麗奈が青ざめた顔で立ち尽くしていた。瞳は潤み、激しい動揺で肩が小刻みに震えた。


「久遠くん……!」


「あ、先生」


「ごめんなさい、私の、私のせいで……」


麗奈は絞り出すような声で言い、慎の元へ駆け寄ろうとした。担任としての責任感。そして自分の個人的な悩みに端を発した調査が、生徒を警察の取調室に座らせた。その事実が、彼女の心をかき乱していた。


「先生、落ち着いてください。俺は大丈夫ですから」


「怪我は? どこか痛むところはないの? 刃物を持った相手に襲われるなんて……」


麗奈は慎の両肩を掴み、無事を確認するように必死に視線を走らせた。


首を傾げる杉山を見て、山川は溜息を吐いた。鞄から分厚い封筒を取り出し、机の上に置いた。


「刑事さん、これが私が久遠から依頼を受けて調査した、今川秀朗に関する報告書です。あそこで松尾を張っていた理由は、彼が今川に直接圧力をかけている回収屋だったからです」


「今川……?あの大企業の御曹司か」


「ええ。ですが現在は違法薬物の取引失敗による巨額負債を抱えている。警察としても見過ごせませんよね」


「何…!?」


慎の言葉に取調室の空気が凍りついた。


――――――


杉山は報告書を一枚ずつ、食い入るように読み進めた。


「……待て。事の発端は、久遠、君が佳山麗奈さんの見合い相手の裏を探偵に調べさせたことなのか」


「そうです。先生があまりに酷く悩んでおられたので。結果は、見ての通り最悪でした」


「いや、何で生徒が担任の見合い相手を探偵まで雇って調べるんだ?」


杉山が呻いた。慎は冷静に、現実的な問題を突きつけた。今川秀朗がやろうとしている事は、組織的犯罪処罰法が定める重大な違法行為に抵触するだろう。


「刑事さん、これを見逃したりしませんよね」


慎の問いかけは、もはや少年のそれではなく、冷徹な追及者のものだった。


杉山は頭を抱えた。


「……わかった。この資料と松尾の身柄、確かに預かる。被害者の中学生の証言と現場の状況から、君の行為は正当防衛として処理される可能性が極めて高い。だが久遠、君はもう関わるな。これ以上は我々の仕事だ」


「承知しています。どうか……お願いします」


慎は椅子から立ち上がり、軽く肩を回した。山川が慎の背中を押し、部屋を出た。


警察署のロビーに出ると、夜の冷気が慎の体を冷やした。真田と山岡が手続きのために窓口へ向かう。麗奈は慎の前に立ち、深く頭を下げた。


「久遠くん……本当に、ごめんなさい。教師として守るべき立場なのに、逆にあなたの優しさに甘えて、こんな恐ろしい思いをさせて……」


震える声。麗奈の目から大粒の涙が床に落ちた。慎はしばらく無言でいた。やがて静かに口を開いた。


「先生。謝らないでください。俺が勝手にやったことです。それに……先生が売られるようなことにならなくて、本当に良かったと思っています」


麗奈は顔を上げて、慎の瞳を見つめる。そこには冷たい光はなく、不器用だが、確かな慈愛が宿っていた。警察が動く以上、今川秀朗も終わりだろう。


――――――


「慎。人助けは立派だが、次からはもう少し……いや、お前にそれを言っても無駄か」


真田が深く息を吐き出した。慎は隣にいる麗奈の背にそっと手を添え、迎えの車に揺られた。


車内。沈黙を破ったのは山川の皮肉混じりの声だった。


「これで今川秀朗も見合い話も終わりだな。だが久遠、佳山家……特に佳山茂氏はどうするつもりだ?」


代わりに答えたのは、泣き止んだ麗奈だった。


「…それは、私が自分自身で決着をつけます。もう、逃げたくありませんから」


暗い車内。麗奈の瞳には、かつての苦悩は微塵も残っていなかった。

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